萩原朔太郎 未発表詩篇 偉大なる懷疑
偉大なる懷疑
――淨罪詩扁、奧付――
主よ
あきらかに犯せるつみおば
あきらかに犯せるつみと知らしめ給ヘ
なんぞ
われは われの かの 尊き 聖なる異敎の偶像に禮拜供養せるつみ ことことばあかしせん[やぶちゃん注:底本編者は末尾「ことばあかしせん」を『ことをばあかしせん』と補正している。]
みちならぬ姦淫のつみをばあかしせん
しかはあれもども
我は主を信ず
我は主を信ず
まことに□□□我主ひとりを信ず
かゝる日の懺悔をさヘ
われれが疾患より出づる詩扁をものとしあらば
すべて主のみ前にこゝろにまかせ給ひてよ
しかはあれども
われには主を信ず
主よ
あきらかに犯せるつみをば
あきらかに犯せるつみと知らしめたまヘ
[やぶちゃん注:底本は筑摩版「萩原朔太郞全集」第三巻の「未發表詩篇」の校訂本文の下に示された、当該原稿の原形に基づいて電子化した。表記は総てママである。編者注があり、『ノートより』とする。削除部を除去して示す。
*
偉大なる懷疑
――淨罪詩扁、奧付――
主よ
あきらかに犯せるつみおば
あきらかに犯せるつみと知らしめ給ヘ
聖なる異敎の偶像に供養せることばあかしせん
みちならぬ姦淫のつみをばあかしせん
しかはあれども
我は主を信ず
我は主を信ず
まことに主ひとりを信ず
かゝる日の懺悔をさヘ
われれが疾患より出づるものとしあらば
すべて主のみこゝろにまかせ給ひてよ
しかはあれども
われは主を信ず
主よ
あきらかに犯せるつみをば
あきらかに犯せるつみと知らしめたまヘ
*
この添え辞は甚だ気になる。萩原朔太郎は「淨罪詩」「篇」と名づけた詩群を多くものしているが、これは、謂わば、それらの究極の「奧付」としての最終詩篇であることを示すものだからである。単純に私のブログで萩原朔太郎の「淨罪詩」の文字列で検索すると、二十七件余りの電子化記事が掛かってくる(但し、これはその文字列を私が注で使用したものも含まれる)。これらの詩篇を検証された田村圭司氏の論文「萩原朔太郎の詩的達成――浄罪詩篇を軸にして――」(『帯広大谷短期大学紀要』第十七巻(一九八〇年刊)・「J-STAGE」のこちらからPDFでダウン・ロード可能)があるので参照されたい。]
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