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2022/02/20

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 𩲗蛤(アカヽイ) / アカガイ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。左上に近縁種の「朗光(サルボウ)」のクレジットが食い込んでいるのでマスキングした。冒頭に並ぶ漢名異名は総て改行した。]

 

Akagai

 

𩲗蛤(あかゞい)

【古名「きさかい」。】

𩲗陸【「別録」。】

※壟子(グワロウシ)

蚶(カン/きさ)【一つ、「魽」に作る。】

[やぶちゃん注:「カン/きさ」は右/左のルビ。]

※屋子(グワヲクシ)【「嶺表録」。】

伏老(フクラウ)

空慈子(クウジシ)

[やぶちゃん注:「※」は「瓦」の異体字のこれ(「グリフウィキ」)。]

 

「※壟子(グワロウシ)」「※屋子」の名、蚶(あかゞい)。其の殻、※屋根(かはらやね)に似たり。故に名とす。奥州に「蚶泻(きさがた)」と云ふ名所あり。「きさ」の名、古し。「和名抄」に「蚶(きさ)」と云ふ。

「古事記」、「𧏛貝【「きざ」。】」。 男貝(をがひ)【佐州。】

 

壬辰(みづのえたつ)年壬十一月九日、寫(うつ)す。

 

[やぶちゃん注:翼形亜綱フネガイ目フネガイ上科フネガイ科アカガイ Anadara broughtonii

二個体。梅園は「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「蚶(あかがひ)」と、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 蚶(アカガイ)」を参考にしている。特に後者の書き換え感が強い。比較されたい。本図は生貝の殻の様子を非常に巧みに描いていて素晴らしい。

「𩲗」は音・意味ともに不詳。なお、寺島も貝原も「魁」とする。というより、「本草綱目」でも「魁蛤」である。「漢籍リポジトリ」の巻四十六の「介之二」の「魁蛤」(異名で「蚶」と出る)([108-20b])を影印本ともに参照されたい。

「別録」時珍が同書で頻繁に引くもので、漢方医学の最重要古典の一つである「神農本草経」(次注参照)とほぼ同時代(一~三世紀頃)に中国で作られた、同書と並び称される本草書「名医別録」のこと。植物(葉・根・茎・花)は勿論、鉱物・昆虫・動物生薬など五百六十三種の生薬の効能や使用目標などが掲載されている。作者は不詳。原本は散佚したが、六朝時代の医学者・科学者にして道教茅山派の開祖でもあった、「本草綱目」でも出ずっぱりの感のある陶弘景(四五六年~五三六年)が一部を諸本の抜粋から集成し、校訂も加えている。

「呉普」「三国志」で知られる医師華佗の弟子呉普が撰した「呉普本草」。二〇八年から二三九年の間に書かれた。

「※壟子」(「※」は「瓦」の異体字のこれ(「グリフウィキ」))「壟」は「土を小高く盛った所・畝(うね)」の意で、本種の殻表面の四十二本或いは四十三本の強い放射肋を指したもの。

