毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 石决明雌貝(アワビノメガイ)・石决明雄貝(アワビノヲカイ) / クロアワビの個体変異の著しい二個体 或いは メガイアワビとクロアワビ 或いは メガタワビとマダカアワビ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。左下端に場違いな「田螺(タニシ)」の図とキャプションがあるため、マスキングした。右手の標題兼引用を含むそれは、後半部分が三段ほどになり、かなりごちゃついているので、それぞれを別個に引き上げて電子化した。なお、この二図は、実は全く別な折りに写生したものであるので注意されたい(上の図が早く、下の図は、それよりも半年余り後に描かれたものである)。]
「四聲字苑」に云はく、
鰒(フク)【「阿波比(あはび)」。】。魚(ギヨ)[やぶちゃん注:広義の魚介類の意。]の名。蛿(カン/ゴン)に似て、偏にして、石に著(つ)く。肉、乾して食ふべし。青州の海中に出づ。「本草」に云はく、『鮑。一名「鰒」。』と。崔禹錫が「食經」に云はく、『石决明【和名、同上。】は、之れを食へば、心目、聡了(そうれう)たり。亦、石に附きて生ず。故に以つて之れを名づく。』と。
「多識編」
石决明(セキケツメイ)【「あはび」。】 九孔螺(キウコウラ)【「日華」。】 殻を「千里光(センリコウ)」・「鰒魚甲(フクギヨカウ)」と名づく。
蚫(あはび) 「料理綱目」※【「あはび」。】【九孔とて穴の九つ有るを、藥力(やくりき)の上(じやう)とす。或いは七孔の者を用ゆ。十孔以上は用ひず。】
[やぶちゃん注:「※」=「魚」+「変」。]
環(くわん)[やぶちゃん注:毛利梅園の号の一つ。]曰はく、弘景・蘇恭は、「石决明」と「鰒魚」を一物とす。蘇頌(そしよう)と時珍は一種二種と云ふ。本邦、蚫は、二種は無し。此れ、雄(をす)雌(めす)を以つて、二種と爲すか。「鮑-魚(あはび)」は、則ち、「蚫(あはび)」の殻の名なり。
石决明雌貝(「あわび」の「めがい」)
[やぶちゃん注:上図個体への狭義のキャプション。「あわび」「めがい」の表記はママ。]
癸巳(みずのとみ)六月廿九日、眞寫す。
[やぶちゃん注:上図『石决明雌貝(「あわび」の「めがい」)』個体の写生クレジット。]
環、曰はく、「石决明」、雌雄(しゆう)の二種。雌貝(めがひ)は、色、淡い黃色、雄貝(をがひ)は、色、黒緑色。雌雄の貝二つに、貝にて合はせ貝のまゝ、黒燒にして孕婦(はらみめ)、滿つる月の十日前、一度に白湯(さゆ)にて用ふ。乳の出で兼ぬる者、之れを用ゆる。功、有り、妙なり。「本草」に此の功を載せず。
石决明雄貝(「あわび」の「をかい」)
[やぶちゃん注:下図個体への狭義のキャプション。表記は同前。]
甲午(きのえむま)正月廿日、眞寫す。
[やぶちゃん注:下図『石决明雄貝(「あわび」の「をかい」)』個体の写生クレジット。]
「六々貝合和歌」
左十二番
百首
なへてよの戀路にいかで
うつしけん
蚫の貝のをのが思ひを
牡丹花
「前歌仙介三十六品」の内、
伊せのあまの朝な夕なにかつくてう
あわびの貝の片思ひして
[やぶちゃん注:これは、私の標題の通り、候補として頭に浮かんだ順(有力な順ではない)に示すと、
①腹足綱直腹足亜綱古腹足上目原始腹足目ミミガイ科アワビ属クロアワビ Haliotis discus discus の軟体部の脱色或いは白化様個体(上図)と通常個体(下図)
或いは、
②アワビ属メガイアワビ Haliotis gigantea (上図)と、同前のクロアワビ Haliotis discus discus
或いは、
③アワビ属メガイアワビ Haliotis gigantea (上図)と、マダカアワビ Haliotis madaka
とする。
上下両個体が、同時に魚店から持ち込まれて描かれたものであるならば、当時の海女・海人による採取と(ある程度まで水深が同じ場所で採取される可能性が高い。メガイアワビはクロアワビよりも相対的に深い場所に棲息しているから)、江戸での流通(例えば、アワビなら、複数の漁師や仲買人が獲った産地の異なる個体を、一緒くたにして売ることは、当時としてはちょっと考え難いと思う)を考えると、同一海域の同一水深で捕獲されたものと考えるのが妥当であり、前者のクロアワビの、有意に軟体部が白っぽい個体と、通常の黒っぽい個体で問題ないのであるが(摂餌した海藻や棲息場所による個体変異は確かにある)、既に冒頭の注で述べた通り、この二図は、全く別に描かれた生貝或いは死亡直後の個体で、しかもそれは、半年以上も隔たっているものなのである。
