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2022/03/06

筑摩書房「萩原朔太郞全集」(初版)「散文詩・詩的散文」初出形 正規表現版 ADVENTURE OF THE MYSTERY / 完全厳密異同検証版

 

[やぶちゃん注:本篇は大正六(一九一五)年七月号『感情』に発表された。本篇は既に三ケ月足らず前の「萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 散文詩 ADVENTURE OF THE MYSTERY」で示しており、そこで私は、その小学館版と、筑摩版とを比較し、『その初出とは表記上の違いが幾つかあるが、初出自体に歴史的仮名遣の誤りが複数あり、漢字表記の異体字も多い。比較したところでは、句読点の一部脱落や、「々」を用いないなどの相違もあるが、私には躓くところも特にない(「まん上」の読み以外は、である)。ただ、本書の本篇には二箇所の看過出来ない誤りがある。』として、注でその二点を指摘するに留め、筑摩版初出を電子化してはいない。但し、そちらの注では本詩篇に対する私の感想・評も添えてあるので、必ず読まれたい。それはこちらでは異同に関わる点以外は、繰り返さないつもりからである。小学館版は筑摩版全集に先行して、独自に編集されたものであり、恐らくは現在、本詩篇をテクストとして、今や絶対的な権威を持ってしまった絶対消毒主義によって本来の萩原朔太郎の詩篇がテツテ的に消毒されてしまった校訂本文を掲げる筑摩版全集のそれと、対等に比較することの出来る、唯一の別な存在と言えるものである。されば、ここで私は以下で電子化するべきであると考えた。されば、ここでは、今までとは異なり、筑摩版初出版・筑摩版校訂本文・小学館版のそれと、三者を細部に至るまで厳密に異同を調べ(漢字異体字も含む)、異なる箇所を総て指摘し、参考に供することとする。なお、小学館版は国立国会図書館デジタルコレクションの昭和二二(一九四七)年十一月十五日発行の当該書のここからの画像を視認ものであるが、再度、校合し、正確を期した。因みに、例えば、既に小学館版は表題に添え辞がないが、初出には以下の通り、「(散文詩)」というそれが附されてあり、初っ端から違うのである。なお、注で言う「二書」とは小学館版本文と筑摩版校訂本文を指す。]

 

 ADVENTURE OF THE MYSTERY

     (散文詩)

 

 巧みな演奏者によつて奏された美しい音樂をきくとき、その旋律の高潮に達したとき、私共のしばしば味ふことのできるあの一種の快よい感覺と、その瞬間の誘惑にみちた世界の叙景に就いて。

 凡そ音樂の展開する世界の眺望はたぐひなきものである。それは現實の世界では到底想像することもできない、一種の異樣な香氣とかがやきに充ちた世界である。

 そこではあるひとつの不思議な情緖が、魔術のやうな魅惑を以て、私共の精神の全面を支配するやうに思はれる。[やぶちゃん注:小学館版は「以て」の後の読点がないが、これは版組み上、改ページ末にあり、組み変えをするのを厭うた結果である可能性が否定出来ない。画像を視認されると、前ページの「鼠と病人の巢」の終りから三行目は行末に句点を打つために、組み版が変えてあるのが左右行の文字列とズレを生じていて、はっきり判るからである。やることは出来るのだが、改ページだし、読点なしで、自然にブレイクが入るから(悪意を以って言うなら)誤魔化したのでは? と考えることも出来るのである。]

 そのむづ痒いやうな感覺。何ともいへない樂しい世界へ、今少しのことで手が届きさうに思はれるときの快よい焦燥と、そのぞくぞくやうな心臟のよろこび、そのほつとする心もち、甘つたるい悲しさ、しぜんと淚くむやうになる情緖の昻進。[やぶちゃん注:「そのぞくぞくやうな」はママ。小学館版・筑摩版校訂本文ともに『そのぞくぞくするやうな』と補正している。「昻進」の「昻」は「昂」の異体字。小学館版はそのまま『昻進』とあるのに対し、筑摩版校訂本文は絶対消毒凡例に則り、『昂進』とされてしまっている。「淚くむ」はママ。二書とも「淚ぐむ」に修正してある。]

 凡そ音樂の見せてくれる世界ほど、不可思議な誘惑と魅力に富んだものはない。かうした世界のよろこびを傳へるためには「搔きむしられる樂しさ」といふ言葉より外の言葉はないのである。何となれば、それは人間の常住する世界ではない。そこには何かしら、人間以外のある限りなく美しい者が住んでゐる秘密の世界である。この世界の實景實情を語るためには、人間の言葉はあまりに粗野であまりに感情に缼けすぎてゐる。[やぶちゃん注:「何となれば、」の読点が小学館版にはない。「秘密」は二書とも『祕密』とする。「缼け」の「缼」は「缺」の異体字である。小学館版は「缺」にしてしまっている。無論、筑摩版校訂本文は『缺』である。]

