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2022/03/06

狗張子卷之五  常田合戰甲州軍兵幽靈

 

[やぶちゃん注:挿絵は今回は底本(昭和二(一九二七)年刊日本名著全集刊行會編「同全集第一期「江戶文藝之部」第十巻の「怪談名作集」)のものをトリミングし、二幅を接近合成して清拭したものを、適切と思われる箇所に挿入した。]

 

 ○常田(ときだ)合戰甲州軍兵(ぐんびやう)幽靈

 甲州東郡(ひがしごほり)惠林寺(ゑりんじ)のおくに、眞言の寺あり。上求寺(じやうぐじ)と名づく。

 本尊は不動明王なり。强盛忿怒(がうじやうふんぬ)のさうがうは、放逸無慙のともがらをいましめ、本來究竟(ほんらいくきやう)の智劍は、般若實理の性(しやう)をしめす。六賊四魔、おのづから降伏(がうふく)し、四生五趣(《し》しやう《ごしゆ》)、あまねく利やくし給ふ。

 その時の住持は、賴胤阿闍梨(らいゐんあじやり)とて、智行兼備の德たかく、四曼相卽(しまんさうそく)の花の本(もと)には、白馬(はくば)、いなゝき、三密觀行(《さんみつ》くわんぎやう)の月の前には、靑龍(しやうりう)、雲に吟ず。至極上乘のこゝろの底には、五部相應の玉をみがき、瑜伽中臺(ゆがちゆうだい)の胸の内には、三業卽是(《さんごふ》そくぜ)の香をつゝめり。

「效驗揭焉(かうげんげつえん)の明匠(めいしやう)也。」

とて、諸人、たふとび、うやまひけり。

 加持・護念・護摩・灌頂(くわんぢやう)、その功をあらはし、谷のひゝきに應ずるごとし。

 武田信玄は國主なり。

「その本卦(ほんけ)、すでに豐(ほう)の卦にあたり、本尊は、すなわち、不動なり。」

とて、ふかく信仰(しんがう)のおもひをかたぶけ、いつも、出陣の時は、まづ、上求寺にして、護摩を修(しゆ)せられ、御館(おたて)、しづかに、軍勢無爲(ぶゐ)・大將勝利のきたうを、いたされ、信玄、みづから、參詣ある事、每度の成例(じやうれい)なり。

 天文(てんぶん)二十一年三月に、越後の長尾景虎入道謙信は、千餘騎にて、信州の地藏峠のこなたまで働(はた)らき出《いで》られ、長尾義景、三千餘騎、先手《さきて》として押し出《いで》たり。

 武田信玄、一萬三千の人數《にんず》をもつて馳せ向かひ、たがひに陣をはり、足輕を出して迫(せ)り合ひけれども、はかばか敷(しき)軍(いくさ)も、なし。

 謙信、いかゞ思はれたりけん、陣をはらひて、越後に歸られたり。

 義景、靜かに引《ひき》て、峠にあぐるを見て、武田がた、飯富兵部(いひとみひやうぶ)、小山田(を《やまだ》)備中、郡内(ぐんない)の小山田左兵衞、蘆田下野(あしだしもつけ)、栗原左衞門佐、眞先(まつさき)にすゝみて、義景を喰(く)ひとむる。

 義景は、すこしもおどろかず、甲州がたを坂中まで引つれ、手勢三千を、只、一手(ひとて)につくり、大返(おほがへ)しに、取《とり》て返して、たゝかふに、武田がた、立つ足もなく、坂より下へ、まくりおとされ、散々に切くづされ、小山田古備中(こびつちう)は、うち死(じに)し、栗原、郡内(ぐんない)の小山田は、深手負(おふ)て引かねたるを、武田方(がた)旗本の前備(まへそなへ)、甘利(あまり)左衞門・馬場民部・内藤修理(しゆり)、かけよせて、向ふ敵を打はらひ、突きたふして、栗原・小山田をば、肩にかけて、味方の陣につれて歸りしが、二人ながら、いくほどなく死けり。

 されども、義景は、武田の大軍に人數七百十三人うたれ、わづかに三騎(ぎ)に成《なり》て引歸(《ひき》かへ)す。

 武田がたにも、三百七十一人、うたれ、手負ひは數しらず、軍(いくさ)は勝(かち)に似て、歷々の侍大將を失なひけり。

 此度(このたび)の軍立(いくさだち)にも、護摩を上求寺に修せられしに、護摩木(ごまき)、ふすぶり、灑水(しやすい)、こぼれたりしかば、賴胤阿闍梨、あやしくおもひながら、ふかくつゝしみて、人にもかたらず。