加えて、クロアワビの♀♂の違いは、盛んに言われるのだけれども、写真では学術的に信用出来るものが見つからなかった。漁協や販売業者の写真なら、いくらもあるのだが、その有意に白っぽいものが、メガイアワビでないという保証を見出せるものが一つもなかった(彼らは両種をともに漁獲・販売しているからである。「黒あわび」と掲げていても、解説を読むと、メガイアワビも扱っているのである)。
いや、そもそもが、実はクロアワビ♀の腹足部が白いというのは、私は疑わしいものと考えている。相対的に黒味が薄いか、灰色っぽい感じの個体(♀♂の違いではなく、である)は確かにいる。しかし、ウィキの「アワビ」には、そもそもアワビ類の『雌雄の判別は外見からではほぼ不可能で、肝ではなく』、『生殖腺の色で見分ける。生殖腺が緑のものがメスで、白っぽいものがオスである』とあって、実は剖検しない限りは決定的な♂♀の違いは判らないのである)。
さればこそ、例えば、上図の「雌貝」(めがい)の場合、死亡後かなり時間が経過して、外套膜が収縮してしまい(しまっている)、さらに腹足部全体の体色が有意に褪せて白っぽくなった可能性、逆に下図の「雄貝」(おがい)も同様の経時変化を起こして、逆に黒味が濃くなり、内臓や外套膜の初期腐敗が発生し、肉が盛り上がっている可能性も捨てきれない(匍匐帯が雑に黒く塗られており、角度の問題があるが、右手上方に向かって膨れ上がっているようにも見える。生貝で活きがよければ、このような弛んだ様態は、普通、アワビ類は見せないと思う)。それが、ざっくり短縮すると、①の「クロアワビの個体変異の著しい二個体」という比定候補である。
しかし、余りにもこの二図は違いが目立ち過ぎる。されば、そうした死後の軟体部変質による違いという条件を外して、別種として検討するとなら、生貝で腹足が有意に白っぽく見えるメガイアワビを上図に当て、有意に黒っぽいそれをクロアワビに当てるというのが、まあ、妥当な比定ではあろうかと――当初は――考え、それ一本でもいいのではないかとまで経決しかけた。それが、②の「メガイアワビ(上図)とクロアワビ(下図)」という比定候補である。民俗誌的にも、ウィキの「アワビ」にも書かれてあるが、メガイアワビは、供給される産地が限られており、漁獲量や消費量も少ないため、黒いクロアワビ(但し、この場合は語源自体は「殻の色が黒い」のである)の、「雌の貝」と認識されてきた経緯がある。また、メガイアワビは異名を「ビワガイ」とも言うが、これは腹足部がやや明るい黄土色(枇杷色)をしていることに由来している。解説の中で、梅園は「雌貝(めがひ)は、色、淡い黃色」と言っているのとも見事に符合するのである。
ところが、虚心に梅園の図を眺めているうち、一つ、気になること出てきたのである。それは、下図の殻表面に並ぶ開孔部(機能や数は後述する)の隆起が、異様に高く見える点であった。而して、これは、実は、殻長二十五センチメートルを超えるアワビ中の最大種である、
アワビ属マダカアワビ Haliotis madaka
に有意に見られる特徴なのである。「マダカ」は「目高」で、これはその殼表の開孔部の捲(めく)れ上がった周縁部分が、まるで成層火山の噴火口のように高く突き出ていることによるものである(「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のマダカアワビのページの画像を参照されたい)。しかし、或いは、その写真を見ると、「同種は殻全体が高く膨れていて、上から見ると、ひどく丸っこく見えるじゃないか?」と文句を言われる御仁がいるであろう。しかし、下の図をよく見て貰いたい。この個体の殻――実は普通のアワビのような楕円形ではなく――なんだか――実は――ひどく丸く見えはしないか? さても、これが最後の③「メガタワビとマダカアワビ」という比定候補である。
