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2022/02/21

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 蛤蜊(ハマグリ) / ハマグリ(四個体)・チョウセンハマグリ(三個体)

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。頭の名称は総て改行した。]

 

Hamaguri

 

「多識扁」

 蛤蜊(はまぐり)

 擔羅(タンラ)【しろき「はまくさ」。】

 車螯(シヤガウ)【「大はまくり」。】

 蜃(シン)

「料理綱目」

 ※【「はまくり」。】

[やぶちゃん注:「※」=「虫」+「濵」。]

「兼名苑」に曰はく、

 蛘蛤【「はまくり」。】。一名「含漿」。

蜃 「潛確類書」に曰はく、『狀(かたち)、螭龍(ちりやう)に似て、角、有るのみ。』と。「埤雅(ひが)」に曰はく、『蜃の氣、樓臺を作(な)す。將に雨(あめふ)らんとするに、卽ち、見る、丹碧(たんぺき)、隱然として、烟霧のうちに在るがごとし。今の俗、之れを「蜃氣樓」と謂ふ。』と。「史記」に、『海傍(かいぼう)の蜃の氣、樓臺を成す。』と。「括筆談」に曰はく、『登州の海中、時に雲氣有り、宮室(きうしつ)・臺觀・臺觀(たいくわん)・城堞(じようちよう)・人物・車馬・冠葢(くわんがい)の狀(かたち)のごとく、之れを「海市」と謂ふ。或いは「蛟蜃(かうしん)の氣」と云ふ。』と。「本草」の時珍曰はく、『「蛟」の屬に、「蜃」、有り。其の狀(かたち)、亦、虵(へび)に似て、大なり。角、有り、龍の狀のごとし。』、『能く氣を吁(は)きて、樓臺・城郭の狀を成す』と。

◦又、「月令(がつりやう)」に、『孟冬の月、「雉(きじ)」、大水(だいすい)に入りて、「蜃」と爲る。註に、「蜃」は「大蛤」なり。』と。

◦「蜃氣、樓臺を爲す」の「蜃」は、龍の類(たぐひ)なり。日本に、之れ、無し。「月令」に記(しる)せし「雉」の化する「蜃」は「大蛤(おほはまぐり)」なり。樓臺を倣(みな)すの「蜃」に、非ず。「合璧事類」等に曰はく、『大蛤。一名「蜄」。能く氣を吐きて、樓臺を爲す。』と云ふ。考ふべきか。

 

[やぶちゃん注:以下は、頭の標題(釈名)群の下方のもの。]

蛤、勢州桑名を名産とす。紀州「和歌の浦」・江戸品川の産、之れに次ぐ。北の海、稀れにあり。本邦、三月雛祭りに、家〻に、かく事なく、用ゆ。

 

[やぶちゃん注:以下は下部中央のもの。]

「方諸(はうしよ)」[やぶちゃん注:大蛤で作った杯盤を言う語。]。高誘の曰はく、『陰燧(インスイ)は大蛤なり。熟摩(じゆくま)して、月に向へば、則ち、水、生ず。大蛤の殻を、よくすりて、煖(あたたか)にならしめ、月、盛んなる時に、向へて、水を、とる。水、數滴(すてき)下(くだ)る。是れを「方諸」と云ふ。水晶にて、日に向ひ、火を取るがごとし。』云〻。

 

[やぶちゃん注:以下は左中央のもの。]

此の者を「烏貝(からすがひ)」と云ふ。

 

[やぶちゃん注:以下は左下のもの。]

「六々貝合和哥」 左十七番

   「山家」         西行

         伊勢

     今ぞ知る二見の浦の蛤を

      貝合せとぞ思ふなりけり

 

[やぶちゃん注:以下、中央のクレジット。]

壬辰(みづのえたつ)八月十四日、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:七個体の内、右上の二個体と右下の大ぶりな一個体は、

斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ科ハマグリ亜科ハマグリ Meretrix lusoria