 しかる所に、二十六日の亥の刻ばかりに、鎧武者、三百騎斗(ばかり)、上求寺の門を、つきひらきて、かけ入《いり》たり。

『小山田古備中が聲か。』

と、おぼしくて、軍兵(ぐんびゃう)を支配す。

 寺中(じちう)にあり合(あ)ふたる同宿(どうじゆく)・小法師原(こぼうしばら)、おどろき、あはてゝ、緣のした・天井の上に、かくれたり。

 

Surayuurei

 

 賴胤は篤實の老僧にて、少《すこし》もおどろかず、

『軍勢の打入たるは、さだめて、甲州方、敗北して逃げこみたり。』

と、おもひ、窓より、さしのぞきたれば、大庭(《おほ》には)に備(そなへ)をたて、くるしげにみえたる武者ども、立ちならびたる所に、跡より、又、六、七百騎もあるらんと、おぼしくて、鎧武者、こみ入たり。

 打あひ、つきあひ、おし出だし、こみいりて、せめ、戰ふ。

 鋒(きつさき)より出《いづ》る火は、澤邊(さはべ)の風に吹みだるゝ螢より、なほ、かゞやき、馳せちがふ汗馬(かんば)のいきほひは、雲井にとゞろくいかずちのごとし。

 かくて、兩陣、鬨(とき)の聲をあげたりしかば、甲府の地下人(ぢげにん)、この聲におどろき、

「すはや、味方、打まけて、敵軍(てきぐん)、追ひつめ、打入《うちいり》たるぞ。」

とて、俄かにさわぎたちて、親は子の手をひき、子は親をたすけ、資財・雜具(ざふぐ)をかつぎ、になうて、逃かくるゝ。

 御館(おたて)の留守居典厩(てんきう)信繁、穴山伊豆守、手[やぶちゃん注:「て」。手の者。配下。]の郞等(らうどう)・同心・被官、三百人、

「太刀よ。」

「長刀(なぎなた)よ。」

「馬物具(ものゝぐ)よ。」

と、ひしめき、しかも、空、すこしくもりて、闇の夜《よ》なり。

 くらさはくらし、松明(たいまつ)、手每(てごと)にともし、上求寺に、はせつきたりければ、門は、きびしく閉ぢて、軍(いくさ)は、大庭のおもてに、打ち合ふ音、しきり也。

 人々、下知(げぢ)して、戶びらを打やぶり、かけ入ければ、今まで、兩陣一千餘騎にあまりし軍兵(ぐんびやう)ども、入亂《いりみだ》れ、たゝかふ、とぞ、みえしが、雪霜(ゆきしも)のきゆるごとく、皆、一同に消うせて、只、松風の音のみ、梢に殘れる斗《ばかり》なり。

 賴胤阿闍梨、あまりのふしぎさに、戶をひらき、立ち出て、典厩穴山(てんきうあなやま)に對面し、始め終りの有さま、ものがたりあり。

「いかさま、只事にあらず、味方、おくれをとりたるか。」

と、手をにぎり、肝をひやし、御館(おたて)に歸り、軍兵をもよほし、軍立(いくさだち)の評定、夜もすがら、極められし所に、微明(びめい)に、飛脚、到來してこそ、甲府は靜まりけれ。

 うたれし敵・味方、まさしく修羅の巷(ちまた)のおもむき、瞋恚我慢(しんいがまん)の業因(ごふいん)にひかれて、かゝるくるしみをうけぬらん。順現順生(じゆんげんじゆんしやう)のまよひの有さま、さこそは悲しかるらめ。

 信玄、やがて歸陣(がいぢん)あり。

 敵・味方、うたれたる者どものため、上求寺において、佛事をいとなみ、僧衆(そうしゆ)をくやうし、七日のうち、經、よみて、跡をとぶらはれしかば、此後は、こと故なかりしとかや。

 

[やぶちゃん注:現実でも修羅に生き死に、かくして修羅道に転じた者たちの業が。前世に鏡像となって再現される――

「常田(ときだ)合戰」「地蔵峠の戦い」。戦国史は私の守備範囲外なので、サイト「箕輪城と上州戦国史」の「上杉謙信、武田晴信と地蔵峠に一戦」を読まれたい。時は天文二一(一五五二年)三月で、地蔵峠(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で行われた。但し、リンク先にこの戦いは『史実上の疑問点が多い』とある。

「甲州東郡(ひがしごほり)惠林寺(ゑりんじ)」現在の山梨県甲州市塩山小屋敷にある臨済宗妙心寺派の乾徳山(けんとくさん)恵林寺。甲斐武田氏の菩提寺として知られる。ここ

