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2022/03/18

狗張子卷之七 五條の天神

 

[やぶちゃん注:挿絵は今回は底本(昭和二(一九二七)年刊日本名著全集刊行會編「同全集第一期「江戶文藝之部」第十巻の「怪談名作集」)をトリミング補正して、適切と思われる位置に配した。]

 

   ○五條の天神

 京都(みやこ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]五條西洞院(にしのとうゐん)の西に、「五條の天神」、ましませり。

[やぶちゃん注:「五條西洞院」「五條の天神」は現在の「五条西洞院」交差点の北位置となるが、現在の五條天神宮てんしんぐう)であろう(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。因みに、現在の京都府京都市下京区西洞院町(ちょう)は、この交差点を挟んだ真南の対位置にある。同神宮は当該ウィキによれば、『当初は「天使の宮」「天使社」と称し、後鳥羽上皇時代に「五條天神宮」へ改称された』。『社号の五條は、当社北側にある松原通がかつて五条通と呼ばれていたことに由来する』。『なお、社号の天神(テンシン)は天つ神(あまつかみ)を意味し、菅原道真を祀る天神(テンジン)とは直接の関連はないが、境内社として筑紫天満宮があり、道真が祀られ、撫で牛も設置されている』とある。現在の主祭神は少彦名命(すくなびこなのみこと)で、他に大己貴命(おおなむぢのみこと)と天照皇大神を配祀する。江本裕氏の論文「『狗張子』注釈(五)」(『大妻女子大学紀要』一九九九年三月発行・「大妻女子大学学術情報リポジトリ」のこちらから同題論文の総て((一)~(五))がダウン・ロード可能)の注に拠れば、『疫神と考えられたのは、東隣にあった五条道祖神との混同によるものか。』とある。現在のそれは、位置が少しずれて、五条天神宮の東に松原道祖神社として現存する。なお、原本本文を見ても、「天神」には一貫して、読みが振られていない。しかし、「目錄」を見ると、「五條天神(ごでうのてんじん)付」(つけたり)「入江壽玄斎(いりえじゆげんさい)疫病(やくぎやう)を癒(いや)す事」と読みが振られてあり、挿絵のそれも、これ、いかにも菅原道真めいた御姿なればこそ、以下を敢えて、「てんしん」と読む必要はないと私は思う。

 これ、「大己貴(おほあなむち)の命(みこと)」を、まつれるなり。

 むかし、命、少彥名命(すくなひこなのみこと)と天下(てんか)の政務を謀り給ひ、かつ、人民、疫病・疾苦のために、その療養の方(ほう)を、さだむ。

 その天下、後世(こうせい)に仁惠(じんけい)ある事、神農・黃帝の下(しも)にあらずとかや。

 故に、代々の執權・奉行職の人、殊に尊信し給ふ、といふ。

 應永年中、此《この》わたりに、壽玄齋(じゆげんさい)とて、醫師(くすし)ありけり。

[やぶちゃん注:「應永年中」一三九四年から一四二八年までの、起点切り上げ終点切り下げで三十五年間に当たる。この間の室町幕府将軍は足利義満・足利義持・足利義量。日本の元号の中では、昭和と明治に次いで三番目の長さであり、「一世一元の制」が導入以前では最長の年号である。また、前中期の応永十年から二十二年までの約十年間は戦乱などが治まり、「応永の平和」と呼ばれる。

「壽玄齋」不詳。]

 わかきより、學窓に眼(まなこ)をさらし、黃帝・岐伯(きはく)の玄旨(げんし)を探り、秦越人(しんえつじん)[やぶちゃん注:周の名医として知られる扁鵲(へんじゃく)の異称。]の深意(じんい)をたづぬといへども、いまだ、その堂奧(だうおく)に達つせず、かつ、身(み)の不遇なる事を歎げきぬ。

[やぶちゃん注:「岐伯」伝説上、黄帝に仕えた薬師(くすし)とされる人物の名。

「玄旨」物事の深遠なる道理。]

 すなはち、この天神にいのりて、信仰(しんがう)のこゝろ、おこたらず、歲時(さいじ)には、かならず、祭りて、敬(うやま)ふ事、年《とし》すでに久しくなりぬ。

 

Gojiyounotensin

 

 ある夜(よ)夢見(ゆめみ)らく、朝(あさ)、とく、宿(やど)を出(いで)て、天神の社(やしろ)にまうで、恭敬の頭(かうべ)をかたぶくる所に、辱(かたじけな)く、天神、社壇の戶びらを、おしひらき、まのあたり、壽玄齋に告げて、のたまはく、

