毛利梅園「梅園介譜」 龜鼈類 朱鼈(セニカメ)二種 / ニホンイシガメの幼体及びやや成長した若い個体
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした(右丁は前の「タイマイ」の解説)。実は、次の見開きには、「緑毛龜【「ミノカメ」。】」と記してあるのだが、図も解説もない。梅園が描いたものを挿入するつもりで、結局、絵も解説も描かず終わったものらしい。流石に画像は示さず、リンクのみにする。なお、この「緑毛龜」=「ミノカメ」というのは、「簑龜(みのがめ)」であり、それについては、前の「タイマイ」の「簑亀」の注で私が述べた以外には言い添える内容がない。そちらを見られたい。]
朱 鼈 【「ぜにかめ」。】二種。
浮游の圖
壬辰(みづのえたつ)八月廿八日、之れを捕らへ、眞写す。
[やぶちゃん注:以下、下方の小さな個体の方の写生クレジット。]
甲午(きのえむま)八月九日、之れを捕らへ、眞写す。
[やぶちゃん注:これは、既出の日本固有種である半淡水棲の陸カメである、
爬虫綱カメ目潜頸亜目リクガメ上科イシガメ科イシガメ属ニホンイシガメ Mauremys japonica
の幼体及びやや成長した若い個体である。既に述べた通り、現在、多くの外来種が人為的に放たれて、遺伝子プールが攪乱され、亜種も生じてしまっているが、本来の日本固有種は、このニホンイシガメと、イシガメ科ヤマガメ属リュウキュウヤマガメ Geoemyda japonica の二種のみである。「鼈」は「スッポンだろ?」と言う向きには、では、「ずっと古えから本草学で用いられている魚鼈(ギョベツ)たぁ、魚とスッポンだけかいな?」「鼈甲(ベッコウ)たぁ、スッポンから採れるんかね?」と反論しよう。「鼈」は広義のカメ類やウミガメを指す語でもあるのである。ここは前者で、「朱鼈」は「赤いカメ」の意に過ぎない。ニホニシガメの『背甲の色彩は橙褐色、黄褐色、褐色、灰褐色、暗褐色などと個体変異が大きく、一部に黄色や橙色の斑紋、暗色斑が入る個体もいる』と当該ウィキにあるので、赤くても何ら、問題はない。下方は同じニホンイシガメの幼体である。真の本邦の「銭亀」=「ゼニガメ」である。「あれって、クサガメの子じゃないの?」と言い返す御仁には、こう答えよう。「上で俺は日本固有種は二種だけだっていったでしょうが! これはね、クサガメの子である可能性は極めて低いんだな。」ってね。ウィキの「クサガメ」を見られたいが、クサガメは『日本の個体群に関しては化石の発見例がな』く、『最も古い文献でも』二百『年前に』やっと『登場し』、しかも『江戸時代中期以前には本種に関する確実な記録がな』く、『江戸時代や明治時代では』、『希少で』、『西日本や南日本にのみ分布するという記録があることなどから、朝鮮半島から人為的に移入されたと推定されている』とあるのだ。毛利梅園は旗本だ。江戸から簡単には出られない。本図の個体は、上が遊泳している成体個体の絵だ。下の子もへなってなくて、元気そうじゃないか。これが西日本から梅園のもとへ、わざわざ奇特な御仁が生きながら持ってきた可能性はないとは言えないけれど、下の可愛い子の甲羅の形状は、当時は稀種であったクサガメとは、違うと思うね。立派なニホンイシガメだ。後ね、上の個体、左右の喉甲板の間と、左右の肛甲板の間に切れこみが入ってるよね? クサガメにはこれはないんだ。だから、これも立派なニホンイシガメの若者なんさ!
「壬辰八月廿八日」天保三年。グレゴリオ暦一八三二年九月二十二日。
「甲午八月九日」天保五年。グレゴリオ暦一八三四年九月十一日。]