默阿彌の惡人
一
河竹默阿彌は、『惡の讃美者』といはれ、又、『白浪作者』といはれて居る程、その脚本の中に、多くの惡人ことに窃盜犯人を描いて居る。そこで私は、これから默阿彌の描いた惡人に就いて考察を試みようと思ふのであるが、彼の世話物と稱する脚本だけでも百三十種の多きに達して居るさうであつて、その中にあらはれる、いはゞ無數の惡人を一々硏究することは不可能のことに屬するから、私は、先づ槪括的考察を試み、後、比較的よく描かれた一二の性格を紹介し、默阿彌が、如何に、『惡』を取り扱つて居るかを指摘して、これを犯罪學的に硏究するに過ぎないのである。
默阿彌の白浪物で、芝居として有名なものは『白浪五人男』や『三人吉三』であるが、その中に描かれて居る惡人の性格は、殘念ながら、はつきりしていない。『月も朧に白魚の篝も霞む春の空、つめたい風もほろ醉ひに、心持よく浮か浮かと、浮れ烏の只一羽、塒へ歸る川端で棹の雫か濡手で泡、思ひがけなく手に入る百兩……」といふ、お孃吉三の名臺詞などを讀むと犯罪學的考察などをする元氣もなくなって、夢幻の世界へ引きこまれてしまひ、默阿彌の所謂「惡」に陶醉せざるを得なくなり、本來の惡といふ感じなどはさつぱり出て來ないのである。從つて默阿彌の脚本を讀むと、作者は、『惡』を如實に描くことよりも、寧ろ『惡』を如何にして美化しようとするかに力を注いで居るやうに見えるのであつて、これが卽ち『惡の讃美者』なる名稱の出來た原因であらうと思ふ。
次に默阿彌は、『惡』を如何にして善化しようとするかに力を注いで居るやうである。彼の描いた惡人の大部分は『惡』の分子と『善』の分子とを同等に具へて居るか、或は『惡』の分子よりも『善』の分子をより多く具へて居るのであって作者自身はどんな惡人でも必ず救はれる道があるということを信じて居たらしい。だから、『惡に强きは善にもと』いふ臺辭は、應接に遑がないといつてよい程、到るところに使用されてある。「鑄掛松」の中に、花屋佐五兵衞の言葉として、「あゝ惡に强きは善にもと、あつぱれ見上げた松五郞どの、恩を知らぬは人ではない。よく覺悟をさつしやつた」
とある如く、彼等惡人は、恩を感じ、義理を思ひ、公憤を起し、同情を表して一たい何のために惡人になつただらうかを疑はせるような者ばかりである。
然し、幸ひに默阿彌は、彼等が何のために惡人になつたかを充分に說明して居るやうである。卽ち、『環境が犯罪者を作る』これが默阿彌の唯一の信條であつたらしかつた。それ故彼は所謂先天性犯罪者を殆んど書かなかつたといつても差支ない。たまたま先天性犯罪者を取り扱つても、彼は少しもそれに人間味を持たせなかつた。換言すれば、彼はさういふ遺傳的の犯罪者を描くべき興味を持たなかつたのである。例へば『村井長庵』に於ける長庵の如きは、どちらかといふと『ツレ』の役にまはされ、善人たる「久八」の性格を描くためのダシにつかはれて居るやうである。
環境が犯罪者を作ると信じた默阿彌は、同時に、立派な運命論者であつた。卽ち彼は遺傳とか素質とかを顧みないで一種の神祕力とも稱すべき、『運命』が犯罪者を作るものであると考へたのである。だから、科學的に見れば、一種の迷信ともいふべき機緣によつて犯罪者が作られるのである。例えば庚申の日に出來た子は盜賊になるという迷信は、彼の作の到るところに取り入れられて居る。鑄掛松が社會制度を呪つて盜賊になるところにさへ、「おゝ、二十四日はたしか庚申」という臺詞が、文藏に使はせてある。
運命論者である彼は、當然「因果應報」の信者であつた。彼はその作の到るところに、因果應報の恐ろしさを說いて居る。善因善果、惡因惡果、この法則が實に思ひもよらぬところにあらはれて、彼等犯罪者の心をぎくりと動かし、悔悟の動機となつて居る。だから、『めぐる因果は目前に』といふ言葉も、「惡に强きは善にもと」と同じくしばしば使用されて居るのである。
