毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 釜貝 / シュモクガイの後方翼状の欠損破片か
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。ここにある全十六図(同一個体の裏・表でもそれぞれを一つと数えて)は右下方に「此數品武江本鄕住某氏町醫所持見津ㇾ自予寫ヿヲ願カフ故天保五甲午年九月初一日眞寫」(此の數品(すひん)、武江本鄕住(ぢゆう)、某氏、町醫の所持より見つ。予、寫すことを願がふ。故(ゆゑ)、天保五甲午(きのえむま)年九月初一日(しよついたち)、眞寫す。)と、写生対象についての経緯及びクレジットがある。グレゴリオ暦で一八三四年十月三日である。]
「百貝圖」
釜貝
[やぶちゃん注:いかにも奇形で、図もしょぼく、解説もないので、当初は不詳としてペンディングしようと思ったが、ふと、『もしかすると……奇体な形のシュモクガイの仲間の断片では?』と思って調べたところ、どうも、それらしい感じがしてきた。
斧足綱翼形亜綱ウグイスガイ目ウグイスガイウグイスガイ超科シュモクガイ科シュモクガイ属クロシュミセン Malleus malleus
或いは、
シュモクガイ属シュモクガイ Malleus albus
の前後の撞木状部分の欠損したもの、又は、それが翼状には伸びない寸胴の、
シュモクガイ属ニワトリガキ Malleus regula
ではなかろうか? と考えた。同属の学名の画像検索を試みたところ、英文サイト「Natusfera」の「Genus Malleus 」の左から二番目の画像が、まずそれに近く見えたのである。さらに、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「ニワトリガキ」のページの二枚目の左右の殻を外した画像を見て、ますますそれらしく感じた。但し、この最も一致するように見えるニワトリガキの分布は、奄美大島以南で、梅園にこれらを見せた町医者が入手し得る範囲とは思われない点で外さざるを得ないか。そうすると、上記二種の孰れかの翼状部が欠損し、内側表面が摩耗した部分破片ということになろうか。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のシュモクガイのページを見ると判るが、内側は『乳白色と黒紫色の文様が走』り、『とても美しい』とあるからである。クロシュミセンも同様の模様を持つようである。但し、小学館「日本大百科全書」のシュモクガイの奥谷喬司先生の記載によれば、シュモクガイは房総半島以南、クロシュミセンは紀伊半島以南の分布とするので、私は取り敢えず、シュモクガイの破片を最有力候補としたい。無論、西日本の藩や薩摩藩の関係者からクロシュミセン或いはニワトリガキが齎されたという可能性も否定は出来ない。なお、形状やシュモクガイの異名「シュモクガキ」から誤認しそうになるのだが、彼らはこのT字型のまま、海底に横たわって棲息している(所持する「東京大学コレクションⅩⅤ 貝の博物誌」に拠る)。但し、ニワトリガキは、潮通しのよいリーフ水路等の岩礫下の、低潮線直下の岩礁の隙間や転石の裏に足糸によって固着して棲息する(こちらの画像附き解説(PDF)に拠った。なお、そこでは学名を「 Malvufundus regula 」とするが、これはニワトリガキのシノニムである)。
「百貝圖」寛保元(一七四一)年の序を持つ「貝藻塩草」という本に、「百介図」というのが含まれており、介百品の着色図が載る。小倉百人一首の歌人に貝を当てたものという(磯野直秀先生の論文「日本博物学史覚え書Ⅺ」に拠った)が、それか。但し、「貝の和名と貝書」によれば、「浄貞五百貝圖」に「釜介」が載る。但し、孰れも原図を確認出来ないので、本図の種と同じかどうかは判らない。]
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