萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 神に捧ぐる歌 爪
神に捧ぐる歌
夢みるひと
あしきおこなひをする勿(なか)れ
われはやさしきひとなれば
よるも楊柳(やなぎ)の木影(こかげ)にうち伏(ふ)し
ひとり居(ゐ)てダビテの詩(うた)をうたひなむ
われは巡禮(じゆんれい)
悲(かな)しき旅路(たびぢ)にあるとも
わが身(み)にそへる星(ほし)をたのみて
よこしまの道(みち)をな步(あゆ)みそ
たとしへなく寂(さび)しけれども
よきひとはみなかくある者(もの)ぞかし
われはいとし子(ご)
み神(かみ)よ、めぐみをたれさせ給(たま)へ
爪
夢みるひと
靑(あを)くしなへる我(わ)が指(ゆび)の
リキユール、グラスにふるゝとき
生(うま)れつきとは思(おも)へども
佗(わび)しく見(み)ゆる爪形(つめがた)を
さしも憎(にく)しと思(おも)ふなり
[やぶちゃん注:孰れも大正二(一九一三)年十月十二日附『上毛新聞』に発表されたもので、しかも草稿でも近接位置にある親和性の強い詩篇なので、二つ纏めて電子化した。但し、ペン・ネームがそれぞれに配されてあったかは確認出来ないので、仮にそれぞれに附しておいた。
・「ダビテの詩(うた)」「旧約聖書の「詩篇」のこと。イスラエル王国第二代の王ダビデ(在位・紀元前一〇〇〇年頃~紀元前九六〇年)以前(紀元前十一世紀)からマカベア期 (紀元前一世紀)までの長期に及ぶ歌を収集したもので、作者はその多くがダビデに帰せられているものの、実際には共同体の祭儀のためにエルサレムの祭司などが作ったものらしい。主流をなすものは神への賛美であるが、嘆願の歌が最も多い。「ヨブ記」とともに私の好きな旧約の一篇である。
まず、前者「神に捧ぐる歌」の草稿は「習作集第九巻(愛憐詩篇ノート)」にある同じ標題の以下である。
*
神に捧ぐる歌
あしきおこなひをする勿れ
われはやさしきひとなれば
よるも楊柳(やなぎ)の木影にうち伏し
ひとり居てダビテのうたをうたひなん
われは巡禮
悲しき旅路にあるとも
わが身にそへる星をたのみて
よこしまの道をな步みそ
たとしへなく寂しけれども
よきひとはみなかくある者ぞかし
われはいとし子
み神よめぐみをたれさせ給へ
*
次に、後者「爪」の草稿は同前のノートにある「小曲集」の中の一篇であるが、この「小曲集」は前の「神に捧ぐる歌」の草稿の直前に配されてある。なお、それは既に『萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 秋日行語』の注で全篇を電子化してあるので参照されたい。その「Ⅳ」が本篇の草稿である。]
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