「嶺表録」「嶺表錄異」とも。唐の劉恂(りゅうじゅん)撰になる中国南方の風土産物を図入りで説いた風土・物産誌。

「伏老」「本草綱目」の「魁蛤」の「釋名」の最後に、

   *

伏老【頌(しやう)曰はく、「說文」に云はく、『老いたる伏翼(ふくよく)、化して「魁蛤」と爲(な)る。故に「伏老」と名づく。』と。】

   *

とある。「伏翼」は蝙蝠(コウモリ)のこと。成貝は殻の外側に茶色い毛が有意に生えており、見た目は黒く見えるので、腑に落ちる化生説である。

「空慈子」同じく「本草綱目」の「魁蛤」の「釋名」中に、

   *

案ずるに、「嶺表錄異」に云はく、『南人、「空慈子」名づく。』と。

   *

とある。語源は知らないが、法政大学出版局のシリーズ「ものと人間の文化史」の白井祥平氏の著になる三冊本「貝」(一九九七年刊)の「Ⅲ」の「第二十章 アカガイ(赤貝)類」で人見必大の「本朝食鑑」の「注」で、アカガイの調理法のパートを引き、そこに異名として『シシガヒ』があるのに対して、この「シシガイ」は『慈子貝』で、『わが国でも方言にあるが、アカガイ類のこと』とあった。但し、これは、所持する東洋文庫版の島田勇雄氏の注である。その二にある、向井元升(げんしょう)の「庖厨備用倭名本草」からの引用であった。なかなか面白い話なので、引用しよう。向井元升(慶長一四(一六〇九)年~延宝五(一六七七)年)は医師・儒学者。名を玄松と称したが、晩年に元升と改めた。二十歳で開業し、筑前の黒田侯、続いて皇族の病気を治療し、名声を揚げた。私塾「輔仁堂」を建て、堂内に孔子の聖廟を祀って、儒学を教えた。かの貝原益軒は彼の門人であった。承応三(一六五四)年と明暦三(一六五七)年の二度、幕府の命を受けて通詞を介して長崎在留のオランダ人医師ステビンから西洋医術を聴き取り、「紅毛流外科秘要」(七巻)に纏めて提出した。天文学・本草学にも通じた博物学者であった。「庖廚備用倭名本草」(全十三巻)は加賀藩家老の依頼を受けて纏めた藩主の食膳用の膨大にして子細な参考文献で、動植物食品四百種を和名で記し、薬物の起源・名実の異同を論述した江戸時代最初の本格本草書とされる。没後に刊行された。なお、彼は、かの蕉門の向井去来の実父でもある。国立国会図書館デジタルコレクションの貞享元(一六八四)年板本の当該部を視認して電子化する。カタカナをひらがなに代え、漢文部は訓読し、推定で歴史的仮名遣で読みも添えた。送り仮名・記号・濁点を打った箇所もある。歴史的仮名遣の誤りは総てママである。

   *

魁蛤(くわいかう/あかゞい[やぶちゃん注:右/左のルビ。以下同じ。]「和名抄」に「きさ」。「蚶」の字を用ふ。「多識篇」に「あかがひ」。○元升曰はく、今、俗、皆、「あかゞひ」と云ふ。「きさ」と云ふ名を、しるもの、なし。是れ、物の名の、古今、かはりたるゆへなり。「あかゞひ」の、栗の大きさほどなる殼、あつく、いらか、たかきをば、関東にて、「さるぼう」と云ふ。西国にては、「ししがひ」といふ。其のうちにも、又、大小あり。さて、「あかゞひ」と云ふは、大にして、殼、やや、うすく、いらかも、ひきし[やぶちゃん注:「低し」に同じ。]。「本艸」[やぶちゃん注:「本草綱目」。]を考ふるに、『一名は「蚶(かん)」、一名は「瓦屋(ぐわをく)子」、一名は「瓦聾子(ぐわろうし)」。其のなりあひ、小蛤(せうがう)に似て、まるく、あつし。「臨海異物志(りんかいいぶつし)」に云く。蚶の大きなる者、わたり四寸、背上の溝(みぞ)の文(もん)は、瓦屋(かはらやね)の「うね」のごとし。肉味、極めてよし。今ま浙東以近に海田に是を種(う)ふ。これを「蚶田(かんでん)」と云ふ。糟(かす)にかくして[やぶちゃん注:保存のために「粕漬けにして」の意であろう。]、四方にうりものにす。海中の珍品(ちんひん)たり○元升曰はく、唐人は「ししがひ」をよくあらひ、略(ほぼ)、湯-煮(ゆに)をして、からのひらけざる内に、からながら、座に出(いだ)し、主客、手づから、殼(から)をひらきて、食す。「血液(けつえき)を存して、くすり也。」と、いへり。