以上から、私は三候補とした。なお、メカイアワビの画像は「旬の魚介百科」のこちらがよい(軟体部写真が複数枚有る。外套膜の内側の腹足部が有意に淡いクリーム色を呈しているのが判る)。私は以上の通り、綜合的に見て、三候補の後者二つの孰れかを支持したい気がしていることを告白しておく。ただ、もし、下図の殻が、上図の殻とは異なり、円形にやや近いマダカアワビのそれであったとしたなら、梅園はきっとその違いを解説で附記したであろうとも思われるのである。されば、私の認識では、順位は、
② ≧ ③ > ①
としたい。
なお、アワビ類については、私のサイト版の寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「鰒(あはび)」(冒頭を占有しているのですぐ判る)、及び、ブログの「大和本草卷之十四 水蟲 介類 石決明 (アワビ)」や、「日本山海名産図会 第三巻 伊勢鰒」を見られたい。特にそれらに附け加えて言うべきことはない。
以下、語注に入る。
『「四聲字苑」に云はく、鰒(フク)【「阿波比(あはび)」。】。魚(ギヨ)[やぶちゃん注:広義の魚介類の意。]の名。蛿(カン/ゴン)に似て、偏にして、石に著(つ)く。肉、乾して食ふべし。青州の海中に出づ。「本草」に云はく、『鮑。一名「鰒」。』と。崔禹錫が「食經」に云はく、『石决明【和名、同上。】は、之れを食へば、心目、聡了(そうれう)たり。亦、石に附きて生ず。故に以つて之れを名づく。』と。』実はこれは源順の「和名類聚鈔」の巻十九の「鱗介部第三十」の「龜貝類第二百三十八」の以下の記載の引用に過ぎない。原文白文と訓読(補正を加えた)を国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の板本の当該部を参考にして示す。
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鰒 四聲字苑云鰒【蒲角反與雹同今案一音伏見本草音義】魚名似蛿偏著石肉乾可食出靑州海中矣本草云鮑一名鰒【鮑音抱和名阿波比】崔禹錫食經云石決明【和名上同】食之心目聰了亦附石生故以名之
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鰒(あはび) 「四聲字苑」に云はく、『鰒【「蒲」「角」の反。「雹」と同じ。今、案ずるに、一音は「伏(フク)」。「本草音義」に見えたり。】。魚(ギヨ)の名。蛿(カン/ゴン)に似て、偏(へん)にして、石に著(つ)く。肉、乾して食ふべし。靑州の海中に出づ。』と。「本草」に云はく、『鮑。一名「鰒」【「鮑」の音は「抱」。和名「阿波比(あはび)」。】。崔禹錫が「食經」に云はく、「石決明【和名は上に同じ。】。之れを食へば、心目、聰了(さうれう)たり。亦、石に附きて生ず。故に以つて之れを名づく。」と。』と。
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・「四聲字苑」「倭名類聚鈔」に多く引用される本邦の古字書らしいが、 亡佚しており、不詳である。
・「本草音義」は漢籍であるが、やはり、亡佚、不詳である。
・「蛿」「広辞苑」に「おう」で「蛿・白貝」とし歴史的仮名遣を「オフ」とし、『ウバガイの古名』とあり、出典は「倭名類聚鈔」である。同じ「龜貝類第二百三十八」に(同前と同じ画像で確認出来る)、
★ ★
白貝(をふ)[やぶちゃん注:ママ。] 「唐韻」に云はく、『蛿【「古」「三」の反。一音は「含」。「辨色立成」に云はく、『「冨本朝式」の文に於いて、「白貝」の二字を用ゆ。』と。】「爾雅」に云はく、『貝の水に在るを「蛿」と云ふなり。』と。
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とあるが、さっぱり判らぬ。「ウバガイ」というのは、バカガイ科ウバガイ属ウバガイ Pseudocardium sachalinense を指し、アワビとは似ても似つかぬものであるからである。
・「靑州」現在の山東省。
