毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 光螺(キシヤゴ・キサゴ) / キサゴ(イボキサゴ・ダンベイキサゴをも含む可能性有り)四個体+同属種の殻に入ったヤドカリ(生体)一個体
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。右下部に前の「バイ」のクレジットが侵入しているため、マスキングした。なお、本図にはクレジットがない(これについては注で考証した)。]
「閩書(びんしよ)」
光螺(クワウラ)【「きしやご」。大なる者を、國俗、「だんべいきしやご」と云ふ。】
細蠃(サイラ)○【「きさご」。】
其の身、蝦に似て、よく歩行す。
[やぶちゃん注:これは、
腹足綱原始腹足目ニシキウズガイ科キサゴ亜科キサゴ属キサゴUmbonium costatum
同属イボキサゴUmbonium moniliferum
或いは、大型種である、
同属ダンベイキサゴ Umbonium giganteum の若年個体
と同定される。小学館「日本大百科全書」の奥谷喬司先生の「キサゴ」の解説によれば、漢字表記「喜佐古」「細螺」「扁螺」で、『地方によってキシャゴ、シタダミ、ゼゼガイ、ナガラミなどの地方名がある。北海道南部以南の日本全土から台湾、中国沿岸に分布し、外洋の浅海砂底に群生する。普通殻高』は二センチメートル、殻径は二・五センチメートル『ほどである。殻は背の低いそろばん玉形で、殻表は光沢が強く、太くて低い螺肋(らろく)がある。灰青色と黄色の絣(かすり)模様の個体が多いが、個体変異が多く、白っぽいものや』、『周縁に淡紅色の帯のあるものなど』、『多様である。体は、足裏が広く』、『後端は』、『とがり、左右に』四『対の上足突起があり』、『触角と柄(え)のある目があって、入水管の入口に触毛がある。潮が引いてくると』、『砂の上に出て』、『活動して餌』『をあさり、干上がると』、『砂中に潜る。産卵期は晩秋で、海中に放卵する。肉は食用とされるが、いくらか苦味がある。殻は貝細工の材料やおはじきなどの玩具』『にする』。『近縁種のイボキサゴU. moniliferumは本種よりやや小形で』、『内湾的環境の潮間帯に大きな個体群をもつ。殻底の臍盤(せいばん)が広いので』、『キサゴとただちに区別がつく。ダンベイキサゴU. giganteumはキサゴといっしょにすみ、大形で螺肋はなく』、『平滑。「ナガラミ」などとよばれて食用にされ、殻は細工用に利用される』とある。なお、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のキサゴのページによれば、「きさご」の「きさ」とは『木目のことで』、『木目状の模様のある巻き貝の意味』とあった。なお、引用はしないが、ウィキの「キサゴ」、及び、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「イボキサゴ」(同種の殻上面の色彩と紋様がいかに多様であるかが判っていただける。また、貝表面に疣状の突起があることからの命名だが、同種には「いぼ」のあるものと、ないものがあり、それ自体は同定の決め手とは全くならない)、そうして、ウィキの「ダンベイキサゴ」をリンクさせておく。孰れの種も、ビーチ・コーミングで採取するのも、また、食べるのも大好きな種である。
さて、右下のヤドカリであるが、ネットのQ&Aの自宅の水槽にいたキサゴの殻に入っているヤドカリの同定依頼の回答記事、及び、サイト「1.023world - ヤドカリパークとマリンアクアリウム -」の以下の種の記載、及び、同サイトの類似の他種の記載を較べて見るに、
異尾下目ヤドカリ上科ヤドカリ科ツノヤドカリ属テナガツノヤドカリ Diogenes nitidimanus
が、一つ、候補とはなろうかとは思われた。
「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。
「其の身、蝦に似て、よく歩行す。」この解説を、虚心に読むに、少なくともこの写生をした際のヤドカリの入ったもの以外は死貝で、しかも、梅園は、これを、その瞬間には、貝とも蝦ともつかぬ生物として捉えていたことが判る。しかし、同じ丁の「蛤蚌類 海蠃(バイ) / バイ」の解説で、梅園は『小螺ハ「バイ」ニモカギラズ、「河貝子(ニナ)」、「鳴戸ボラ」、「寄生蟲(ヤトカリ)」、ナトノ螺ノ小ナル惣名也』と述べており、さらに本篇では本種を正規の「蛤蚌類」パートに入れ、また、本図譜のずっと後にも、今一度、今度は「ダンベイキシアゴ」として「貝」として描いているから、彼がヤドカリ類を認識していなかったわけではなく、本種も立派な貝(エビの仲間が貝のような甲羅を持ったものではなく、である)として認識していたことは、確かである。このやや不審な書き方は、やや手が滑ったものと見るべきか? 或いは、キサゴ類の殻の上面が整然とした石畳状で、色彩の個体変異が甚だしいところから、昔、描いた時(だからクレジットがない(忘れた)のではないか? そう考えて見た時、この丁でこの「キシヤゴ」の絵が立体感に欠けており、他の絵に見劣りすることが判り、これは、まだ、絵の勉強をちゃんとしていない頃のものではないか? 但し、生きたヤドカリの頭部部分は頑張って描いているとは思う)、若き梅園の頭を、ちらと、『この貝のようなものは、実は、エビめいたこの生き物が自分で作り上げた自前の殻なのではないか?』と、乏しい知識の中で誤認した可能性がなかったとは言えない。そうした過去の印象が記された記録として読むことも可能であろう。いや、その方が腑に落ちるのである。]