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2022/03/13

狗張子卷之六 亡魂を八幡に鎭祭る

 

   ○亡魂を八幡に鎭祭(しづめまつ)

 寬永のはじめつがた、吉川某(きつかはなにがし)の家人(けにん)松岡四郞左衞門と聞えし者は、武篇(ぶへん)にほまれあり。心ざし、しぶとく、正直の武侍(ものゝふ)なり。

 しかるを、傍輩(はうはい)の讒(ざん)によりて、打首にして、殺されたり。

 すでに死期(しご)におよびて、云(いふ)やう、

「口惜しくも、あらぬ讒言に依(より)て命を失なふ事は、ちから、なし。せめて、腹をだにきらせず、打首にせらるゝこそ、無念なれ。來世、たましひ、きえて果てなば、是非なし、きえずして、ある物ならば、此うらみは、報ずべきものを。」

とて、齒がみをして、首をぞ討(うた)れける。

 七日の後(のち)、四郞左衞門が亡靈、あらはれて、生きたる時の姿のごとく、讒せし者は、親子ながら、打つゞきて、死絕(しにたえ)たり。

 それのみにかぎらず、道に行《ゆき》あふともがら・男女(なんによ)・老少、立ちどころに死するもの、一千餘人に及べり。

 僧をやとうて、經をよみ、種々(しゆじゆ)、事《こと》とぶらへども、しるし、なし。

 埋(うづ)みたる塚をかざり、陰陽師(おんやうじ)に仰せて、まつらるれども、しづまらざりければ、社(やしろ)をつくりて、「八幡」と號し、祭(まつり)を初めて、祝ひ、鎭めしより、亡魂のうらみ、とけて、そののちは、ながく靜まりぬ。

 

[やぶちゃん注:挿絵はない。「伽婢子」「狗張子」を通じて最も短い話柄か。

「寬永のはじめつがた」寛永は二十一年まであり、一六二四年から一六四四年まで。徳川家光の治世。

「吉川某(きつかはなにがし)」江本裕氏の論文「『狗張子』注釈(五)」(『大妻女子大学紀要』一九九九年三月発行・「大妻女子大学学術情報リポジトリ」のこちらから同題論文の総て((一)~(五))がダウン・ロード可能)によれば、『ここでは、吉川広家か。広家は吉川元春の三男。毛利氏の武将として各地を転戦した後、慶長六年(一六〇一)周防岩国城主となった。三万石。寛永二年九月死去。吉川氏は周防国岩国藩主。藤原家南家の一支流で、駿河国入江荘吉河邑(静岡県清水市)に居館を構えた経義を始祖とする。在地名により吉川氏を称した。後、吉川興経の養嗣子として毛利元就の次男元春をむかえ、吉川氏は毛利氏の未家となった。元春は小早川家をついだ弟隆景とともに「毛利両川」と称され、主家毛利氏を補佐して中国平定に尽力。その子広家も、関が原の戦いでは徳川家康に内応し、西軍の将となった毛利氏に周防・長門(山口県)二カ国を確保した。江戸時代には吉川氏は宗家毛利氏の家老格として周防岩国六万石を領し、幕末にいた』ったとある。

「松岡四郞左衞門」不詳。

「八幡」江本氏は『岩清水八幡宮か』とされるが、私は絶大なる源氏の武将八幡太郎義家にあやかって御霊(ごしょう)化したものと感じた。]

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