と比定してよいと思う。

 また、梅園がわざわざ「烏貝」と異名を特に記している焦げ茶色の一個体と、左上の特有の墨を擦ったような斑点を持つ二個体は、私は、ハマグリの近縁種で、殻の模様がハマグリ同様、個体変異が多い、

ハマグリ属チョウセンハマグリ Meretrix lamarckii

に比定したい。例えば、ウィキの「チョウセンハマグリ」によれば、『殻の表面の外見は淡褐色を典型』としつつ、『個体差が大きく、全体にチョコレート色になる』(以上が梅園の「烏貝」と名指すものに一致する)『ものなどもある。幼貝のうちは筆でかすったような褐色斑が現れることもあるが、老成すると模様の鮮明な個体は少なくなる』。『斑紋があっても淡くぼんやりとして目立たない』とあって、この後者が左上の二個体とよく一致するからである。一番、それが判る「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のチョウセンハマグリのページの九個体が写っている写真をクリックされると、私の比定が納得されるものと思う。因みに、そこに書かれてもいるのであるが、この現在の和名は最初に名指した武蔵石寿(むさし せきじゅ 明和三(一七六六)年~万延元(一八六一)年の「目八譜」(天保一四(一八四三)年に完成させた全十五巻十三冊からなる本邦の貝類書の大作。九百九十一種を収録した図鑑。図は服部雪斎の筆になる。採集場所は五十一ヶ国二百五十余所に及ぶ。現在の日本における貝の和名は、この図鑑で命名されたものが多い)による和名なのであるが、江戸時代に於いては、「朝鮮」という言葉が、本種の場合、ぼうずコンニャク氏曰わく、『身近なところにいる(内湾の)ハマグリと似ているが、やや遠い場所(外洋に面した浜)にいる、という意味だと思う。明治・大正・昭和になると』、文字通り、『模式標本が朝鮮半島である場合や、実際に朝鮮半島で多産するためだが、江戸時代の「朝鮮」は』、『あきらかに別の意味合い』なのである。則ち、「一般に知られている特定の種と似ているか、或いは、似て非なるもの」というニュアンスが「チョウセン」という部分和名には含まれてしまっているのである。以前から思っているのであるが、これは朝鮮に人々にとって、明らかに差別的な用法であって、「イザリウオ」を「カエルアンコウ」と是正改名するくらいなら(この改名はヒドいもので、新和名を考えた人間のセンスが疑われるものである。カエルやアンコウが理解出来たら、意義を唱えて裁判沙汰になるレベルと大真面目に考えている)、この「チョウセンハマグリ」や「バカガイ」などをこそ、早く差別和名として改名すべきであると真剣に主張するものである。

 話を同定に戻す。一つ残した中央下部の最大型個体の左側にある貝は、一見すると、蝶番部分の形状や縦横の放射状の模様がちょっと疑わしい気はする。しかし、これは他の描かれた図と比較して小さく、稚貝であると考えてよい。複数のハマグリの稚貝の写真をとくと見たところ、少し離れて見ると、この絵のように見える個体が幾らもあった。されば、特にこれも結論としては、ハマグリに同定することとした。

 なお、ハマグリは本邦では北海道南部~九州にかけてで、他に朝鮮半島・台湾・中国大陸沿岸に棲息し、チョウセンハマグリは房総半島以南の太平洋側と能登半島以南の日本海側の他、韓国・台湾・海南島・フィリピン等に棲息する。

 さて、本解説は一見、リキが入っているように見えるけれども、残念乍ら、メインの「蜃」についての長いそれは、その殆んどが、またしても、貝原益軒の「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 蜃」からの借用である。まあ、比較して見んさいよ! 終りのところを、あたかも自分が原点に当たってきたかのように記し、「考ふべきか」などと言い添えているのは、鼻白んでしまうのだ! 「大和本草」からの引用を示していれば、最近、絵が優れているので、かなり好きになりかけている梅園だから、許してやろうという気にもなるのだがねぇ。しょぼん……尤も、実は益軒も、そこでは「埤雅」の「蜃」の記載を、一部省略しながら、巧みに切貼・転写して書いているので、案外、益軒も怒って挙げた拳を振り下ろせぬかも知れんな……

