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2022/02/20

筑摩書房「萩原朔太郞全集」(初版)「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 始動 / 絕句二篇 感謝 古盃

 

[やぶちゃん注:本ブログでは既にカテゴリ「萩原朔太郎」及び「萩原朔太郎Ⅱ」によって、既刊単行詩集(諸出版社の生前の萩原朔太郎監修による作品集にのみに所収した詩篇を含む)の正規表現版を総て電子化注し終えている。されば、萩原朔太郎が生前に単行詩集に収録しなかった詩篇を筑摩書房「萩原朔太郞全集」(初版)の初出形の正規表現版(誤字・誤植を含む)で、以下、ゆるゆると電子化注を開始し、私の憂鬱を完成させることとする。

 底本は基本を筑摩書房「萩原朔太郞全集 第三卷」(昭和五二(五月三十日発行)初版)の消毒されて無菌化されてしまった校訂本文の下に、ポイント落ちで示された〈正しい〉初出形を元とする。則ち、正字正仮名で、しかも、異体字は勿論、誤字・歴史的仮名遣の誤り・誤植等も総てそのまま電子化するということである。但し、踊り字「〱」「〲」は正字化した。なお、一部で加工データとして「青空文庫」の「萩原朔太郎」で単体で電子化されている同全集の校訂本文の不完全な正字化ものを利用させて戴いた(例えば、本詩篇の場合はこれこれ)。ここに「感謝」申し上げる。

 誤字や不審な箇所及び躓いた語句に就いては注を附し、時に作詩時の萩原朔太郎について同全集年譜等によって附言する。また、草稿のあるもの、或いは強い関連を認める詩篇(詩作ノートを含む)などに就いても必要があれば言及する。

 標題(題名)は底本では、ややポイント上げであるが、有意に大きくした。ペン・ネームを使用している場合は、仮に標題の次に配した。

 但し、私は既に古くにカテゴリ「萩原朔太郎」で、幾つかの詩篇を気儘にオリジナルに電子化しており、それらは、旧電子化注記事を正規表現に直し、必要に応じて注を添えて修正する仕儀に留めることとし、さらにび「萩原朔太郎Ⅱ」にも含めて、ある詩篇の注の中で必要があって既に電子化注しているケースもあるので、それらは、当該詩篇相当の部分でその旨の記事を挟み、リンクを添えるることで代替することとし、それを以って過去の惨めな私の仕事への幽かな遺愛を表することとするものである。2022220日始動 藪野直史】]

 

 

絕句二篇

                  美棹

 

 感謝

 

野のはて夕暮雲かへりて

しだいに落ちくる夕雲雀の

有心(うしん)の調さへしづみゆけば

かすかに頰(ほふ)うつ香ひありて

夜の闇頒ちる幕(とばり)くだる。

 

自然は地にみつ光なりや

今日はめぐりて山に入れど

見よかの大空姿優(ゆう)に

夜の守月姬宮をいでて

唱ふをきかずや人の子等は。

 

ああ君倦(う)んづる額をあげて

不滅の生命(いのち)をさとり得なば

胸うちたゝいて大神には

讃美と感謝をさゝげてずや。

 

 

 古盃

 

小人若うて道に倦(う)んじ

走りて隱者を得しが如く

今われ山路の歸さ來つゝ

木蔭に形(かた)よき汝をえたり。

表面(おもて)は蛟龍雲を吐はいて

神有(じんう)の秘密をそめて見うや

裏面(うら)には冷人額(ぬか)をたれて

物思(ものも)ひ煩ふなよび姿

才か浰々たる眼(まな)ざしには

工匠(たくみ)が怨(うら)みもこもりけんよ。

こは君逸品(いつぴん)古色ありと

抱いて歸れば有情なりや

味よきしづくの淺紫(せんじ)なるに

け高き千古の春を知りぬ。

 

[やぶちゃん注:明治三七年(一九〇四)年三月発行の『坂東太郞』第三十八号に発表した二篇。同誌は、彼が、当時、朔太郎が在学していた群馬県立前橋中学校の校友雑誌。なお、この年の同月、朔太郎は同中学五年生に落第している。萩原朔太郎は明治一九(一八八六)年十一月一日生まれで、当時は満十七歳であった。

 筑摩書房全集の第十二巻「ノート」の「二」は大正三(一九一四)年から翌四年(詩集『月に吠える』は大正六年二月)にかけて書かれた彼の私物の手書きノートであるが、そこに朔太郎は、既に「月に吠える」の一連の「竹」シリーズの草稿が四篇記されてある、その前に、

   *

   靑い紐

    「線」ノ講義

 絹糸ヨリモ細イ、蜘蛛ノ巢ヨリモズツト細イ、女ノ髮ノ萬分ノ一ヨリモツトモツト細イ、トテモ肉眼デハ見エナイ、顯微鏡デモミエナイ、恐ラクダレニモ見エナイ、ソンナ妙ナモノガ宇宙ニアツテ無限無窮ニ延長シテヰル。諸君コレヲ幾何學上デ「線」ト名ヅケマス。