「眞言の」「上求寺(じやうぐじ)」真言宗醍醐派。現在は「じょうごじ」と読んでいる。ここ。但し、「山梨県」公式サイト内の「市指定文化財」の「木造不動明王二童子立像」に、『中屋集落に所在する大瀧山上求寺奥の院は、真智集落の北方倉科間分山麓にありましたが』、天正一〇(一五八二)年の『武田家滅亡のとき』、『織田の兵火に』よって『焼失しました。現在は不動堂だけが残っています。附近には、男滝、女滝、袖切坂、蚕種石などの地名があります』。『本尊の不動明王は寄木造、童子像は一木造で、頭部は耳前で前後に二材を矧ぎ、童子像はほぼ全身を一材から彫出し、面部を矧いで玉眼を篏入したと思われます。面部は欠失しています。火災の光背を背負って立つ、通形の不動明王像です。上半身を強く左にひねる姿は、信玄の願主とする恵林寺武田不動尊像にみられる姿です』。『制作年代は、江戸時代で』、二月二十八日の『例祭は、「お不動さん」の名で親しまれています』とあった(不動尊像の写真有り)。されば、戦国時代の元の不動像は国土地理院図のこの中央附近にあったものと思われる。

「强盛忿怒(がうじやうふんぬ)のさうがうは……」以下、了意は、かなりディグした仏教用語を駆使し、全体的にも確信犯で佶屈聱牙な漢語が有意に多く使用されており、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の原本を見ても(10コマ目以降)、読みを振った箇所が多く、画像を見ても、全体に黒っぽい。さて、以下で立て続けに示される仏語類は、もう、今までも参考にさせて戴いている江本裕氏の論文「『狗張子』注釈(四)」(『大妻女子大学紀要』一九九九年三月発行・「大妻女子大学学術情報リポジトリ」のこちらから同題論文の総て((一)~(五))がダウン・ロード可能)でかなり子細に注がなされてあるので、直接、そちらを見られたい。本篇では、私が注したくなった部分のみとする。江本氏は仏教語では、この「强盛忿怒」に始まり、「放逸無慙」・「本來究竟の智劍」・「般若実理」・「六賊四魔」・「降伏」・「四生五趣」・「四曼相卽」・「上乘」・「三密觀行」・「五部相應」・「瑜伽中臺」・「三業卽是」・「効驗揭焉」等の注釈がある。なお、この冒頭にある「さうがう」は「相好」で、仏教で仏身について、そこに備わっている「三十二相八十種好」による語。仏・菩薩や天部・明王などの身体の各部分の特異な身体的特徴の総称を指す語である。「賴胤阿闍梨」不詳。「中性院灌頂資記」(「続群書類従」第二十六輯ノ上 釈家部)のここ(国立国会図書館デジタルコレクション)に同名の阿闍梨を見つけたが、これは鎌倉時代の正安三年の記事だったから、アカンわ。

「本卦」生まれた年の干支。信玄の生まれは大永元年辛巳(かのとみ)。ユリウス暦一五二一年。

「豐(ほう)の卦」周易下経三十四卦の一つで、第五十五番目の卦。

「長尾義景」以下の武将名も前掲の江本氏の注釈を見られたい。

「坂中」江本氏注に、『坂中峠のことか。坂中峠は高坂村枝郷坂口新田村(現牟礼村大字坂口』(現在は長野県上水内(みのち)郡飯綱町(いづなまち))『)と西条村枝郷坂中新田村(現長野市)との中間、三登山山稜の鞍部、標高八一七メートルの地点にある北国脇往還の脇、道坂中道の峠のことであり、坂中・坂口両新田村は峠の南北坂本にある集落である。』とされる。ここ

「灑水(しやすい)」仏教でも、特に密教の儀礼を実行する前に、特別に準備した水を、「亥の刻」午後十時前後。

「同宿(どうじゆく)」同じ寺に住み込み、同一の師僧のもとで、ともに修行している学僧らを指す。

「備(そなへ)」急拵えの陣。

「地下人(ぢげにん)」甲府の領民。

「順現順生(じゆんげんじゆんしやう)」江本氏注は『順現順生のまよひのありさま』(本底本とは親本が違うので表現に違いがある)に『業の報いに翻弄される様子。順現は、順現受業のこと。現世にその報いを受ける業。順生は、順生受業のこと。その報いを次ぎに生まれ変わった世で受ける行為。』とある。

のまよひの有さま、さこそは悲しかるらめ。

「僧衆(そうしゆ)をくやうし」これは信玄が僧たちに使者の供養のために布施をしたことを言う。]

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