 音樂をきくとき、私は時々考へる。

 一体そこには何物が居るのか。何物がどんな魔術を使つて、かうまでに私共の心を誘惑するのか。[やぶちゃん注:「一体」はママ。二書とも『一體』とする。]

 實際それは恐ろしい誘惑である。

 昔は多くの夢みる詩人が居た。

 ある時、彼等の中でも最も勇敢な騎士たちが、この秘密の世界へ向つて探險旅行を試みた。[やぶちゃん注:「秘密」はママ。処理は二書ともに同前。]

 彼等は美しい月夜に船の帆を張りあげて進んだ。この不可思議な「見えない島」と「見えない魔術師」の正体を發見するために。彼等の船は長いあひだ月光の下をただよつた。そしてしまいにたうたうあるひとつの怪しげな島を發見した。その島の上には、一人の言ひやうもない美しい魔女が立つてゐるやうに思はれた。しかも花のやうな裸體のままで、琴を手にかかへて。[やぶちゃん注:「正体」はママ。二書とも『一體』とする。「しまいに」「たうたう」はともにママ。小学館版は『しまいに』とこちらはママで、『たうとう』は修正、筑摩版校訂本文はともに『しまひに』『たうとう』とともに修正している。]

 夢みる勇敢な騎士たちが、よろこび叫んで突進した。彼等は皆若くそして健康で美しかつた。彼等の生活は酒と戀と音樂であつた。就中その切に求めて居るものは戀と冐險であつた。[やぶちゃん注:「冐險」の「冐」は「冒」の異体字。二書とも「冒險」に修正。]

 まもなく、島が彼等のすぐ眼の前に現はれた そして不思議な音樂のメロヂイが、手にとるやうにはつきりと聞えはじめた。[やぶちゃん注:「現はれた 」の後の字空けはママ。まず、小学館版は『現れた、』と送り仮名の「は」がなくて空欄は読点、対して、摩版校訂本文は『現はれた。』としている。]

 騎士たちの心は希望と幸福に充ちあふれた。長い長い年月のあひだ、彼等の求めてゐたその夢の中の不思議な世界、その空想で描いた妖魔の女性。かつてそれらのものは、手にも取られぬ幻影の幸福であつた。

 然るに今は、夢でもなく空想でもない。事實は彼等のすぐ眼の前に裸體で突つ立つて居る。しかもいま一分間の後には、凡てそれらの謎の秘密と幸福の實体とは、疑ひもなく彼等自身の手の中に握ることができるのである。永久に、しかも確實な事實として。僅か一分間の後に。[やぶちゃん注:「秘密」「實体」はママ。二書とも『祕密』『實體』に訂正。]

「ああ、何といふ仕合せのよいことだ。」[やぶちゃん注:小学館版は行頭を一字下げしている。]

 さう言つて彼等は樂しさに身を悶えた。實際それは彼等にとつては、信ずることもできないほどの幸福であつたにちがひない。

 けれども、ここにひとつの不思議な事實があつた。しかも悅びで有頂天になつてゐる騎士たちはだれ一人としてその事實に氣のついた者はなかつた。[やぶちゃん注:「騎士たちはだれ一人として」小学館版はそのままであるが、筑摩版校訂本文は読点脱字と断じて『騎士たちは、だれ一人として』としている。]

 島が、目的物が、彼等のすぐ近くに見えはじめてから、少なくとも彼等は數時間以上も船を漕いで居た。しかも彼等が最初に島を發見したのは、ものの半時間とはかからない近距離に於てであつた。[やぶちゃん注:「島が、」の読点は小学館版にはなく『島が目的物が、』となっている。]

 實際、島は最初から彼等の頭のまん上に見えて居た。そして船は矢のやうな速さで突き進んだ。[やぶちゃん注:太字「まん上」は底本では傍点「﹅」。小学館版には傍点がない。にしてもこの「まん上」は気持ちが悪い。「まんまへ」「まんなか」と同じく「まんうへ」と読むしかないが、私は六十五になる今まで「まんうえ」と言う言葉を用いたことも言ったこともない。なお、別に「眞上(まうへ)に島が見えるというのはおかしいのでは?」という御仁は「萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 散文詩 ADVENTURE OF THE MYSTERY」の私の最後の見解を読まれたい。少しもおかしくないのである。――あれなら――真上に見えるさ――ね……(但し、私の最終注も参照)]

「もう一息、もう一分間。」さつきから彼等は、何度心の中でそう繰返したか分らない。[やぶちゃん注:「そう」はママ。小学館版は『そう』で、無論、筑摩版校訂本文は『さう』とする。]