之を要するに默阿彌の脚本にあらわれる惡人の殆んどすべては、ロンブロソーの所謂情熱性感傷性犯罪者である。ドイツ語の所謂 Leidenschaftsverbrecher である。卽ち彼等は多情であり、多感であり、よほどの惡性を帶びたものでも最後には悔悟する。感傷性犯罪者の常として、自分の犯罪を一種の誇りをもつて人に告げる。犯罪を行ふに際して、多くは周到な注意をしない。さうして、義理、人情、恐怖、戀愛等の原因によつて、容易に自殺しようとさへするのである。「鑄掛松」の如きは、その好箇の例である。ウルフエンは、この種の犯罪者が一ばん善人になり易いといつて居るが、默阿彌の犯罪者の多くが最後に至つて改心するのも決して故のないことではない。
[やぶちゃん注:「Leidenschaftsverbrecher」ライデンシャフッ・フェァ・ブレッヒャァ。情熱型犯罪人。
「ウルフエン」既出のドイツの犯罪学者ヴォルフ・ハッソー・エリッヒ・ウルフェン(Wolf Hasso Erich Wulffen 一八六二年~一九三六年)。ドイツ語の当該ウィキを見られたい。]
勸善懲惡を主眼とする歌舞伎劇に於て、惡人が最後に至つて改心するのは當然であるとしても、默阿彌が、わざと、人物の性格をまげてまで、勸善懲惡主義に迎合したと考へるのは不當であると思ふ。むしろ彼は始めから、どんなに惡事を重ねて行つても、遂には改心するといつたやうな性格を描き出さうとしたのであつて、それが後に至つて改心するのは奇とするに足らぬのである。實際、默阿彌の惡人は、善人にならう、善人にならうとあせつて居るかのやうに見える。從つて彼等の、惡人らしい言葉は、いかにも不本意ながら發せられて居るやうに見えるのである。それが爲、彼等には惡人らしいすご味が缺けて居る。蓋し、根が善人であるからである。
それ故、默阿彌の作に於て、善人が惡人になつて行くところの心理描寫は、いつも惡人が善人になるところよりもすぐれて居るのであつて、惡人が善人になるところは、木に竹をついだやうな感じがする。何となれば、善人が惡人になることは、短時間――否、一瞬間にでも起り得るけれども、だんだん深みへ陷つた惡人が善人に化するには、相當の時間を要するのが普通であるからである。それを默阿彌が短時間に改心させて居るため、多少の破綻を感じさせるのであつて、脚本である以上、それはやむを得ないことだらうと思ふ。
以上が默阿彌の作にあらじはれる惡人の槪括的考察であつてこの槪括的考察なくしては、彼の作を犯罪學的に理解することは困難である。そこで、私はこれから、まづ彼の六十六歲の時の作「島鵆月白浪」[やぶちゃん注:「しまちどりつきのしらなみ」。]にあらはれる犯罪者を考察して、一層くはしく、これ等の事情を明かにしやうと思ふのである。この作は芝居としては、さほどの成功を收めなかつたやうであるが、作者の手腕が圓熟した時の作ではあるし、實際また犯罪者の性格が一ばんはつきり描かれて居るから、特にこの作を選んだ譯である。
