萩原朔太郎 未発表詩篇 無題(わたしはわたしの罰をおぽへてゐる……) / 附記――私がどうして筑摩版の抹消記号をそのまま使わないかということについて――
萩原朔太郎 未発表詩篇 無題(わたしはわたしの罰をおぽへてゐる……) / 附けたり――私が筑摩版の抹消記号をそのまま使わないかということについて――
○
わたしは死に頭わたしの影罰をおぼへてゐる
いまこそわたしの頭痛
ああいたましい病の核をば
靑白い死の足音を
わたしは空にもみとめた
地の上にもみとめた
わたしはぢつと草の實をかみしめながら
淚ぐましい眼で見送つて居た
なやましい頭痛疾患のありかを知つて居る、影をつかまへて居る、
そして男は草の實そうして髮の毛をかみしめながら
病人は淚を
わたしは病人は淚をながしたきりきりと齒をかみしめた
そのとき遠くの草むらから
ぴつくりした虫けらの
大きないやにへんに大きなまつかの眼玉がとび出したのである、
[やぶちゃん注:底本は筑摩版「萩原朔太郞全集」第三巻の「未發表詩篇」の校訂本文の下に示された、当該原稿の原形に基づいて電子化した。表記は総てママである。なお、今回、私が附した抹消線+下線部は、編者が、その前後全体の抹消に先立って、部分抹消されたとする部分を示す。
ここで言っておくと、一部のネット読者から、「何故、筑摩版全集の抹消を〈 〉や《 》で示さないのですか?」と問われたことがあるので、ここでもそれについて述べておくと、まず、筑摩版のそれをそのまま写すと、それは筑摩版のそのままのコピーとなり、記号を施している編者に〈おんぶに抱っこ〉となるのが、筑摩版校訂本文を盛んに批判している私個人の矜持として面目ないこととしてやれないというのが一つ、さらにこちらが実は本音であるのだが、先だって消した部分が、後から抹消した部分の中にあるのに、その古い前の抹消部とするものが、後で消したとするその前後にあるフレーズと、何の齟齬もなく繋がって違和感なく読める箇所が非常に多く見出せるのが不審だからである。則ち、原稿自体を見ることが出来ない我々にとっては、その前もって抹消されたという事実確認が、編者の判断を信用する以外にはないということになる。ところが、同全集の原稿写真を見るに、抹消線が入り乱れ、吹き出しで書かれ、原稿用紙の空き部分があれば、改案を好き勝手に書きなぐっているそれを、果して――これは前に削除したもの――これは後からの削除――と、精緻に正確に判読し得るものとは、私には到底、思えないからなのである(口幅ったいが、編者がその「いつ消したか?」の判断を間違えているかも知れない可能性のあるものを無批判には使えないということである)。なお、私は今まで、その前に削除されたとする部分は、総てに前後に半角の間隙を入れて分離することで、削除に時制上の断絶があるといことは区別出来るようには、必ず、やっているのである。今回のように、それが私の方法では示せない場合に限っては、それを注で言葉で述べているのである。
されば、ここでは筑摩書房版に則って、かく表記してみたに過ぎない。向後も、これを使うつもりは、私には、ない。そういう私の意図を判って戴くために、今回のみ(非常に古い「萩原朔太郎」の電子化の中ではそれをやってあるものもあるが、果してそれが鑑賞に利するものかどうかは、私はクエスチョンだからである(研究者には意味があるだろうが、研究者はその場合、原稿原本に従うのが、言うまでもなく、基本であろう。しかし、多くの萩原朔太郎の論文では筑摩版からとして、そのまま〈 〉《 》で引用使用されてある)。
削除を消去したものを以下に示す。
*
○
わたしはわたしの罰をおぼへてゐる
なやましい疾患の影をつかまへて居る、
そうして髮の毛をかみしめながら
病人はきりきりと齒をかみしめた
そのとき遠くの草むらから
ぴつくりした虫けらの
へんに大きなまつかの眼玉がとび出したのである、
*
なお、底本の校訂本文は一行目の「罰」を「罪」の誤記として消毒している。従えない。]
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