「多識扁」複数回既出既注。林羅山道春が書いた辞書「多識編」。慶安二(一六四九)年の刊本があり、それが早稲田大学図書館「古典総合データベース」にあったので、調べたところ、「卷四」のこちらにあった。

   *

蛤蜊【波末久里】

 蛤蜊粉【波末久(マグ)利加伊乃波伊】[やぶちゃん注:「はまぐりかいの灰」で貝灰のこと。]

 酒蛤蜊【左加豆゙計乃派波末久利】[やぶちゃん注:「酒漬(さかづ)けの蛤」。]

 海粉【宇美加゙伊乃波伊】[やぶちゃん注:「海貝(うみがい)の灰」。ハマグリが主体であったらしい。]

   *

「擔羅」「本草綱目」の巻四十六の「介之二」に、ハマグリ類を示す「蛤蜊」とは別に立項されている。そこには、

   *

擔羅【「拾遺」。】

集解【藏器曰はく、『蛤の類なり。新羅國に生ず。彼(か)の人、之れを食ふ』と。】

   *

とあった。また、この名で漢方薬とする記載も中文サイトの中にはあった。ただ、新羅(しらぎ)という辺りは、チョウセンハマグリを想起したくはなる。しかし、これ、判らない。ただのこの記載だけだと、全く無縁な別名二枚貝の種の可能性も大いにある。

「車螯」「螯」第一義を「蟹」或いは「蟹の鋏」とするが、この「車螯」で、「大きな蛤(はまぐり)」を指す。但し、その場合の「おおはまぐり」というのは、ハマグリの大型個体に留まらず、一般の個体より大きな二枚貝一般を総称するものとなり、遂には、妖獣としての以下に語られるファタ・モルガナ(Fata Morgana:イタリア語)みたようなもの見せる「蜃」へと肥大化することとなるのである。その辺りも、「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 蜃」で既に注した。

「料理綱目」嘯夕軒宗堅(しょうせきけんそうけん)が享保一五(一七三〇)年に板行した料理書「料理網目調味抄」。国立国会図書館デジタルコレクションの、その第一巻の目録の「魚之部正字大畧」のここに(左丁最終行中央)、『蛤(はまくり)【※】』(「※」=「虫」+「濵」)とある(「仝」は「同」の異体字)。なお、この「※」の字は「はまぐり」の「はま」の和訓から思いついた和製漢字ではないかと推測する。

『「兼名苑」に曰はく、蛘蛤【「はまくり」。】。一名「含漿」』これは「倭名類聚鈔」の巻十九の「鱗介部第三十龜貝類第二百三十八」の(例の国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを参考にして起こした)、

   *

蚌蛤(ハマクリ) 「兼名苑」に云はく、『蚌蛤【「放」・「甲」の二音。「蚌」或いは「蜯」に作る。和名「波万久理(はまくり)」。】は、一名は「舎漿」。

   *

を引いただけ。「兼名苑」は唐の釈遠年撰とされる字書体語彙集だが、散佚して現存しない。

『蜃 「潛確類書」に曰はく……』既に述べた通りで、「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 蜃」で既に以下の内容は詳しく注してあるので、見られたい。ここにまた引くほど、俺は暇じゃない。