[やぶちゃん注:「島鵆月白浪」。世話物。全五幕。明治一四(一八八一)年十一月、東京新富座で五世尾上菊五郎の「明石の島蔵」、初世市川左団次の「松島千太」、九世市川団十郎の「望月輝(もちづきあきら)」、八世岩井半四郎の「弁天お照」らにより、初演された。通称「島ちどり」。二人組の盗賊島蔵と千太は、東京浅草の質屋に押し入り、大金を盗んだが、島蔵は因果の恐ろしさを感じて改心し、神楽坂で酒屋を営む。千太は、惚れた芸者のお照が、代言人望月輝の妾(めかけ)になっていることを知り、ゆすりに行くが、以前、大泥棒であった輝の貫禄に負けて引き下がり、その仕返しの加勢を、島蔵に頼む。島蔵は、千太を九段の招魂社に呼び出し、心を込めた意見で、ついに改心させる。二世河竹新七として、長く劇作を続け、殊に盗賊を書くのを得意として、「白浪作者」と称されてきた作者が、引退を決意し、「黙阿弥」と名乗った、その披露のために書いた作品で、主要登場人物が、総て盗賊で、しかも、最後には全員が改心するという構成を持つ。明治の新世相を描いた「散切物(ざんぎりもの)」の代表作で、特に大詰の「招魂社」(靖国神社)は、場面の斬新さもあって、大好評を得た。近年は、その前の「明石屋」との二場だけを上演することが多い。三幕目「望月邸」で、輝とお照の色模様に使った清元「雁金(かりがね)」もよく知られる(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。なお、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここから全篇が視認出来る。]
二
順序として先づ私は『島衞月白浪』の梗槪を述べやう。これは明治十四年十一月新富座に書卸されたもので、時代は明治の初期である。この作の中には、隨分澤山の惡人が出て來るが、作者は、明石島藏と松島千太という二人の窃盜犯人の運命を中心として書いて居るから、私もこの二人の性格を主眼として述べるつもりである。島藏と千太は佃の苦役場で知り合ひとなり、兄弟の誓をして『滿期放免になつたら、力をあわせて大仕事をやり、(强盜を意味する)、その金を元手として、互に、かたぎになり出世しやう』と約定する。放免されて出るなり、約定のとほり共謀して、淺草の質屋福島屋に忍びこみ、刄物で主人の足を傷け千圓の金を强奪し、五百圓づつ分けて、千太は奧州へ、島藏は播州へ、各々兩親に逢ふために、その故鄕に歸るのである。
第一幕は、奧州へ歸つた千太の行動から始まつて居る。千太は僞名を名乘つて銀行の手代といふ觸れこみで、土地の藝者の辨天お照をあげて豪遊をきはめ、お照の母親のお市に潔く百圓の金を渡すが、その時分すでに警察の探偵に怪しまれて居る。すると、同じ宿屋に泊り合せた叔父に正體を見つけられ、その叔父の口から、彼のたづねる兩親は變死して居ない旨をきかされる。自暴自棄になつた彼は藝者のお照を明神山で口說いて失敗し、かねて知合であつた野州の德に正體を見あらはされ、密告されて虎口をのがれる。お照は望月輝という男に助けられ、その妾となり、上京して家を持つ。
第二幕には明石島藏の行動が描かれてある。明石浦の父親の家では、島藏の妻の年忌が營まれ、島藏の妹と島藏の子の岩松と三人は島藏の噂をして居る。そこへ島藏が歸つて、五百圓の中から三百圓を出して父親に送ろうとするが、父親はその金の出どころを怪しんで受けようとしない。その時島藏はわが子岩松がびつこになつて居るのを不審に思つてきくと、恰度彼が福島屋で强盜を働いたと同じ時刻に棚から包丁が落ちて岩松の足を傷けたといふことである。この覿面な天罰に怖れ慄いて、彼は父親の前で一切を自白し、盜んだ金を所有者にかへして後自首しようと決心し、再び上京するのである。
第三幕では、上京した島藏と千太とが、偶然牛込の錢湯で出逢ふ。島藏はそのとき、小賣酒屋の店を出して忠實に商賣にいそしんでいたのであるが、千太は改心どころか、ますます惡性を濃くし、辨天お照の住居を偶然發見して、その主人たる望月輝から金をゆすらうとしたが、望月も惡人であつて、あべこべにおどされて逃げ出してしまふ。
