毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 西※舌(コバカ)[「※」=「方」+「色」。]・馬軻螺(大バカ) / アリソガイ・バカガイ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。右上部に前の「キシャゴ」の図が侵入しているため、マスキングした。]
西※舌一種
[やぶちゃん注:「※」=「方」+「色」。「施」の異体字。]
癸巳(みづのとみ)孟春三日、筆始めに、眞寫す。
馬軻螺【「本草」に出づ。「ばかがい」。「大(おほ)ばか」。】
癸巳初夏五日、眞寫す。
[やぶちゃん注:「西※舌」は「西施舌(セイシゼツ)」で、これは、本邦では有意に多くの異名記載にミルクイ(斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目バカガイ科オオトリガイ亜科ミルクイ属ミルクイ Tresus keenae )とするが、ここでは殻の形からド素人でもそれが無効なことが判然とする。而してそれは誰かと問われれば、中文サイトの「西施舌」が正解を伝えて呉れる(しかも同ウィキの日本語版は存在しないという甚だ啞然とせざるを得ない「ていたらく」だ)。さてもその学名 Mactra antiquata は、
斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目バカガイ科バカガイ亜科アリソガイ属アリソガイ Coelomactra antiquata
のシノニムである。アリソガイ(有磯貝)は殻長約十二センチメートル程度に大成し、殻は亜三角形で、やや膨らみを持つ。殻は薄く、生体では、殻頂部は淡紫色で、他の部分は白色を呈する。本種は水質汚濁に弱く、ホンビノスガイ等の侵入(バラスト水や業者の人為移入)などもあって、本邦の砂浜海岸から急速に姿を消しつつあり、健全な個体群は全国的にも珍しいとされる。現在、絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている。私自身、浜辺で生貝を見たのは、小学校二、三年生の秋、大型台風襲撃後の由比ヶ浜の時のたった一回だけだろう(多量のバカガイ・アカガイ・サルボウ・ツメタガイがバケツ三杯ほど捕れたが、つい美味くてツメタガイの煮物を多量に食って、翌日、腹をこわしたのもよ~く覚えている)。とーま氏のブログ「アリソガイ」で、天然に成貝の殻や美しい幼貝の殻(紫色で薄く割れやすいとある)の写真が見られる。梅園が写生したものは、クレジットの特異点から見て、流通していた生貝ではないのように思われ、死貝の合わせ標本であろう(実はアリソガイ自体はそれほど美味とされておらず、古くも、本格的な食用の多量採取も行われていなかった可能性もあるか)。しかも、比較的若い個体と思われる。でなければ、下方の「大バカ」より図が小さいのが、逆に不審となるからでもある。
さて。この殻が円満で歪みのないそれが「コバカ」(小馬鹿)なら、下方の「オオバカ」(大馬鹿)は無論、真正の、馬鹿貝たる、
バカガイ亜科バカガイ属バカガイ Mactra chinensis
であることは言を俟たない。但し、大きいから大馬鹿なわけではない。所謂、人に捕捉された際、斧足や水管を収納しきれぬ内に貝を閉じてしまい、馬鹿のように「べろん」と舌を垂らしているという点で馬鹿なのである(但し、これは単なる語源に一説に過ぎない。しかし、私はこの差別命名が、一番、腑には落ちるのである)。バカガイは図鑑類でも、大き目に示されたものでも殻長を十センチメートル前後とするからである(概ね八センチメートルとするものが多い。則ち、本気のアリソガイの成貝の方が大きくなるということになる)。なお、図の右個体の殻頂からの黒い線は、当初は、合わせ標本の糸かと思ったのだが、或いは、同種の個体は薄いベージュであるが、時に放射線状の褐色の筋が殻頂から何本も入るケースがあり(例えば、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「バカガイ」のページの写真を参照)、或いは、梅園はそうした個体を見つけ、それを描き込もうとして、上手くいかないでやめたために生じた筆跡痕のようにも思えてきた。
「癸巳(みづのとみ)孟春三日」天保四年癸巳一月三日。グレゴリオ暦一八三三年二月二十二日。]
