萩原朔太郎 未発表詩篇 無題(篇末に標題候補二種「憔悴せるひとのあるく路」或いは「夕燒けの路」並置残存及び別な添え辞有り)
○
――プロテヤ氏近況――
麻うら草履に謬をぬふみけた、先生たるものが、[やぶちゃん注:「謬」は「膠」(にかは)の誤字(後も同じ)。後文六行目及び私の後注を参照。]
なまけものゝで[やぶちゃん注:「ゝ」はママ。注の最後の別草稿参照。]
のんだくれの
でかだんなる、
やくざで
先生たるところのおまけににかはをふみつけた
詩人たるところの
奇蹟なのんだくれの足音どりだ
こ まあ→そら
ペツタリコ
ヒツタリコ
きゝ給へどうです諸君
1市の方から
2おしねりで[やぶちゃん注:「おひねり」(御捻り)の訛であろう。]
2それ、あれが、おしねしりでこざるところで、を[やぶちゃん注:「おしねしり」の「し」は衍字であろう。]
それ*市の方から//夕やけの路を*ごさるところで、を
[やぶちゃん注:アラビア数字は萩原朔太郎の打ったもの(以下同じ)。「*」「//」は私が打ったもので、「市の方から」と「夕やけの路を」が並置残存していることを示す。「ごさる」はママ。「ござる」の誤字(後も同じ)。]
ヘツタリコ
ギグツタリコ
1いやはや諸君
3櫌町の一方バアからごさるところを、で[やぶちゃん注:「櫌町」は校訂本文では「榎町」とされている。]
ヒツヒリコ
ギガツクリコ
ゾロ、ゾロ、
先生たるものが、…… やくざが謬をふみつけた、
みんな出て見ろやくざが謬をふみつけた
ゾロ、ゾロ
どうです どれうですやぐさめが、みなさん、[やぶちゃん注:「やぐさ」はママ。]
おまけに○をふみつけたる
やれやれ、
ゾロ、ゾロ
*憔悴せるひとのあるく路//
夕燒れけの路*
(前橋市民にプロテヤ氏に捧ぐる詩)
[やぶちゃん注:記号は同前。これは標題の並置である。別添え辞候補或いは後書の丸括弧表記もママ。]
[やぶちゃん注:底本は筑摩版「萩原朔太郞全集」第三巻の「未發表詩篇」の校訂本文の下に示された、当該原稿の原形に基づいて電子化した。編者注が四つあり、まず『ノートより。』とし、次に『題名が詩篇末尾に書かれているのは原文のまま。』とし、『行頭の数字は作者が附したもの』とある。更に『「おまけに○を」の「○」は原文のママ。』とある。
「プロテヤ氏」私の「所感斷片 萩原朔太郎」(全集は随筆として所収するが、散文詩体(てい)のものである)の注を参照されたい。先ほど、正字不全を補正し、追加注もしておいた。そこで示した「前橋文学館」のブログの『2017年12月26日 「ヒツクリコ ガツクリコ」展のもとになった詩』という記事には、やや不審がある。以下に部分引用する。
《引用開始》[やぶちゃん注:引用部は全集の表記に従い、正字化した。]
「ヒツクリコ ガツクリコ」というのは酔った詩人が前橋の街を歩いていく様子を表した擬態語で、独特の響きを持っています。こちらは、未発表詩篇などが収録された『萩原朔太郎全集』第3巻(筑摩書房)中に収められた詩篇ですが、同じく『萩原朔太郎全集』第12巻に収録された「ノート一」の記述によると、朔太郎は雑誌「侏儒(こびと)」1月号にこの詩を寄稿したと書いています。
(前略)
侏儒一月號の詩稿一篇同封しておきました。
流石、のんだくれの探偵詩人プロテヤ氏が肉身ランヱの疾患の極に達してニカハをふみつけたので、靈肉共に憔悴困惑して居るところを侏儒の諸君と前橋の市民等がエノ木マチの一角で指さし嘲笑して居る光景です。題を「夕やけの路」としました。悲慘なる頽廢、デカダン行路の象徴です。
「のんだくれの探偵詩人プロテア」とは、1913年公開のフランス連続映画「プロテア」の主人公である女探偵プロテアに影響されて、朔太郎が名乗っていた名です。映画は同年12月1日に日本で初公開され、朔太郎は1914(大正3)年7月に観に行き、犀星とともに熱狂しました。
「侏儒(こびと)」(侏儒社)とは1914(大正3)年8月に前橋で発行され、1915(大正4)年に終刊した詩歌雑誌で、誌名は朔太郎が命名しました。朔太郎のもとに集った若い歌人たちが中心となって刊行され、朔太郎は指導者的な立場であったといいます。同人は北原放二、木下謙吉、金井津根吉、河原侃二、梅沢英之助、奈良宇太治、倉田健次ら。ほかに北原白秋、室生犀星、山村暮鳥、前田夕暮、尾山篤二郎らも作品を発表しています。このように充実した執筆陣と内容で、群馬の近代詩歌における先駆的な役割を果たしました。編集発行人は梅沢英之助で、「ノート一」の中にも「梅沢君」の名前が見られます。
酔っ払いの上に膠を踏みつけて、危うい足どりで町を歩いていく描写からは、朔太郎流のニヒルなユーモアとリズムを感じますね。
《引用終了》
この前の「ノート一」の引用は『侏儒』編集室宛の書簡下書きと思われ、以上の引用(前後に略がある)自体が編集発行人である彼へのもので、途中で行空けして『梅澤君。』と名指しにした書簡文である。実は「ノート一」のこの直前には、本詩篇の決定稿に近いものと思われる草稿も記されてある(後掲する)のであるが、もし、このブログ主が述べるように、この書簡が本詩篇に決定稿と一緒に送付され、詩篇が『侏儒』一月号に掲載されたものであれば、それは当然、筑摩版全集の「拾遺詩篇」に決定稿として載っていなくてはならないはずである。しかし、それは存在しない。――とすれば、このノートに下書きされた書簡は結局出さず、本詩篇の決定稿も送られなかったのだと考えるしかないのえはないか? 以下に「ノート一」版の本篇草稿を示す。
*
○
――プロテヤ氏近況――
麻うら草履に膠をふみけた、先生たるものが
なまけものゝで
でかだんなる
やくざで
おまけににかはをふみつけた
詩人たるところの
のんだくれの足どりだ
ペツタリコ
ヒツタリコ
2あれが、おひねりで
*市の方から//夕やけの路を*ござるところを
[やぶちゃん注:アラビア数字は萩原朔太郎の打ったもの(以下同じ)。「*」「//」は私が打ったもので、同前で並置残存を意味する。最後の標題も同じ。]
ヘツタリコ
グツタリコ
1いやはや諸君
3榎町のバアからごさるところで
ヒツクリコ
ガツクリコ
ゾロ、ゾロ、
みんな出て見ろやくざが謬をふみつけた
どうですみなさん、
おまけに○をふみつける
やれやれ
*憔悴せるひとのあるく路//
夕燒れけの路*
(前橋市民に捧ぐる詩)
*]
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