第四幕は島藏の小賣酒屋である。國元から妹と岩松とが上京して店を手傳つて居る。野州の德がひそかに雇人となつて働いて居る。島藏は何とかして福島屋の行方をさがしたいものだと思つて居ると、(福島屋は强盜にはいられてから零落して店をつぶしたのである。)福島屋の娘らしいのが醬油を買ひに來たので、あとをつけ、福島屋の主人が金に困つて居るのを知つて金百圓を置いて歸る。その時恰度國元から父親が上京し、同時に千太がたずねて來る。千太は、今夜望月輝の家を襲ふから手傳つてくれと賴む。島藏は夜十時に招魂社前で會はうと約束する。父親や妹はそれをとめたが、島藏は、きつと千太を改心させてくると誓つて出かける。
第五幕は招魂社鳥居前の場で、觀客の大によろこぶところである。島藏は千太にも改心をすゝめるのであるが、千太はどうしても聞き入れない。遂に二人は格鬪し、島藏は千太を組敷き短刀を擬して改心を迫り、千太も遂に改心して、二人で千圓の金をつくつて、福島屋にかへし、自首することに決心する。望月輝が物蔭にきいて居て必要なだけの金を出し、同じく物蔭に居た野州の德も改心し、所謂めでたしめでたしでこの劇は終るのである。
三
この劇が最後の幕に於て觀客に多大の感興を與へることは前に述べたが、默阿彌もこの場面に最も力を入れたやうである。島藏はとくに改心しただけ、それだけ犯罪性が稀薄に見えるが、千太は、最後まで惡性を保持しながら、最後に至つて掌をかえすが如く改心して居る。これは、犯罪學上から見ると頗る奇怪な現象であつて、どうも本當らしくないやうな氣がするけれども、根が、『善』の分子を多分に含んで居るのであるから、こういうことはあり得ると考へて差支ない。
先づ順序として千太の犯罪性を調べて見よう。彼には遺傳的の犯罪者たる分子が認められない。叔父の東右衞門が彼に語るところによると、父親については、
『此方の親父は正直だつたが、所謂前世の因果とやら、便りに思つた一人の此方は内を出てしまひ、爺イ婆アでやうやうに、その日を送つて居たところ、生れ付いての酒好が、病ひの元で中氣になり、(中略)人の惠みで生きて居たが定業故か私の所へ禮に來るとて二本杖で出たさうだが、轉びでもしたことか、當願寺の池へ落ち、遂にはかなく死んでしまつた。』とあり、又、母親については、
『可愛さうなは手前のお袋、跡に殘つた婆ア殿、中氣病でも亭主故、杖に思つて居た所、非業な死をばした後は、明けても暮れても泣いてばかり、千太が居たならば居たならばといつても返らぬ旅の空、生死の程も知れざれば、食ふに困るとあぢきなき、浮世に倦きたか苫作殿が、百ケ日目の晚に裏の井戶へ飛込んで、是もはかない死をしました。』
とあつて、たゞ父親が酒好きであるという以外に、惡性を受けついだ形跡は少しもなく、全く、生れてからの境遇の然らしめたところで、父親が病氣になつてから、他人の恩惠で生きるべく餘儀なくされたほどの生家の貧乏と、敎育のよくなかつたことが彼の犯罪性を生む主要なフアクターであつた。しかも彼の犯罪性は比較的早くから發達した。
『自慢話をする樣だが十五の年に奧州で八十目の懲役が初犯で、それから二犯三犯、行く度每に等級が段々登る泥棒學問』とは千太自身が望月輝の家で吐いた言葉である。然し、彼は生れつきの犯罪者ではなく、明神山で彼が辨天お照をくどくときにも、
『盜人だとて同じ人間、ぎやつと生れた其時から人の物は我物と、盜む心はありやしねえ、元はみんな堅氣だが、多くは酒と女と賭博、身の詰りからする盜み、初手は空巢のちよつくら持ち、初犯で纔かな懲役から二犯三犯段々と功を積んで强盜迄修業して來た松島千太。』
と言つて居る。これによつて作者が松島千太を境遇の生んだ犯罪者として居ることは明かであつて、惡人がだんだん深みへはいつて行く經路が巧みに述べられてある。さうして、强盜まで修業するに至つても、根は善人であることを作者は主張して居るのである。
