毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 淺利貝(アサリ) / アサリ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。右下部に先に電子化注した「紅葉貝」の図の一部が食い込んでいるため、マスキングした。]
淺利貝【漢名不詳。】 又 蜊【「あさり」。】
「六々貝合和哥」 左十四番 蜊
伊勢せの浦の汐干にあさりもとめたる
貝をばたもつ身をば捨つ〻
癸巳發春初三日、眞写す。筆始めの図。
[やぶちゃん注:これは、昨今、衝撃的な中国産偽装(輸入した同種のものを、直接、流通に載せ、数日でさえも本邦の砂浜で畜養していなかったのだから、最早、致命的である)店頭から姿を消している、
マルスダレガイ科アサリ亜科アサリ属アサリ Ruditapes philippinarum
であるが、或いは、中にはアサリよりも殻幅・殻の厚み・外套湾入が若干小さい、アサリ属ヒメアサリ Ruditapes variegatus も含まれていないとは言えない。流通では現在も区別していない。それほど、貝の見た目では一般人には判別はつかない。但し、本種は潮間帯から水深五メートルの外洋に面した岩礁域の岩や石などの間の砂地に棲息し(アサリより相対的には棲息域の水深がやや深い)、アサリのようには多量に採取することは出来ないから、まあ、外しておいてよかろう。アサリについては、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 淺利貝」の本文と私の注を参照されたい。今の事態を聴いたら、福岡藩侍医であった益軒は、さぞかし、憤ることであろう。
「六々貝合和哥」「ろくろくかひあはせわか」は複数回既出既注。潜蜑子(かずきのあまのこ)の撰になる元禄三(一六九〇)年刊の、当時辺りから流行った三十六歌仙に擬えた歌仙貝選定本。三十六品の貝と、それぞれの貝名を詠みこんだ和歌三十六首を選んだもの。国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここで見られる。
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左十四 あさり
いせのうらのしほひにあさりもとめたる 光俊
かいをはたもつ身をはすてつゝ
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と、確かにある。これは「新撰和歌六帖」(別名「新撰六帖題和歌」で寛元二(一二四三)年成立)の「第二 佛事」の載るのであるが、しかし、「日文研」の「和歌データベース」の当該歌集」で調べると(01160番)、
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いせのあまのしほひにあさりもとめたる
かひをそまもるみをはすてつつ
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で、整序すると、
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伊勢の蜑(あま)の潮干(しほひ)に淺蜊求めたる
貝(かひ)をぞ守る身ば捨てつつ
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で異なる。「潮干(しほひ)」は引き潮のこと。「貝」には「甲斐」を掛ける。作者は鎌倉時代の公家で歌人の葉室光俊(はむろみつとし 建仁三(一二〇三)年~建治二(一二七六)年。事績は当該ウィキを見られたい。
「癸巳發春初三日」天保四年癸巳一月三日。グレゴリオ暦一八三三年二月二十二日。
「筆始」既出既注。]
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