・「本草」は「本草和名」(ほんぞうわみょう)のことで、深根輔仁(ふかねのすけひと)撰になる本邦現存最古の薬物辞典。醍醐天皇に侍医・権医博士として仕えた深根により延喜年間の九一八年に編纂された。唐の「新修本草」を範に取り、その他、漢籍の医学・本草書に書かれた薬物に倭名を当てて、本邦での産出の有無及び産地を記している。長く不明になっていたが、江戸幕府の医家多紀元簡が紅葉山文庫で上下二巻で全十八編からなる古写本を発見、再び世に伝えられるようになった。多紀により発見された古写本の現在の所在は不明であるが、多紀が寛政八(一七九六)年に校訂を行って刊行し、六年後に民間にも出された版本が存在するほか、古写本を影写した江戸後期から明治時代にかけての医師で書誌学者の森立之(りっし)の蔵本が、台湾の国立故宮博物院に現存する(以上は当該ウィキに拠った)。
・『崔禹錫が「食經」』「崔禹錫食経」(さいうしゃくしょくきょう(けい))は唐の崔禹錫撰になる食物本草書。「倭名類聚鈔」に多く引用されるが、現在は散佚。後代の引用から、時節の食の禁忌・食い合わせ・飲用水の選び方等を記した総論部と、一品ごとに味覚・毒の有無・主治や効能を記した各論部から構成されていたと推測される。
・「心目」精神と視覚。
・「聰了」(そうりょう)は「はっきりすること」。確かにアワビの殻の粉末は中日孰れに於いても漢方薬として、煎じて眼病などに用いられる。本来は「石決明」(せきけつめい)はそれを指す。
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「多識編」既出既出の林羅山道春が書いた辞書「多識編」。慶安二(一六四九)年の刊本があり、それが早稲田大学図書館「古典総合データベース」にあったので、調べたところ、「卷四」のこちら(第二冊一括版PDF)の31コマ目に、
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石决明【阿和比】
千里光【阿和比加良(ラ)[やぶちゃん注:「あはびのから」。]】
紫貝【牟良左岐加伊[やぶちゃん注:「むらさきがい」。アワビの殻の真珠光沢を指すものと思われる。]】 𩼵魚【阿和比】[やぶちゃん注:「𩼵」の字は擦れてよく見えないが、「鰒」の異体字のそれに似ているように見えるので、それを当てておいた。]
糟决明【今-案加須豆計(ケ)乃阿和比】[やぶちゃん注:割注部は「今、案ずるに、『かすづけのあはび』。」で、「アワビの身の粕漬け」のことであろう。]
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とあった。
「九孔螺(キウコウラ)」「孔」はアワビが含まれるミミガイ科 Haliotidaeの殻の背面に空いた複数の排出孔のこと。これは鰓呼吸のために外套腔に吸い込んで不要となった水や、排泄物、及び、卵や精子を放出するための装置で、殻の成長に従って、順次、形成された孔は古いものから塞がってゆき、常に一定の範囲の数個の穴が開いている。これが、アワビでは開孔しているものが、四~五個であるのに対し、例えば、知られた小型のアワビのように見える同科のトコブシ属フクトコブシ亜種トコブシ Sulculus diversicolor supertexta では、六~八個と多く、それでアワビの幼体とは容易に識別が出来る。また、アワビでは、この孔の周囲が、隆起して捲(めく)れ上がって、穴の直径も大きいのに対し、トコブシでは、穴の周囲は捲れず、また、開孔径も大きくない。
「日華」北宋の大明の撰になる「日中華子諸家本草」。散佚したが、その内容は後の「本草綱目」等の本草書に引かれて残る。
「料理綱目」嘯夕軒宗堅(しょうせきけんそうけん)が享保一五(一七三〇)年に板行した料理書「料理網目調味抄」。国立国会図書館デジタルコレクションの、その第一巻の目録の「魚之部正字大畧」のここに(左丁後ろから二行目中央)、『※(あはび)【蚫仝・决仝明】』とある(「仝」は「同」の異体字)。なお、「※」(「※」=「魚」+「変」)は思うに、原著者が「鰒」の異体字である「𩺽」或いは「𩼵」の字を見間違えてかく書いたものと思われる。なお、本文も縦覧したが、この「※」はアワビのパートでは使っていないようである。
「九孔とて穴の九つ有るを、藥力(やくりき)の上(じやう)とす。或いは七孔の者を用ゆ。十孔以上は用ひず」既に注した通り、アワビに開孔した孔は七つさえも空かない。或いはこの孔は塞がった穴も数えているものであろう。老成した大型個体のアワビの殻は薬用とはしないということであろう。
