毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 招湖・望湖・ウシヲマネキ / 解説はハクセンシオマネキ或いはシオマネキ(図は激しく不審でイワガニかその近縁種か?)
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。左のナマコ二個体は既にこちらで電子化注してある。以下、漢名中の「湖」は総てママ。「潮」の誤り。このキャプション、異様に誤字が多い。]
招湖 望湖
「うしをまねき」
「海物異名記」に曰はく、『蟹の小なる者。湖(しほ)の頭來[やぶちゃん注:「到來」の誤字。]に遇ふ毎(ごと)に、穴を出でて、螯(はさみ)を舉(あ)げて、之れを迎ふ。「招湖子(しやうてうし[やぶちゃん注:読みは「潮」と読み換えておいた。])」と名づく。』と。
海邉の沙地に穴を堀[やぶちゃん注:ママ。「掘」の誤字。]り居(ゐ)て、湖をうかゞひ、出でて、小魚(こうを)の苗(こ)を食ふ。湖、至れば、両(りやう)の螯(はさみ)をあげ、望む。故に「うしをまねき」と云ふ。
丙申(ひのえさる)春三月三日、洲先の砂にて、之れを捕り、眞寫す。
[やぶちゃん注:これは、記事だけを見ていると、
短尾下目スナガニ上科スナガニ科スナガニ亜科シオマネキ属シオマネキ Uca arcuata
或いは、
ハクセンシオマネキ Uca lactea lacteal
となるが、シオマネキ類は分布が西日本や南西諸島に偏位しており、図の蟹の鉗脚の肥大がしょぼいことと、甲羅が、一切、赤みを帯びていないこと、採取場所が「洲先の砂」干潟とあるのは、思うに、現在の神奈川県横浜市金沢区洲崎町(グーグル・マップ・データ。以下同じ)と考えられることから、ハクセンシオマネキと採るしかない。にしても、図二個体は眼柄が、全然、立ち上がっておらず、鉗脚もいかにも小さいし、そもそも甲羅の形状がシオマネキらしくないという大不審がある。しかし、梅園は、この時ではないかも知れぬが、ウェイビングを視認しているような書き方をしており、解説は完全にシオマネキ類を指しているのである。だが、以上の不審箇所に全部目を瞑っても、それでも、なかなかに採集地が悩ましい(梅園は旗本なので、容易に江戸を出られない。許可を得て、日帰りの近場ならば、許されたようであり、この洲崎はまさにその条件をクリア出来る、フィールド・ワーク好きの梅園にとって、格好の場所とは言える)。所持する複数の海岸動物の専門書を見ても、北限を相模湾とするものが殆んどであるが、ウィキの「シオマネキ」(属)が、『神奈川県以西』とするのが、まずは、頼りとはなる。そこで幾つかの学術論文を縦覧したところ、伊藤寿茂・北嶋円(まどか)・植田育男共著になる論文「神奈川県江の島の陸域および淡水域におけるカニ類の分布」(PDF・『神奈川県自然誌資料』三十二・二〇一一年三月発行)に、『相模湾沿岸部で確認されている半陸棲カニ類』としてハクセンシオマネキが挙がっており、末尾の「引用文献」の中に、工藤孝浩・山田陽治氏の同『資料』の二十一に載る論文「三浦半島, 江奈湾干潟におけるハクセンシオマネキの出現」というのがあった。これである(PDF)。発見は一九九九年六月二十九日で、論文には二枚の同個体の写真が載る(但し、最後で人為的に放たれた可能性を否定出来ないとは言っておられる)。江奈湾干潟はここである。洲崎までは現在の海岸線計測で四十キロメートルほどである。ウィキの「シオマネキ」(属)から、一部を引用しておく。『シオマネキ(潮招、望潮)は』、♂の『片方の鋏脚(はさみ)が大きくなることで知られる分類群である』。『横長の甲羅をもち、甲幅は』二センチメートル『ほどのものから』四センチメートル『に達するものまで』、『種類によって差がある。複眼がついた眼柄は長く、それを収める眼窩も発達する。地表にいるときは眼柄を立てて周囲を広く見渡す。歩脚はがっちりしていて逃げ足も速い』。♂の『片方の鋏脚と』、♀の両鋏脚は『小さく、砂をすくうのに都合がよい構造をしている』。『成体の』♂は『片方の鋏脚が甲羅と同じくらいまで大きくなるのが特徴で、極端な性的二形のため』、雌雄は『簡単に区別がつく。鋏脚は個体によって「利き腕」がちがい、右が大きい個体もいれば』、『左が大きい個体もいる。生息地では』♂『達が大きな鋏脚を振る「ウェービング(waving)」と呼ばれる求愛行動が見られる。和名「シオマネキ」は、この動作が「潮が早く満ちてくるように招いている」ように見えるためについたものである。英名“Fiddler crab” の“Fiddler”はヴァイオリン奏者のことで、やはりこれもウェービングの様子を表した名前といえる』。『中国では、古来から「招潮子」(潮を招くもの)の名称で知られており』(以下は私が独自に原本に当たって書き換えた)、北宋初期に李昉らによって編纂された類書(百科事典)「太平御覽」の巻百三十に「臨海異物志」と「嶺表錄異」で引く「招潮」には(「中國哲學書電子化計劃」のここと次の影印本(右の機械電子化はデタラメ)を視認した)、