「筆始め」陰暦時代は一月二日が「書初め」とされた。現在のクレジットは現代のそれ(一月三日)と同日である。
「馬軻螺」以下の割注の『【「本草」に出づ。】』というのは、時珍の「本草綱目」の巻四十六の「介之二」「蛤蚌類」の「珂」の項に出現する異名を指している。「漢籍リポジトリ」のここの[108-25b]を見られたいが、実はこれは、安易に「馬軻」を日本語の「ばか」と読み、無批判に本邦の「バカガイ」を当ててしまった✕――大馬鹿の大錯誤――✕なのである。以下に寛文九年板本の訓点を参考に自然流で「本草綱目」の当該項の必要な前半部分を読み下してみよう。
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珂【「唐本草」。】
釋名「馬軻螺(バカラ)」【「綱目」。】。「珬」【「恤(ジユ)」。時珍曰、珂は馬勒の飭(かざり)なり。此の貝、之れに似たり。故に「徐𠂻」[やぶちゃん注:「𠂻」読み・意味ともに不詳。]と名づく。「馬珂」と作(な)す。「通典」(つてん)に云はく、『老鵰(らうてう)[やぶちゃん注:「ロウチョウ」で「老いたクマタカ」を指す。]、海に入りて、珬と爲(な)る。卽ち、軻なり。』と。】。
集解「别錄」に曰はく、『珂、南海に生ず。采(と)るに、時、無く、白くして、蚌のごとし。』と。恭(きよう)曰はく、『珂は貝類なり。大いさ、鰒(あはび)のごとく、皮、黃黒にして、骨、白く、以つて、飭りと爲すに堪へたり。』。時珍曰はく、『按ずるに、徐表が「異物志」に云はく、『馬軻螺は、大なる者、圍(めぐ)り九寸、細き者の圍り、七、八寸。長さ三、四寸。』と。
*
さて。この「勒」というのは、馬の頭に懸けて、馬を馭する革製の帯。馬の銜(くつわ)を附ける補助具である「おもがい」を指し、「絡頭」とも言う。その漢字から判る通り、デジタル「大辞泉」の「はな‐がわ〔‐がは〕【鼻革】」の「馬具」の画像をクリックされると判るように、「銜」と「手綱」を除く、馬の頭部を巡る「~革」とある部分全部が「絡頭」なのである。さても、この部分は乗馬の際にそのまま表に見える部分である。されば、高貴な騎乗者の馬では、ここに飾りが不可欠なのである。一読すると、「白くして、蚌のごとし」とあるから、アリソガイなどの仲間のように思われるかも知れぬが、それは大ハズレなのである。
「だって、蚌でしょ?」――という御仁に言おうじゃないか!
斧足類(二枚貝)でないのに――かといって腹足類(巻貝)にちょっと見えない貝で――「鰒(あはび)」のように貝の巻きが緩くしかも大きくて――生時には「皮」(=外套膜)がその周りを全部覆っていて「黃黒」であり――しかし――その肉を縮めると――「骨」=貝殻が現われ――それは「白く、以つて、飭(かざ)りと爲(な)すに堪へ』る美麗な貝が――
あるでしょうガッツ!!!
そうですよ!
貝フリークの垂涎の的である、
宝貝(腹足綱直腹足亜綱 Apogastropoda 下綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビ下目タカラガイ超科タカラガイ科 Cypraeidae)の仲間ですよ!
もう、イッチョ! 言おう!
――そうして、この「馬軻螺」を種同定した人がいる――のである。法政大学出版局のシリーズ「ものと人間の文化史」で三冊の大著「貝」(一九九七年刊)をものされた白井祥平氏である。その「Ⅲ」の「第三章 タカラガイ(宝貝)類」で、貝蒐集家なら、必ず何個も持っており、ビーチ・コーミングでも私も何度も拾ったことがある、
タカラガイ科コモンダカラ亜科キイロダカラ属ハナビラダカラ Monetaria annulus
を、まさに白石氏は「馬軻螺」に同定されておられるのである(同書209ページ)。同種の分布域は日本海側で男鹿半島以南、太平洋側で房総半島以南で、タカラガイの中でもごく普通に見られる種である。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。淡い灰色の背の部分に、オレンジ色の輪の形になった模様があり、これが花弁のように見えるのが和名の由来である。私も幾つも持っていたが、皆、生徒にあげてしまった。
「癸巳初夏五日」天保四年四月五日。五月二十三日。]
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