根が善人であるが故に、千太はまたお照に向つて、『若い時には親達に、少しは苦勞もかけたから、生涯樂にさせやうと、わざわざ金を持つて來た其甲斐もなく死んだと聞いたら、俄に胸が塞つて心持が惡くなつた。』
と言つて居る。實際强盜をして得た金を親のところへわざわざ持つて來て喜ばせようとするのは、先天性犯罪者には一寸出來難いことである。社會制度に反抗して生れる犯罪者はそのはじめに先づ父親に反抗するのが普通である。さうして親のことなどを思はぬばかりか、却つて親をうらみさへする。然るに千太は感傷性犯罪者であるから、親を思ひ親を喜ばせやうと欲するのである。さうして親が死んだことを聞くなり彼は落膽して自暴自棄に陷り、ますます惡性を增して行くのである。だから第五幕に於て、島藏から、改心をせまられたとき、
『お前は親父や妹に可愛い忰があることだから、心を改め堅氣になり、素人になる氣になつたらうが。おらあ親も無けりや兄弟もなし、今更堅氣になつたとて誰も喜ぶ者はねえから、一生涯盜みをして、してえ三昧なことをしたら、斬られて死んでも本望だ。』
といつて居る。これはいかにも千太の心からの叫びであらう。ところが、これに對して、島藏が、
『そりや手前あんまり愚だ。假令この世に居ねえとて草葉の蔭で親達が、どんなに案じて居るかも知れねえ、死んでしまへば空へ歸り、跡方もねえものならば、朝廷初め華族方先祖の祭りはなさりはしめえ、必ず跡のあるもんだから、心を入れ替へ盜みをやめ、冥上の親に喜ばせろ。』
といふと、千太は意外にも、
『なに悅ばせるに及ぶものか、親だといつてうぬが勝手に、己を拵へたことだから、恩もなけりや義理もねえ、勝手に苦勞をするがいゝ。』
と叫んで居る。これはどうしても千太の心からの叫びとは思はれないのである。所謂賣り言葉に買ひ言葉であつて、しひて言へば千太が惡人を裝つて言ふに過ぎない。だから、作者もその次へ、
〽腹立紛れの憎て口[やぶちゃん注:「にくてぐち」。]、聞く島藏は呆れ果て、
と、插入して居る。[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの画像でここ。]
この言葉を若し千太の眞面目な心からの叫びにとつたならば、それこそ、最後の改心は、木に竹をついだやうなものとなるのであるが、私は作者がことわつて居るやうに腹立紛れの叫びと考へたいのである。
然し、賣り言葉に買ひ言葉がだんだんかうじた結果は遂に二人の格鬪となるのである。卽ち二人は喧嘩のための喧嘩をするのである。さうして、その結果、島藏が千太の振りかざした短刀を、小手を打つて落し、ついでに千太を組しいてしまふ。
[やぶちゃん注:以下の台詞は、底本では、二行目に及ぶところは四字下げである。]
島藏 さあ千太、今手前を殺すのは有無を言はせず一突だぞ、命を捨てゝも改心しねえか。
千太 誰が改心するものか、殺すといふなら早く殺せ、己を殺せば手前は下手人、一人は死なねえ殺してくれ。
島藏 惡い奴でも人一人手前を殺せば其替り、己も死ぬのは覺悟のめえだ。
千太 覺悟なら早く殺せ、さあ殺せ殺せ、早く己を殺してくれ。
そこで島藏はどうするか、彼には元來、千太を殺す氣は毛頭ないのである。島藏はどうしても生きたかつた。ところが、行きがかり上かうした破目になつたのである。で、彼は、
『殺せとあるなら殺してやらう。』
と短刀逆手に突かうとするが、それは、形式だけであつてすぐ、心を變へ、
『賣詞に買詞で、殺せといふなら今殺すが、己も一旦兄弟の緣を結んだことだから、殺してえことはねえ、云々。』