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招潮
「臨海異物志」曰、『招潮、小如蟛螖、殼白。依潮長背、坎外向舉螯。不失常期。俗言「招潮水。」也。』。
「嶺表録異」曰、『「招潮子」亦、蟛蜞之属。殼帶白色、海畔多潮欲來、皆出坎舉螯、如望。故俗呼「招潮」也。』。
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招潮(せうてう)
「臨海異物志」に曰はく、『「招潮」は小にして蟛螖(ぼうこつ)のごとし。殼、白し。潮に依り、長く背(せのば)し、坎(あな)の外に向ひて、螯(はさみ)を舉ぐ。常にして期を失せず。俗に「潮水を招く。」と言ふなり。』と。
「嶺表録異」に曰はく、『「招潮子(せうてうし)」も亦、蟛蜞(ぼうき)の属にして、殼、白色を帶ぶ。海畔(かいはん)にて、多く、潮の來らんを欲せば、皆、坎を出でて、螯を舉げ、望むがごとし。故に俗に「招潮」と呼ぶなり。』と。
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「蟛螖」は小型の蟹を指し、「蟛蜞」は概ねイワガニ科 Grapsidae に属する小型の蟹或いは淡水蟹を指す。(引用に戻る)『熱帯・亜熱帯地域の、河口付近の海岸に巣穴を掘って生息する。種類ごとに好みの底質があり、干潟・マングローブ・砂浜・転石帯でそれぞれ異なる種類が生息する。巣穴は通常満潮線付近に多く、大潮の満潮時に巣穴が海面下になるかどうかという高さにある。潮が引くと』、『海岸の地表に出てきて活動する。食物は砂泥中のプランクトンやデトリタスで、鋏で砂泥をつまんで口に入れ、砂泥に含まれる餌を濾過摂食する。一方、天敵はサギ、シギ、カラスなどの鳥類や沿岸性の魚類である。敵を発見すると』、『素早く巣穴に逃げこむ』。『海岸の干拓・埋立・浚渫などで生息地が減少し、環境汚染などもあって分布域は各地で狭まっている。風変わりなカニだけに自然保護のシンボル的存在となることもある』とある。因みに、寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類」では、
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てぼうがに
獨螯蟹
【一(かた)手の者、俗に呼びて「手亡」と名づく。此の蟹、一螯なる故、「手保宇蟹」と名づく。】
△按ずるに、小蟹に似て、色、白く一螯なる者。紀州和歌の浦に多く之有り。人を見ては、則ち走りて穴に入る。「本艸〔=「本草綱目」〕」に『「獨螯」なる者、毒有り、食ふべからず。』と云ふ者は、是なり。
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とあり、また、貝原益軒の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 蟹(カニ類総論)」では、
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「田ウチガニ」あり。是れ、「本草」に謂ふ所の「沙狗(サク)」なり。斥地にあり、人を見て走る。食ふべからず。
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と出るのが、シオマネキである。良安は大坂城入医師であり、益軒は福岡藩侍医であるから、シオマネキを実見出来た。なお、私が親しくシオマネキ類を自然状態で実見したのは、日本ではなく、修学旅行の引率で行ったオーストラリアの、ケアンズの砂浜の外れの排水溝でであった。対象は本邦の南西諸島に分布するヒメシオマネキ Uca vocans に近い種だった。「臨海博士、グリーン島にて海外デビュー!」を見られたい。
しかし……この図……やっぱりどう見ても――ハクセンシオマネキ――じゃあ、ない。敢えて言うなら、
図はイワガニ上科モクズガニ科 Varuninae 亜科イソガニ属イソガニ Hemigrapsus sanguineus
辺りって感じなんだよな…………さらに――言ってしまうと、例の梅園が前回、怪しいことをしていると指摘した、栗本丹洲の「栗氏千蟲譜」の「卷十」に、実は――「招潮」「望潮」とした、しょぼいおよそシオマネキには見えないちんまい蟹二個体が描かれているんだな、これが――なんか、ここも怪しいって感じなんだ、な…………
「うしをまねき」「潮招(うしほまね)き」。歴史的仮名遣は誤り。
「海物異名記」南唐の陳致雍に「晉江海物異名記」というのがあるが、これか? よく判らぬ。
「小魚(こうを)の苗(こ)を食ふ」上記引用の通りで、シオマネキなら誤認。しかし、イソガニなら、食う。
「丙申春三月三日」天保七年。グレゴリオ暦一八三六年四月十八日。]
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