 私ハソノ敎師ノ靑イ顔ヲ今デモ覺エテ居マス。モシ「線」ナンテモノガ世ノ中ニナカツタラ中學ヲ落第セズニ優等デ卒業ガデキタノデス。私ハ一學期間「線」ニツイテノミ考ヘテ居リマシタ。

 不思議ナ話デスガ、コレハ本當デス。

   *

と朔太郎は記している。

 彼が落第した理由は不明だが、私はこれを読みながら、自身のまさに十七歳の高校時代の一コマを鮮やかに思い出す。私は苦手な数学の授業で、不図、「曲線の傾きを持ちながら、座標軸に確実に近づいて行く漸近線は、どうして永久に接しないのですか?」と教師に質問した時、「無限遠で接するんだよ! お前はそんなことを考えているから、ちっとも数学の成績が良くならんのだ!」と一喝されたことを。私はそう叱られながら、私は内心、『「無限遠で接する」というのは論理的ではない言い方だな? さて。接したように見えても、そこを顕微鏡で見れば、間隙があるだろう。仮想された座標軸にも漸近線にも太さはない。とすれば、その都度、そこを間断なく拡大させ続ければ、それは接しないということになるな。』などと、一人、合点していた自分がいたことを、である。

 本篇は短歌を除く現存する最古の公開詩篇とされるものである(彼は前年に本誌や『文庫』『明星』『白百合』に計六十五首(名義は「みさを」「美棹」「萩原みさを」「萩原 朔」「萩原美棹」「萩原朔郞」を投稿しており、他に『新聲』に美文「花あやめ」一篇を「萩原みさを」名義で発表している)。

 

 語注する。まず「感謝」から。

・「頰(ほふ)」ママ。底本校訂本文は「ほほ」。

・「頒ちる」ママ。校訂本文は問答無用で「頒ちて」とする。私はこれは誤植ではない可能性を感じている。萩原朔太郎は偏執的な誤用の繰り返しをよくするからである。

・「優(ゆう)に」ママ。校訂本文は「いう」。

・「夜の守月姬宮をいでて」「よのまもりづき/ひめみやをいでて」であろう。「姬宮」はかくや「姬」の月の「宮」を想起したものか。

・「倦(う)んづる」ママ。校訂本文は「倦(う)んずる」。

 

 以下、「古盃」(「こはい」と読んでいるようである)。

・「小人」後の「隱者を得し」から「せうじん」(しょうじん)。

・「蛟龍」「かうりやう」(こうりょう)。中国古代の想像上の動物。水中に潜み、雲雨に会えば、それに乗じて天上に昇って龍になるとされる。「みずち」・「こうりゅう」(「龍」の「りゆう(りゅう)」は本来は慣用読みで正しくない)。

・「神有(じんう)の秘密」神々のましました神代の秘蹟。

・「そめて」「初めて」であろう。

・「見うや」ママ。校訂本文は「見るや」。

・「裏面(うら)」二字へのルビ。

・「冷人」ママ。校訂本文は「伶人」。楽人。これはひどい誤植だ。

・「なよび姿」なよなよとしたさま。柔らかくしなやかな様子。

・「才か」「才華」。校訂本文も、そう、訂する。「華やかに外に現れた才能・気質・美貌」。

・「浰々たる」ママ。「浰」は音「リ・レン」で「水の流れが速いさま」を言う。校訂本文は「悧悧」。「悧々(りり)たる」は「賢そうな」「小賢しげな」の意。後の「工匠(たくみ)が怨(うら)みもこもりけんよ」からは後者の含みがよい。

・「抱いて」音数律から「いだいて」。

・「淺紫(せんじ)」ルビはママ。校訂本文はルビが「せんし」。薄紫色。

 

 なお、渡辺和靖氏の論文「近代詩史試論―朔太郎の詩を理解する前提として―」(『愛知教育大学研究報告』三十七巻・一九八八年・「愛知教育大学学術情報リポジトリ」のこちらPDFでダウン・ロード可能)の注の「9」で、後者の「古盃」について、『すでに勝田和学氏が「朔太郎の明治期の詩――先行詩摂取をめぐって(上)」(『国文学 言語と文芸』第九四号』・『昭和五八年七月)において指摘しているところであるが』とことわって、『あきらかに』薄田『泣董の「盃賦」に触発されたものである』とされ、本篇を引いた後で(コンマを読点に代えた)、『これで見ると、朔太郎は、象徴を空疎に展開していく藤村→泣董のラインに位置しながらも、泣董のように際限なく物語を拡大するというのではなく、「け高き千古の春を知りぬ。」という最終行に示されるような、ある一点(とりわけ内面の心情)に象徴を凝集させる傾向があるといえる。』と評されておられる。]

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