魁蛤、味、辛、性、平。毒なし。痿痺(いひ/なゆ しびる)・洩痢便(せつりべん)・膿血(のうけつ)をつかさどる。五臟をうるほし、消渇(しやうけち)をとゞめ、關節を利す。丹石[やぶちゃん注:漢方薬に「辰砂」のことであろう。硫化水銀。]を服すれば、食すべし。瘡腫(さうしゆ)・熱を生ぜず。心腹の冷氣、腰脊の冷氣に、よし。五臟を利し、胃をすくよかにして、よく食せしめ、中(ちゆう)をあたゝめ、食を消し[やぶちゃん注:食物の消化を促進させ。]、陽を起こし、顏色を、ます。あぶり、食すれば、益、あり。○凡そ、食療を用ふるには、食し終はつて、飯を以て、これを、をす。しからざれば、口ちを、かはかす。又、多く食すれば、気をふさぐ。殼は治病の功あり。[やぶちゃん注:この段落は先にリンクさせた「本草綱目」の「魁蛤」の、主に「主治」の部分を和訳したものである。比較されたい。]

   *

「蚶泻(きさがた)」「大和本草卷之十四 水蟲 介類 蚶(アカガイ)」でちょっと面白い注を附してあるので、参照されたい。益軒がそこで象潟に言及しているのは、実は師匠の子が蕉門の知られた去来であることを意識しているようにも見えてきて、これまた、面白いではないか。

『「和名抄」に「蚶(きさ)」と云ふ』「和名類聚鈔」の巻十九「鱗介部第三十」の「龜貝類第二百三十八に(国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを参考に視認して訓読した)、

   *

蚶(きさ) 「唐韻」に云はく、『蚶【「乎」と「談」の反。「弁色立成」に云はく、『和名、「木佐(きさ)」。』と。】蚌の屬、狀(かたち)、蛤(がふ)のごとく、円(まどか)にして厚し。外(そと)に理(すぢめ)の縱橫(じゆうわう)有り。卽ち、今の魽(きさ)なり。

   *

「古事記」「𧏛貝【「きざ」。】」「古事記」の「上つ卷」の、大国主(=「大穴牟遲神(おほあなむちのかみ)」)の有名な「因幡の白兎」の話の直後に出る。前の話のおしまいで、救われた兎が予言した通り、八上比賣(やかみひめ)が八十神(やそがみ)の命令に従わず、大国主と結婚しようとしため、

   *

 爾(かれ)[やぶちゃん注:そのため。後の「故」も同じ。]、八十神、怒りて、大穴牟遲神を殺さむと、共(あ)ひ議(はか)りて、伯岐(ほほき)の國の手間(てま)の山本(やまもと)に至りて云はく、

「此の山に赤猪(あかゐ)在り、故(かれ)、我共(われどち)、追ひ下しなば、汝、待ち、取れ。若(も)し、待ち取とらずば、必ず、汝(なんぢ)を殺さむ。」

と云ひて、火、以つて猪に似たる大石(おほいし)燒きて、轉(まろ)ばし落としき。爾(ここ)に追ひ下(くだ)し取る時、卽ち、其の石に燒き著(つ)かえて死せたまひき。爾(ここ)に、其の御祖(みおや)の命[やぶちゃん注:大国主の母。]、哭き患へて、天に參(まゐ)上(のぼ)りて、神產巢日(かむむすひ)の命(みこと)に請(まを)したまひふ時、乃(すなは)ち、𧏛貝比賣(きさがひひめ)と蛤貝比賣(うむがひひめ)を遣(や)りて、作り活(い)かさせにめたまひき。爾(ここ)に、𧏛貝比賣、きさげ集めて[やぶちゃん注:「きさがひ」の殻を搔き削り集めて。]、蛤貝比賣、待ち承(う)けて、母(おも)の乳汁(ちしる)と塗しかば、麗はしき壯夫(をとこ)と成りて、出で遊-行(ある)きき。

   *

とある「𧏛貝比賣」を指す。これがアカガイであり、「蛤貝比賣」がハマグリである。おらぁ、「古事記」が大好きだね! 海産生物の宝庫だからね! なんたってさ! 本邦の国土開闢の初めに「水母(くらげ)なす」ってんでぇ! おいら、高校生の時に古文で蟹谷徹先生におせえてもらってから、それっきし、文字通り、「痺れ」ちまったんさ!!!

「男貝」これはアカガイが女性の生殖器の似ていることに起因する忌避の反転異名であろう。

「壬辰年十一月九日」天保三年壬辰十一月壬子(みづのえね:月の干支)十五日(参考までに、この日の干支は「丁巳(ひのとみ)」。一八三二年十二月六日。]

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