萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 竹の根の先を掘るひと
竹の根の先を掘るひと
病氣はげしくなり
いよいよ哀しくなり
三ケ月空にくもり
病人の患部に竹が生え
肩にも生え
手にも生え
腰からしたにもそれが生え
ゆびのさきから根がけぶり
根には纎毛がもえいで
血管の巢は身體いちめんなり
ああ巢がしめやかにかすみかけ
しぜんに哀しみふかくなりて憔悴れさせ
絹糸のごとく毛が光り
ますます鋭どくして耐えられず
ついにすつぱだかとなつてしまひ
竹の根にすがりつき、すがりつき
かなしみ心頭にさけび
いよいよいよいよ竹の根の先を掘り。
[やぶちゃん注:大正四(一九一五)年二月号『卓上噴水』に発表された。
・「三ケ月」は「三日月」。
・「憔悴れさせ」は「やつれさせ」と私は二字に当て訓して読む。以下の草稿を見よ。
さて、本篇も「竹」詩篇関連で何回も電子化し、言及もしているのだが、本篇自体の一つの草稿を電子化していなかった。それを以下に示す。筑摩版全集の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』に載る以下の無題のもの二種である。歴史的仮名遣の誤りや誤字は総てママ。
*
○
病氣おもくなりはげしくなり
いよいよ哀しくなり
月は三ケ月そらにうすぐもりにくもり
病人の氣のからだぢう肢體に竹が根え
その肩にも竹が生え
手にも生え
指のさきからも根がけぶり
はだかになれば
迷走神走の血管中にの巢は身體いちめんなり
みよみよすでに
ああすでに哀しみきはまりて
ああじつにおとろへますます哀しみつらくなり
すでにすつぱだかになりて
竹の根にすがりつき、すがりつき、
いよいよいよいよ哀しくなり。
あきらめほそきあきらめ竹の根をのさきを掘
○
病氣はげしくなり、
はつ春ちかく、(いよいよ悲しくなり)
三ケ月空にうすくもり、
病氣の肢體 の患部に に竹が生え、(病入の患部に竹が生え)
肩にも竹が生え
手にも生え
腰からしたにもそれが生え
指のさきから根がけぶり
根には纖毛がけぶりもいで
絹糸のごとく糸毛が光り
血管の巣は身體いちめんなり、
ああ巢がしめやかにはびこりかすみかけ、
しづにしづにそれが自分を
しぜんに哀しみふかくなりて全身わが身を★憔悴//やつれ★させ
[やぶちゃん注:「★」「//」は私が附した。「憔悴」と「やつれ」が併置残存していることを示す。]
ますます、鋭どくしてたえられず
ついにすつぱだかとなつてしまふ へばひ
竹の根にすがりつきすがりつき
いよいよいよ われがさびしく なり なりてなみだぐみ哀しくなり、
あきらめ、あきらめ竹の根の尖を堀り。
絹糸のごとく根毛が光り。
*
なお、萩原朔太郎の病的な広義の竹や竹の根をモチーフとした「竹」関連詩群は、これだけで一冊の研究書や病跡学書が書けるもので、私の記事を集成したものとしては、
の注がよかろうかとは存ずる。見られたい。]
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