 あまつさへ、船は次第に速力を增してきた。始は數學的の加速度で、併しいつのまにか魔術めいた運動律となつて、遂には眩惑するやうな勢でまつしぐらに島の方へ飛び込んだ。それは丁度大きな磁石が鐵の碎片を吸ひつける作用のやうに思はれた。

 この思ひがけない幸運に氣のついたとき、船の人人は思つた。疑ひもなくそれは、島が自分たちを索きつけるのである。一秒間の後に、我我はそこの岸に打ちあげられてゐるにちがひないと。人人の心臟は熱し、その眼は希望にくらめいた。[やぶちゃん注:「人人」(二ヶ所)「我我」はママ。小学館版は『人々』『我々』で、「々」を排除する強引な差別主義の筑摩版校訂本文は胸を撫で下ろして総てそのままである(私はこの筑摩の「々」排除は甚だしい生理的嫌悪感を感じる。私は物心ついて以来、「人人」「我我」と書いたことは一度もないからである。特異的に「ひとひと」「がが」とでも読みたいのか? と疑うほど気持ちが悪いのである。漢字ではなく記号だから気持ちが悪いと言うなら、私は内心では大陸の中文簡体字の方が遙かに気持ちが悪いと言っておく)。「索きつける」はママ。気持ちとしては「ひきつける」と読んでいるというのがわかるが、これを用いたとなら、やはり誤字である。小学館版はそのまま『索きつける』であるが、筑摩版校訂本文は流石に『牽きつける』と修正している。]

 一秒間は過ぎた。けれども、そこには何事も起らなかつた。

 舟は相變らずの速力で疾風のやうに走りつづけて居た。そして夢みるやうな月光の海に、眞黑の島は音もなく眠つて居た。ただ高潮に達した音樂のメロヂイばかりが、あたりの靜寂を破つて手にとるやうに聞えて居た。[やぶちゃん注:文末が小学館版では『あたりの靜寂を破つて手にとるやうに聞えた。』となっている。]

「まてよ。」[やぶちゃん注:小学館版は行頭を一字下げしている。]

 しばらくして乘組員の一人が、心の中で思ひ惑つた。

 實際、彼等はさつきから數時間漕いだ。そして今、船は狂氣のやうに疾走して居る。それにもかかはらず、彼等は最初の位地から、一尺でも島に近づいては居なかつたのである。島と船との間には、いつも氣味の惡い、同じ距離の間隔が保たれて居た。

「まてよ。」[やぶちゃん注:小学館版は行頭を一字下げしている。]

 殆んど同時に、他の二、三人の男がつぶやいた。

「どうしたといふのだ、おれたちは。」[やぶちゃん注:小学館版は行頭を一字下げしている。]

 彼等はぼんやりして顏を見合せた。そして手から櫓をはなした。

「氣をつけろ。」[やぶちゃん注:小学館版は行頭を一字下げしている。]

 その時、だしぬけに仲間の一人が叫んだ。その聲は不安と恐怖にみちて、鋭どく甲ばしつて居た。

「みんな氣をつけろ。おれたちは何か恐ろしい間違へをしてゐるのかも知れない。さもなければ……。」[やぶちゃん注:小学館版は行頭を一字下げしている。]

 その言葉の終らない中に、人人は不意に足の裏から、大きな棒で突きあげられるやうな氣持がした。[やぶちゃん注:「人人」同前。]

 ちよつとの間、どこかで烈しく布を引きさくやうな音が聞えた。

 そして、一人殘らず、まつくらな海の底へたたき込まれた。[やぶちゃん注:小学館版では、以下の行空けがない。ここは小学館版では、丁度、見開きの改ページに当たっている。しかし、行数を数えると、最終ページには余裕があり、一行空けをすることは出来たことが判る。ミスの可能性が高い。この行空けはコーダの肝になるもので、小学館版のそれはかなり痛い誤りである。]

 

 かうして、不幸な騎士たちの計畫は、見事に破壞されてしまつた。彼等の美しいロマンチツクの船と一所に。とこしなへに歸らぬ海の底に。

 ほんとに彼等は氣の毒な人たちであつた。

 何故かといふに、彼等が今少しの間この恐ろしい事實、即ち彼等の船が「うづまき」の中に卷き込まれて居たことに氣が付かずに居たならば、彼等はその幸福を夢みて居る狀態に於て、やすらかに眠ることができたかも知れなかつたのである。[やぶちゃん注:「即ち」はママ。二書とも『卽ち』と修正している。]

 私が音樂を聽くとき、わけてもその高潮に達した一刹那の悅びを味ふとき、いつも思ひ出すのはこのあはれに悲しげな昔の騎士の夢物語である。

 手にとられぬ「神秘の島へ」の、悲しくやるせない冐險の夢物語である。[やぶちゃん注:「神秘」「冐險」は孰れもママ。二書とも『神祕』『冒險』としてある。]

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