と、いつて、千太に今一度改心をすゝめるのである。すると、その甲斐あつて、千太は見事に改心してしまふ。卽ち喧嘩のための喧嘩が動機になつて、善人になり得る素質をたつぶり持つた千太が善人になつたまでのことである。
若しその際島藏が千太を殺してしまつたならば、運命悲劇として、かなりに興味ある一場面を作るかも知れないけれど、さうなるには千太が、もつともつと惡人でなくてはならない。出來るならば、先天性犯罪者であつてほしい。『今更堅氣になつたとて誰も喜ぶ者はねえから』などといふ臺詞を使つてはいけない。
『親だといつてうぬが勝手に、己を拵へたことだから、恩もなけりや義理もねえ、勝手に苦勞をするがいゝ[やぶちゃん注:踊り字がないが、原作に則って特異的に打った。前のリンク先を参照。]。』といふ言葉を心の底から吐く先天性犯罪者でなくてはならない。もし千太が先天性犯罪者であつて、その惡性が救ふべからざる程度になつて居たならば、島藏に千太を殺させることによつて、この劇を一大悲劇たらしめることが出來るのである。折角改心しても、島藏が舊惡のために大罪を犯さねばならぬやうになるとすれば、非常に深刻なものとなる。ことに島藏が、
『これ、そりや素人にいふ臺詞だ、己にいふのは釋迦に說法、こんな無駄なことはねえ、忘れもしめえ佃に居た時、熱氣の世話になつたが緣で、兄弟分の義を結び、滿期の後に娑婆へ出て、强盜をする脅し文句は、己が敎えてやつたのだ。』
と言つて居るごとく、始めはむしろ千太をそそのかして、遂には千太の生れつきの惡性のために、再び大罪に引きこまれるとすれば、一層引き立つてくる譯である。
けれども默阿彌は、千太を、そのやうな惡人とする氣はなかつた。千太を最後に改心させるために、はじめからそれにふさはしいやうに、その性格を描いたのである。だから最後の場面は、忌憚なく言へば少しく物足らぬのである。何となれば喧嘩のための喧嘩をさせるために千太に心にもない毒舌を使はせて居るからである。從つて、二人は、芝居の中で更に芝居をやつて居るやうに見えるからである。
なほ又、島藏は『性は善なる人の身』にといふ言葉を使用して居るごとく、自分の力で千太も改心するにちがひないと信じて居た。だから、千太に逢ひに家を出るとき、
『内では世間を憚る故、向うで賴むを幸ひに人通りなき招魂社の鳥居前でとつくりと、意見をなして賊を止めさせ、まことの人にする所存。』
といつて居る。なほ又、彼は千太でも自分でも兇狀持ちではあるけれど、自首すれば必ず生きれるにちがひないと信じて居た。
『さつきも己が言ふ通り舊幕時分の十圓から死罪にされる時ならば、とても死ぬなら行掛の駄賃といふもあるけれど、今は上の御處刑替り千圓盜んだ强盜でも、一命助り終身懲役、此の有難い世の中に人を殺して命を捨てるは、あんまり手前は開けねえ、親から貰つた大事な體を粗末にせずと心を入替へ、己と一緖に堅氣になれ。』
これ等の自信によつて島藏はみごとに千太を改心せしめたのである。
四
こゝで私は島藏の犯罪性を考察しやうと思ふ。島藏も、もとより境遇の生んだ犯罪者である。島藏自身は、
『子供の折からいたづらで、お世話をやかしたその果が道に背いたことをして云々。』
といつて居るけれども、子供の折いたずらであるぐらゐのことは、誰にでもあることで、これによつて、もとより先天性犯罪者と斷ずることは出來ない。彼の父親の言葉によると、
『いゝも惡いもお前方が知つての通り三年跡、筋の惡いことをして八十日の懲役に行つたを嫁が苦勞になし、それを氣病[やぶちゃん注:「きやみ」。]に煩ひ付き、遂に滿期にならぬ内養生叶はず果敢ない最後」[やぶちゃん注:二幕目の台詞。国立国会図書館デジタルコレクションのここの右ページ二行目の島蔵の父磯右衛門の台詞である。]
