毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 キケウ貝 / イソチドリではないか?
[やぶちゃん注:今までの本図譜で、唯一、全く判らなかったので、ペンディングしていた、国立国会図書館デジタルコレクションのここの左中央下のもの。ツイッターとフェイスブックで以下の画像を掲げ、『何らかの生物の欠損片と思われますが、正体が全く分かりません。識者の御教示をお願い致します。「キケウ」は開口部が五角形を成しているようで、「桔梗」と推定します。フジツボ類を考えましたが、殻板が高過ぎ、それぞれの中央部分が明らかに凹んでいる上、先頭部が尖って閉鎖しているように見えるので違うと思いました。何らかの貝類の棘状突起の先が欠けたものでしょうか?』と記したものの、その後、誰からも情報は得られなかった。しかし、今日、ネットで、『あれ? これではないか?!』と思うものに行き逢ったので、掲げてペンディングを解除する。また、向後は同定に困難を感じるものは、頑張って立ち止まるのをやめ、不詳で示すことにする。]
きけう貝
甲午(きのえむま)九月六日、眞写す。
[やぶちゃん注:私は、先ず、「開口部が五角形を成しているよう」に感じたことをリセットし、また、「きけう」も歴史的仮名遣が誤っているのだから、「桔梗」を取り止めた。自分を慰めるように、『貝にしちゃあ、如何にも変な形だし……或いはヘンだから「奇矯貝」かも知れんぞ?』(「奇矯」の歴史的仮名遣は「きけう」で正しいのである)なんどと独りごちたりしたのである。
但し、梅園は、ここまで、本文解説で、歴史的仮名遣をかなり有意に誤っているので、彼が「桔梗」のつもりで書いた可能性はかなり高いと思っている。さらにそれは、この物体の右の殻口(真正の貝類だとして)部の形状が、キキョウの花に似た五放射であることからの命名であろうというのも、かなりの確度で、今も、内心では、信じているのである。
しかし、それに拘ると、何時までも同定出来ないと考え、あくまで、
――この図のように――角度から――一見――こんな奇体な形に見える海産生物の部分――或いは――破片――
を、当て所もなく、画像のネット・サーフィンを続けていた。しかし、正直、もう、どこかで半ば以上、同定は諦めていた。
ところが、今日、別な図の同定にために、ある特定種の学名検索で、ネットの海外の専門家のシェル画像を含めて眺めているうち、まさに思わず、
「あれぇ? これじゃあねえのかっツ!?!」
とモノローグしてしまった種がいたのである。それは、
腹足綱異鰓上目汎有肺目嚢舌亜目トウガタガイ上科イソチドリ科イソチドリ Amathina tricarinata
である。私自身が実物を見た記憶がない。カキやタイラギ等の他の貝への寄生性種であるから、視野に入ったことは恐らく高い確率であると思うのだが、注視したという体験がなかった。
さて。本「梅園介譜」では、学術的には最も拝見する回数が多い、まず、そうさ、
「レッドデータブックあいち2009」のこのイソチドリの写真の死貝の右写真
に目が留まったのだった。
これを右に九十度回転させ、さらにイメージの中で、それを殻頂を手前に少し引き出した場合を考える。すると、『その表面にある三条の強い肋が、梅園の図のように見える場面が絶対にあるはずだ!』
と私は思ったのである。次に、その「レッドデータブックあいち2009」のイソチドリのPDF版の解説ページの写真(前のリンク先とは異なる個体のもの)の左上の写真を見て貰いたい。そこでは、まさにその三条の強肋が『殻口に至って半管状の3突起となる』(「吉良図鑑」の記載)というのが判ると同時に、この形状が確かに梅園の図と合致するのである。
中には、「殻表がこの図のように綺麗じゃないじゃないか」と言う御仁は、上記PDFの解説を読まれたい。本種の「形態」について、『殻長約 15 mm の笠型の貝。殻頂部から前縁部にかけて 3 本の強い肋が走る。殻は白色であるが、黄褐色の厚い殻皮に覆われる』とある。学名検索をかけると、海外の画像で、真っ白な非常に美しい同種のフォルムのそれらが見られる。PDF解説には、『国内では房総・男鹿半島〜九州に分布する』とするが、減少が心配されてあり、『宿主であるタイラギ』(イガイ目ハボウキガイ科クロタイラギ属タイラギ Atrina pectinata )、『イタボガキ』(翼形亜綱カキ目イタボガキ科カキ亜目イタボガキ科イタボガキ属イタボガキ Ostrea denselamellosa )『も著しく減少しているので、危機的な生息状況といえる。近年採集されるタイラギの殻上には移入種のシマメノウフネガイ』(盤足目カリバガサガイ超科カリバガサガイ科エゾフネガイ亜科エゾフネガイ属シマメノウフネガイ Crepidula onyx :こいつは! 厭になるほど、見かけるぞ!)『の大型個体が多数付着しているので、種間競争の結果、同じ様な場所を生息場所とする本種が減少した可能性がある(福田・木村, 2012)。』とあった。
「「甲午(きのえむま)九月六日」天保五年。グレゴリオ暦一八三四年十月六日。]