「三月雛祭りに、家〻に、かく事なく、用ゆ」今じゃ「はまぐりのお吸い物」を雛祭りで食べもしないし、その習俗を知らない人も増えてきたかも知れないので注する。「真多呂人形」公式サイトの「雛祭りとはまぐりの関係」の「雛祭りにはまぐりのお吸い物を食べる理由」から引用する。『雛祭りには今でも、はまぐりのお吸い物を食べますが、それにはいくつかの理由があります。はまぐりをはじめとする二枚貝は、昔はお姫様を意味していていました。 この時期に一番美味しい貝類の中でも、特に、はまぐりは二枚の貝がぴったり合って、他のはまぐりの貝殻とは絶対に合うことがないため、「女の美徳や幸せ」につながるとされたのです。このようなことから、「はまぐり」は「夫婦和合・夫婦円満」の象徴とされ、生涯一人の人と添い遂げて幸せな人生を送りますようにと、結婚式にも縁起物として出されるようになりました』。『女の子が生まれたときには、お雛様を購入して雛祭りに飾りますが、女の子は結婚するときに誰でもお姫様となるように、結婚まで飾るお雛様に、その思いを込めて、はまぐりが食べられるようになったのです』ということだ。因みに、私の家の十畳の居間の四分の一は既に三日前から巨大な雛段に占領されている(写真は二〇一三年のもの)。私は雛人形が大好きなのだ。

「高誘」は後漢末年の士大夫で学者でもあった人物。「淮南子」・「呂氏春秋」・「戦国策」の注で知られる。以下は「淮南子」の注を大体の元にした記載だな。劉安・高誘らの「淮南子」の注を集めた「淮南鴻烈解」の影印原本の当該部が「中國哲學書電子化計劃」のこちらで見られる。

「陰燧」は大蛤(先に言ったように必ずしもハマグリとは限らない。寧ろ、私は以下に説明する内容から真珠光沢を有するアワビ等の大型個体を想起する)を丁寧に擦り上げて(=「熟摩」)鏡にしたものを指す。対語が「陽燧」で、これは銅で拵えた凹面鏡で、そこの光りの交点に艾(もぐさ)を掲げ置けば、火を得られるという寸法だ。後の水晶でも可能だが、陰陽の対が同じ鏡様のもので、こっちの方が相性がよりいいわな。

「煖(あたたか)にならしめ」先の影印の原文では「令熱」で「熱くせしめ」だ。高温にした鏡を月夜に出せば、次第に結露し、夜露も下って、鏡面盃の中に水が得られるという寸法だ。「貴重な火を太陽(自然)から得るというその神聖さはよく判るが、少量の水を月から得てどないするんや?」と言う御仁は阿呆か? 「承露盤」を知らんかい? 漢の武帝が建章宮に設けた銅製の盤さ。不老長寿の霊水である神仙の「天露」を得ようとしたんだよ。月

「烏貝」カラスのように黒っぽいく見えるからだろう。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のチョウセンハマグリのページの九個体が写っている写真の一番右端の個体が海水中にいるときは、黒く見えましょうぞ。前の「馬刀(バタウ)・ミゾ貝・カラス貝・ドフ(ドブ)貝 / カラスガイ」の斧足綱イシガイ(石貝)目イシガイ科カラスガイ(烏貝)属カラスガイ Cristaria plicata とは何の関係もありんせん!

「六々貝合和哥」「ろくろくかひあはせわか」は複数回既出既注。潜蜑子(かずきのあまのこ)の撰になる元禄三(一六九〇)年刊の、当時辺りから流行った三十六歌仙に擬えた歌仙貝選定本。三十六品の貝と、それぞれの貝名を詠みこんだ和歌三十六首を選んだもの。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここで見られる。

   *

   左十七 はまぐり

「山家」

  今そしるふたみの浦のはまくりを 西行

  貝あはせとそおほふなりけり

   *

言わずもがな、「思ふ」ではなく、「覆ふ」が正しい。まあ、崩しの判読の最も難しい「ほ」と「も」で仕方がないにしても(実際、ぱっと見で私も「も」にしか見えなかった)、和歌として「思ふ」じゃ意味が通ぜんだろ? 一抹もそれを感じなかった梅園は、かなりイタいぞ! 本歌については私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 掉尾 蛤のふたみへわかれ行く秋ぞ』の注を見られたい。珍しく拙訳も記しておったわ。

「壬辰(みづのえたつ)八月十四日」天保三年。グレゴリオ暦一八三二年九月十四日。]

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