とあつて、妻子が出來てから筋の惡いこと、卽ち犯罪を行つたのであるが、それがどんな犯罪であつたかを作者は明かにして居ない。この犯罪を行つたため、恥かしさのあまり、上京したのであるが、
『人に成ろうと東京へ參りましたが知邊はなく、曖昧宿の口入や、安泊りへ泊り込み、浮浮月日を送る内、二枚の着物は一枚賣り、鰹と共にわた拔の袷も光る身の垢に、どうでよごれた體故又窃盜をはじめた所云々。』
と彼自身言つて居るごとく、境遇のために惡事をかさね、遂に佃の苦役に從事するを餘儀なくされたのである。
彼もまた千太と同じく親や子を喜ばせるために不正の金をもつて、亡妻の三囘忌に間にあふやうに故鄕に歸つて來る。そうして父を喜ばせるために三百圓の金を渡さうとする。ところが、正直な父親は、直覺的に不正な金であると見拔いて受取らない。そこで善人の素質を澤山持つて居る彼は、不正といふものが如何に不快な結果を齎らすかを痛感した。
『是につけても人間は正路に心を持たねばいけぬ、一旦惡事をしたばかり、見つぎの爲に持て來た札も今では反古同然、是皆我身がなした科、人を恨むところはない。』
もとよりこれは、自分の現在所持する金が不正でないといふ言譯のための言葉であるが、その言葉の底には、明かに、現在この金が不正な手段によつて得られたものであることを後侮し自責する心が見出されるのである。
さうした心になつたとき、更に彼の心は一大打擊を受けるに至つた。それは何であるかといふに彼の一子岩松の跛足[やぶちゃん注:「びつこ」。]の原因を知つたことである。卽ち、彼が、福島屋へ押し入つて主人の足を傷けたと同じ時刻に、岩松は偶然に包丁のために負傷したのである。この恐ろしい出來事は、彼の心を根本的に搖り動かし、恐らく神さまが、現にいま、彼の背中につかまつて、「早く改心せよ」と、囁いておられるやうに感じたであらう。遂にその場で、自分の罪狀をすつかり白狀して、まつたくの善人になりかはつたのである。[やぶちゃん注:これは第二幕の非常に重要なシークエンスである。国立国会図書館デジタルコレクションのここである。]
この超自然的現象は、よほど恐ろしかつたと見え、招魂社前で千太に改心をすすめるところにも、
『親父に己が預けておいた一人の忰が跛になり、生れも付ねえ片輪になつた譯を聞いて驚いたは、出刄包丁を親父が硏ぎ棚へ上げて置いたのを、夜更けて猫が鼠を取るはずみに棚からそれを落し、下に寢て居た忰の足へ當つて深い疵を受け、それから遂に跛となり、步くも自由にならねえ片輪、爰に不思議は疵を受けた其夜は四月二十日の夜で、しかも時刻は十二時前、己が手前と福島屋へ入つた晚も同じ二十日で時刻も同じ十二時前、切つたも同じ左の足、
〽親の因果が子に報ふと、世の譬にも言ふけれど、斯う覿面に報ふものかと、
心が附いて見る時は、凡そ盜みをした者は、人間一生五十年の坂を越した者はなく、先づ二十五の曉迄に天の罰を蒙つて、長く生きて居られねえのは、みんな惡事をした報い、こいつあ心を改めにやならねえことゝ氣が付いて、すつぱりと止めてしまひ、云々。』
と言つて居る。
かくの如く超自然的現象を信ずるところを見ると、あたかも彼が、先天性犯罪者の素質を多少持つて居やしなかつたかと思はれるけれども、先天性犯罪者ならば超自然的現象の存在を信じても、それによつて、改悛することは稀なのである。彼等は神樣を信ずるにしても、神樣は常に彼等の行爲を保護したまふものであると考へるのが常である。尤も『因果應報』はいふまでもなく、佛敎の思想から來た、いはゞ東洋人に特有な信仰であつて、先天性犯罪者でも東洋人ならば、多少はその信仰を持つ筈であるから、强ち否定することは出來ぬかもしれぬが、彼が親父の前で白狀して、その子の岩松から「盜みをやめてくれ」といはれたとき、
