萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 君が家
君が家
萩原美棹
あ〻戀人の家なれば
幾度そこを行き〻づり
空しくかへるたそがれの
雲つれなきを恨みんや
水は流れて南する
ゆかしき庭にそ〻゙けども
たが放ちたる花中の
艷なる戀もしらでやは
垣み見ゆるほほづきの
赤きを人の唇に
情なくふくむ日もあらば
悲しき子等はいかにせん
例へば森に烏(からす)なき
朝ざむ告ぐる冬の日も
さびしき興に言(こと)よせて
行く子ありとは知るやしらずや
ああ空しくて往來(いき〻)づり
狂者(きやうさ)に似たるふりは知るも
からたちの垣深うして
君がうれいのと〻゙きあへず。
[やぶちゃん注:明治三七(一九〇四)年十二月号『白虹』(本来は短歌をメインとした雑誌と思われる)に発表。萩原朔太郎満十八歳。
・「行き〻づり」ママ。最終連一行目も同じくママ。底本校訂本文は「行ききずり」。「行き過ぎり」の意。
・「ゆかしき庭」「静謐で落ち着いた庭」に「訪ねたい女のいる家の庭」の意を掛けていよう。
・「そ〻゙けども」ママ。校訂本文は「そそげども」。この踊り字に傍点を組み合わせるのを選び、しかも前を「そ」とする植字工はそうはいない。原稿の誤りの可能性が高いか。
・「垣み見ゆる」ママ。校訂本文は「垣間み見ゆる」。
・「赤きを人の唇に」校訂本文は「赤きを人の脣に」。こういう正字消毒が私が筑摩版全集に対して嫌悪するものなのである。私は生理的に「にくづき」のこの漢字は自分では絶対使わない。気持ちが悪いからである。唇が爛れて内側がめくれて見えているみたような気がしてならないからである。
・「狂者(きやうさ)」古語としては「風雅に徹した人・風狂の人」や「ふざけたことを言う人」・「狂言師」の意があるが、ここは文字通りの「狂人」「大馬鹿者」の意。但し、「狂者(きやうさ)に似たるふり」で「佯狂」(ようきょう)の意で用いている。「者」を「さ」と読むのは古語の「從者(ずさ)」で普通に知られる。
・「うれい」ママ。
底本の編者注及び同全集年譜(第十五巻)によれば、本篇は後の『靑蘭集』(明治三九(一九〇六)年九月十五日発行。柏原奎文堂刊。この本は雑誌『白虹』に掲載された詩を集めた入澤凉月の編になるアンソロジーで、他に川路柳虹・三木露風ら萩原美棹を含めて二十八名の詩を収録している)に再録されたものには異同があるとある。その通りに変更したものを示す。
*
君が家
萩原美棹
あ〻戀人の家なれば
いたびそこを行きふり
空しくかへるたそがれの
雲つれなきを恨みんや
水は流れて南する
ゆかしき庭にそゝげども
たが放ちたる花中の
艷なる戀もしらでやは
垣み見ゆるほほづきの
赤きを人の唇に
情なくふくむ日もあらば
悲しき子等はいかにせん
例へば森に烏(からす)なき
朝ざむ告ぐる冬の日も
さびしき興に言(こと)よせて
行く子ありとは知るやしらずや
あゝ空しくて往來(いきき)づり
狂者(きやうさ)に似たるふりは知るも
からたちの垣深うして
君がうれいのど〻きあへず。
*
最終行で、がっくり、だな。]
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