「環(くわん)」梅園の号には他に「蘆環瑛(ろくわんえい)」というのもある。
「弘景」六朝時代の医師で本草学者道士の陶弘景。明の李時珍の「本草綱目」によく引かれるが、そもそもここで梅園が言っていること自体が、その「本草綱目」の巻四十六「介之二」の「石决明」の「集解」の内容である。「漢籍リポジトリ」のこちらの[108-11b]を参照されたい。訓点附きなら、寛文九(一六六九)年板本が国立国会図書館デジタルコレクションのここで読める。
「蘇恭」蘇敬(五九九年~六七四年)の別称。初唐の官人で本草家。
「蘇頌」(そしょう 一〇二〇年~一一〇一年)は北宋の科学者で宰相。時珍の引くのは恐らく一〇六一年に完成した「本草図経」である。もとは二十巻だったが、散佚した。但し、「証類本草」に引用されたものを元にして作られた輯逸本が残る。
「本邦、蚫は、二種は無し」誤り。実は既に示したクロアワビ・メガイアワビ・マダカアワビの他に、当時の感覚からは、先に出したトコブシも、「アワビの子だろう」ぐらいに思われていたに違いないのである。他にアワビ属ミミガイ Haliotis asinine など類縁種が数種いるが、それらは本州南部以南や南西諸島が分布域であるから、ここでは挙げない。なお、アワビ属クロアワビ亜種エゾアワビ Haliotis discus hannai (クロアワビの北方亜種。但し、同一種という説もある)もいる。
「此れ、雄(をす)雌(めす)を以つて、二種と爲すか」前に注した通り、見分けるためには、剖検しなくてはならない。ここで梅園の言っているのは、古典的な典型的形態分類でしかなく、それは最早、信用出来ず、無効である。それこそ個体差の色違いに過ぎぬ。
「癸巳(みずのとみ)六月廿九日」天保四年。グレゴリオ暦一八三三年八月十四日。
[やぶちゃん注:上図『石决明雌貝(「あわび」の「めがい」)』個体の写生クレジット。]
「雌雄の貝二つに、貝にて合はせ貝のまゝ、黒燒にして」これは、この雌雄の貝を孰れも貝殻から剥き身にせずに、そのまま、腹足部を合わせて、薄く剝いだ竹串などで巻き、そのまま、竃や七輪で黒焼きにするのであろう。
「孕婦(はらみめ)……乳の出で兼ぬる者、之れを用ゆる。功、有り、妙なり」これは、二人目以降の出産の妊婦で、それ以前の哺乳の際に乳の出が悪かった妊婦に事前に食わせると効果覿面というのであろう。梅園は『「本草」に此の功を載せず』と注意喚起までしているが、ちゃんとあった! 「妊娠中、あわびの味噌汁を飲むと母乳の出がよくなる」と、「ユニ・チャーム」公式サイト内の「ムーニー」の大鷹美子氏監修の「妊娠中にアワビが良い?オススメな理由」だ。貴重な動物蛋白質だもんね!
「甲午(きのえむま)正月廿日」天保五年。グレゴリオ暦一八三四年二月二十八日。
「六々貝合和歌」既出だが、再掲する。元禄三(一六九〇)年序で潜蜑子(せんたんし)撰。大和屋十左衛門板行。国立国会図書館デジタルコレクションで視認出来る。和歌はここ。整序すると、
なべて世の戀路にいかで映しけむ
あはびの貝の己が思ひを
か。「百首」という原拠は不詳。識者の御教授を乞う。「牡丹花」は作者の号。ネットで調べたところ、ブログ「Harunobu Project」のこちらに、鈴木春信画の「貝つくし」の「あハび」に、「なべて世の戀路にいかてうつしけん あはひのかいのおのか思ひを」として、「西川祐信 絵本貝歌仙 十三番」とあった。
「前歌仙介三十六品」「六々貝合和歌」と同じ「潜蜑子」と署名された、やはり元禄三年の序を持つ。当該ウィキによれば、それ『以外、編者や成立年代については明らかでない。古今和歌集仮名序を模した序に続き、三十六番歌合形式による』七十二『首、及び貝に関するその他の歌』四十一『首を掲載する』とあり、十二番左が「あはひ」で、作者は前の歌と同じ「牡丹花」となっているとある。しかしここに出る和歌は、「万葉集」第十一巻の作者不詳の一首(二七九八番)、
*
伊勢の白水郞(あま)の
朝な夕なに
潛(かづ)くとふ
鰒(あはび)の貝の
片思(かたもひ)にして
*
である。]
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