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2022/02/16

狗張子卷之四 木嶋加伯

 

[やぶちゃん注:今回の挿絵も状態が最もよい現代思潮社版のそれをトリミングして適切と思われる箇所に挿入した。なお、底本(昭和二(一九二七)年刊の日本名著全集刊行會編になる同全集の第一期の「江戶文藝之部」の第十巻である「怪談名作集」)の本文は「木島」であるものの、「目錄」では「木島」が「木嶋」であり、参考にしている早稲田大学図書館「古典総合データベース」の原板本の本文(早稲田大学図書館蔵)も、所持する現代思潮社版も、また、江本裕氏の論文「『狗張子』注釈(三)」(『大妻女子大学紀要』一九九九年三月発行・「大妻女子大学学術情報リポジトリ」のこちらから同題論文の総て((一)~(五))がダウン・ロード可能。本文は大妻女子大学蔵後印本底本)でも、総てが「木嶋」であることから、特異的にそちらに総てを訂した。

 

   ○木嶋加伯(こじまかはく)

 京都誓願寺本堂の南のかたに、隔子(かうし)の内に佛壇をかまへ、地獄の變相(へんさう)を繪圖にあらはして懸けたり。安養寺とかや、名づく。

 京田舍の子どもの死たる、その衣類、または、もてあそびしものを、

「家におきて見るも、かなしく、親の思ひの堪えがたさに、こゝにおくりて、佛に奉り、せめて、なげきをわするゝや。」

と、ものすれども、恩愛のうれひは、いやまさるなり。

 或る人、いとほしき子におくれて、かなしさのまゝ、その子の衣(ころも)を安養寺につかはして、佛にくやうし、後《のち》にまいりて、是をみるに、撫子(なでしこ)を摺縫(すりぬひ)にしける衣なりけり。淚とともに、かくぞ、よみける。

 なでしこの花の衣はうつ蟬の

    もぬけし殼とみるぞかなしき

 元和《げんな》年中に、長門(ながとの)國萩(はぎ)といふ所に、木嶋加伯とて、慾心無道の人、此人、世には、

「黃金(わうごん)五千兩の分限(ぶげん)。」

とぞ沙汰しける。

 孫に、子、ありしかども、みな、死にはてゝ、今は、家をゆづるべき女子(によし)だにも、なし。

 年は、かたぶきぬ。夫婦、

「只、うき世の思ひでに、心のまゝに、たのしみをきはめ、年を、あそび暮し侍べらん。」

とて、めづらしき肴(さかな)、名ある酒をもとめ、腹に飽き、醉《ゑひ》に和(くわ)しながらも、他人には、あたへず、ふうふのみ、ひたひをあはせて、飮み食ひて、たのしみとす。

 

Kojimakahaku

 

 其夜、鬼のかたちのごとくなるもの來りて、夫婦の喉(のんど)をつかみて、いはく、

「汝、いかなれば、我らの脂(あぶら)をしぼり、剝ぎとりける金銀をもつて、身のえいえうにつかひすつる事の、惡(にく)さよ。」

と、いふを、加伯、

「今より、肴を、くはじ。酒をも、のむべからず。衣類の美をも、かざるまじ。家をも、つくるまじ。わびてすむ身とおなじものにして、世をすごすべし。」

と、さまざま、怠狀(たいじやう)するに、鬼は、立ちのく、と、おぼえて、夢のやうに覺(さめ)ながら、猶、おもかげは、はなれず、おそろしさ、かりぎなし。

 これより後も、若(もし)は、花の下(もと)、月の前に、肴をもとめ、酒をおきて、興を催し、あそばんとすれば、鬼、又、きたりて、責め、いかりければ、加伯、いまは、せんかたなく、ある貴(たつ)とき僧に逢ふて、この事を、かたる。

 僧のいはく、

「それ、大欲をもつて、理(り)の外《ほか》の財寶をむさぼるものは、佛の道にそむき、神の諚《おきて》に、たがふ。天地の中に我身をたつる所なく、その守りを失なふが故に、禍(わざはひ)、かならず、來り、惡鬼(あくき)、すなはち、つきそふをもつて、よこしま、いよいよ、かさなり、もろもろのうれへ、悲しみ、絕《たゆ》る事、なし。只、慈悲をもつて、物をめぐみ、『佛・ぽふ・僧』の三寶(《さん》ぼう)をうやまひ、信(しん)をおこして、後(のち)の世の事、よく、もとめて、何事をも、むかしをくやみ、今の心をあらためられよ。」

と、ねんごろにすゝめられければ、夫婦ながら、心とけて、年比(としごろ)の事を懺悔(さんげ)し、それより、都にのぼり、誓願寺にまいり、堂塔を修造(しゆざう)し、一心念佛の行者となり、安養寺にかけられたる地ごくの變相を見て、いよいよ、後世を大事と思ひ、夫婦ながら髮(かみ)をそり、すなはち、夫婦の座像をつくらせ、壇上に、たておきたり。