『己が育つ時分には、學校などといふものは話しに聞いたこともなく、漁夫の幼兒が手習は無駄なことだといふ中で、親のお蔭で寺屋へ行き、先づ商賣往來迄やつとのことで上げたれど、童子敎さへ習はねば、五常の道を知らねえから、親が勝手で拵えた子だ孝行するにやア及ばねえと、己が勝手に理屈を付け、親を親とも思はずに、實に己は不孝をした。』
と述懷して居るごとく、やはり不十分な敎育と境遇から生れた犯罪者と見倣さねばならないのである。
さて、作者默阿彌は千太に對しても、因果應報の恐ろしさを示して居る。卽ち彼の父は過失のために死に母は自殺した。然し、島藏ならば、これによつて或は改悛したかも知れぬが千太は却つて自暴自棄に陷つた。これによつて作者は、同じやうな超自然的の出來事でも、境遇と素質によつて、その働き方の全然ちがふことを暗示して居るといふことが出來る。千太はたとひ島藏と同じ地位に置かれても、恐らく改悛はしなかつたであらう。彼は因果應報などといふことを信じなかつた。父母の變死も、決して因果應報だとは思はなかつた。最後の幕で、島藏が、超自然的な力の恐ろしさを說いたとき、千太は、
『隨分お前も是迄は情をしらねえ人だつたが、何でそんな氣になつたか、凡夫盛んに神祟りなしと、惡事をなした其報いで、お前にそれだけ罰が當りやあ、己にも當らにやあならねえ譯だ、誰にも報いがあることなら、金を取られた福島屋も商賣柄にいかものでも、拵へて賣つた報いだらう、内が潰れて裏店で貧乏ぐらしをして居るも、其身を懲らす天の罰、其所へ盜んだ金を返すはこんな馬鹿げたことはねえ、先づあの時から半年餘り、斯うして樂に暮して居るは、天が罰を當てる程の體に罪がねえからだ」
と答へて居る。人間の犯した罪に對して天罰があるといふことは知つて居ても、千太はそれを信じていないのである。
かういふ心であつたがために、千太はだんだん深みへはいつて行き、望月輝をゆすつて、あべこベに恥かしめられたので、遂に彼を殺さうと計畫するに至つたのであるけれども、彼は周圍の狀況のために、やむを得ず、そこまで引つ張られて行つただけであつて、先天性犯罪者のごとく、盜むために盜み、殺すために人を殺すといふやうな心は少しも持つて居ないのである。だから、島藏に比して改心の時期が遲れたのである。
一旦改心した千太は、更に進んで、その改心のしるしに自殺をしやうとさへして居る。これも始めに述べたごとく感傷性の犯罪者には、決して、珍らしくない現象である。
五
かくの如く、默阿彌はこの脚本に於て、環境によつて生じた二人の感傷性犯罪者を描いたのであつて、一般に默阿彌の描いた惡人の多くが、所謂惡人らしくないのは感傷性犯罪者というが如き、極めて狹い範圍の惡人を取り扱つたからである。さうして、彼の理想である惡人の美化又は善化を行ふためには、恐らくこの種の犯罪者を取り扱ふより外に道がなかつたであらうと思はれる。
なほこの脚本に於ては、境遇の犯罪者に及ぼす影響が巧みに描かれ、かつて共犯者であつたものが、全くちがつた境遇に置かれたときに陷るべき運命が巧みに描かれて居るが、それ等のことは、脚本を讀んで下さればわかることであるから、ここには省略する。
要するに、默阿彌の脚本には、犯罪者の心理的推移の恐ろしさは描かれなくて、犯罪者を支配する運命と境遇との恐ろしさが描かれてあるといひ得るであらう。『島鵆月白浪』に於ても、島藏が刑罰を恐れる心など、かなりに深刻に描かれて居るが、シエクスピアの戯曲に見るやうに、犯罪性の性格から事件が生れるのでなくて、環境とか運命といふが如き外的條件が主になつて事件が生れて行くやうである。だから、默阿彌の作には「偶然」がかなりに多く取入れられて居るやうに思はれる。