 今も猶、その有さまをかたりつたへて、木像をみるにつけて、發心する人もあり、とかや。

[やぶちゃん注:「木嶋加伯(こじまかはく)」不詳。但し、私は「伽婢子」以来、原拠考証は扱わない原則だが、本篇の典拠は前掲の江本氏のそれによれば、先に出した元禄二(一六八九)年板行の説話集「本朝故事因緑集」(著者未詳)の第二巻の五十四の「長門國木嶋加伯(コジマカハク)利慾(リヨク)因果(イングワ)」であるとあるから、そこからそのまま引いた名に過ぎないことが判る。「国文学研究資料館」公式サイト内の原板本の当該部でリンクさせておく。先のものもそうだが、種本のインスパイアという強いオリジナリティはあまり見られない。各シークエンスを膨らまして、映像的に見せる手法は了意の得意なところとして評価出来るが、「伽婢子」の頃の鮮やかな換骨奪胎の力量に明らかな減衰が感じられ、ちょっと寂しくはある。

「京都誓願寺」現在の京都市中京区新京極通にある浄土宗西山深草派総本山である深草山誓願寺。本尊は阿弥陀如来。

「隔子(かうし)」「格子」に同じ。

「安養寺とかや」「名づく」ところの「誓願寺本堂の」境内の中の「南のかた」と読めるので、誓願寺の庵か塔頭(附属する小寺か末寺)と読めるが、江本氏の注には、『未詳。『京羽二重』四の誓願寺の条に塔頭十八、末寺六が載るが、安養寺の寺社名はない。『雍州府志』四「安養寺京極三条南ニ在り、浄土宗西山流之内西谷派ナリ」を指すか。現中京区新京極通蛸薬師下ル東側。浄土宗西山禅林寺派。』とあり、この附近で、現在の誓願寺から南南東に二百メートル圏内であり、ウィキの「誓願寺」によれば、天正元(一五七三)年の『火災で荒廃していたが』(前史・宗旨変遷はリンク先を読まれたい)、天正一九(一五九一)年二月には『豊臣秀吉の命を受けて現在の新京極へ移転し、秀吉の側室であった京極竜子(松の丸殿)とその生家の京極氏から広い敷地が与えられた。京極竜子は堂塔の再興にも尽力し、木食応其の勧進もあって慶長』二(一五九七)年三月に『落慶法要が行われ、高野衆』五十『人が参列したという』。『安永年間』(一七七二年~一七八一年)『には塔頭』十八『ヵ寺の他、三重塔まで存在し、境内には芝居小屋、見せ物小屋』まで『立ち並』ぶという盛況であった『が、天明、弘化、元治年間に三度』の大火を蒙り、『さらに明治維新とそれに続く廃仏毀釈』、明治五(一八七二)年から『始まった新京極通の整備で寺地を公収され』、『境内は狭隘となった』とあるから、その今はなき安養寺は西山派とあるが、誓願寺は嘗て西山派が発祥・発展した寺院でもあり、誓願寺が現在、西山深草派で異なって見えても、なんら問題はない。

「ものすれども」「物す」平安以降の汎用代動詞。ここは「そのような形で『供養』と称して亡き愛児の物を遠ざけたものの」の意

「摺縫(すりぬひ)」「縫摺(ぬひずり)」刺繍に摺り絵(染め草又は染料を摺りつけて模様を表わすこと)を加えた装飾。

「なでしこの花の衣はうつ蟬のもぬけし殼とみるぞかなしき」江本氏注に、『典拠未詳。撫でるように可愛いがった幼い我が子に先立たれ、撫子の花模様を摺縫いにした子供の着物が、この世に残された抜殼のように見えて一層哀しいことだ、の意。』とある。

「元和《げんな》年中」慶長の後で、寛永の前。一六一五年から一六二四年まで。徳川秀忠・家光の治世。

「分限(ぶげん)」分限者。金持ち。

「我らの脂(あぶら)をしぼり、剝ぎとりける金銀をもつて」この鬼形(きぎょう)のそれは、放蕩三昧をする木嶋に対する庶民の嫉み・怒りが物の怪と化したものと読める。

「えいえう」「榮耀」。ここは「贅沢を蕩尽すること」の意。

「怠狀(たいじやう)」もとは、平安後期から鎌倉時代にかけて罪人に提出させた謝罪状で「過状」とも言った。転じて、「詫び証文」や「過ちを詫びること・謝罪」の意となった。ここは、その後者。

「大欲」「たいよく」「だいよく」で、非常に欲の深いこと。

「『佛・ぽふ・僧』の三寶(《さん》ぼう)」「仏」と、「その仏が説いた教え」と、「その教えを奉ずる僧或いは教団」で、仏法に於いて最も尊ばねばならない三つの宝とされる「三宝」を指す。]

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