「なんぢ、われをいのり、其の誠(まこと)をつくす。何んぞ感應なからんや。なんぢ、今、身(み)の不遇にして、困窮をなげく。しかれども、これ、すなはち、却つて、なんぢを福(さひはひ)する所なり。それ、日本(につほん)は神國也。天子は、すなはち、天照太神(てんせうだいじん)の繼體(けいたい)にして、その統道(とうだう)を、あらためず。かるがゆゑに、神道を尊崇し、王法《(わうば)ふ》を興隆し、仁政(じんせい)を施し、朝憲(てうけん)を正(ただし)うすべし。疇昔(むかし)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]、王法《(わうば)ふ》、神道に合(がつ)する世には、世、すなほに、民(たみ)、淳(あつ)ふして、國家、安寧なり。風雨(ふうう)、時にしたがひて、飢饉・餓死の愁へ、なし。况や、謀反弑逆(むほんしいぎやく)のわざはひ、をや。後世(こうせい)にいたりて、元曆(げんりやく)に安德天皇、承久に後鳥羽院、元弘に後醍醐天皇、これ、みな、君德、あきらかならず。叡慮、はなはだ、短(みじか)ふして、天下を、戎敵(じうてき)のために奪はれ、宸襟(しんきん)[やぶちゃん注:天皇の御心。]、つひに、安(やす)からず、或《あるい》は、變衰(へんすい)の花(はな)、空しく壇浦(だんほ)の風にまよひ、悲泣(ひきう)の月、いたづらに台嶺(たいれい)[やぶちゃん注:比叡山の異名。]の雲に隱る。いかんぞ、王威十善の德をもつて此極(きよく)に至るや。これ、神道の本(もと)をわすれて、政道人望(せいだじんばう)にそむけば也(なり)。こゝにおいて、王法《わうぼふ》、はじめて衰へて、神道も亦、廢(はい)しぬ。又、かなしからずや。しかつしより、このかた、今の世にいたりて、人道、ますます、みだれ、子(こ)として父を弑(しい)し、臣として君(きみ)をうかゞふ。上(かみ)、道(みち)のはかるなく、下(しも)、忠義のこゝろを、うしなふ。人君・國守としては、仁義に暗く、慈悲の心なく、賦斂(ふれん)、重く、課役(くわやく)、しげうして、國民を貪(むさぼ)りとり、家人(けにん)を剝ぎ盡くして、畢竟(ひつきやう)、我が身の樂しみとす。收斂無道(しうれんぶだう)の富(とみ)に誇り、亂諧不次(らんかいふし)[やぶちゃん注:本来の位階の規定順序が乱され、破格な叙任が行われること。]の賞(しやう)を、たのむ。能(のう)もなく、智略もあさく、行跡(かうせき)、非禮不義にして、善惡邪正(じやしやう)をえらばず、阿(おもね)り諂(へつら)ふ者を賞翫(しやうぐわん)し、忠孝なる者(もの)を、かへつて、罪科(ざいくわ)に行なふ。たまたま、武藝・學問に志し有る人も、利祿(りろく)・名聞(みやうもん)のためにして、忠良のこゝろざし、露(つゆ)ばかりも、なし。凡そ、武藝・學問は、みな、聖經賢傳(せいけいけんでん)の旨(むね)をあきらめて、我が忠功を達する、のみ。何(なん)ぞ名利(みやうり)を事(こと)とせんや。あまつさへ、切磋琢磨の功ををへずして、新法小利(しんはうせうり)に、はしり、先賢の古術(こじゆつ)をすてて、もつぱら、奇兵(きへい)詭譎(きけつ)[やぶちゃん注:ここは「珍しくて怪しげなこと」の意。]を先(さき)とし、また、正兵(せいへい)の極致ある事を、しらず。又、終日(ひねもす)、聖賢の書をよむといへども、行跡(ぎやうせき)、かへつて、直(すなほ)ならず。仁義のこゝろ、なく、學問(がくもん)をもつて、利慾にかへ、君(きみ)に諂(へつら)ひ、友を妬(ねた)み、素(もと)より誠(まこと)なければ、利を見て、義を忘れ、大慾無道(《たい》よくむだう)にして、一生、遊興に長じ、富貴榮花をうらやみ、衣類、美麗を好む。かくのごとく、君(きみ)、下(しも)を貪りとりて、その身の榮耀《えいやう》をきはめ、臣、又、上(かみ)に佞媚(ねいび)して、一家の奢侈(しやし)を、つくす。凡その費(ついゆ)る所(ところ)の財寶・資用(しよう)、天よりも降(ふ)らず、地よりも、いでず。これ、みな、人民の膏澤(こうたく)をしぼりとり、收斂したる所なれば、ゆくゆく、天下、ふたゝび、みだれて、人民、益(ますます)、窮し、四夷八蠻(しいはちばん)、たがひに、國を、あらそひ、大(おほき)なるは、小を幷吞(へいどん)し、强きは弱きを、しのぎ、盜竊爭鬪(とうせつさうた)、區(まちまち)にして、又、そのあひだに、飢饉疫病、流行(はやり)て、天下、手足(しゆそく)を措(お)くに、處(ところ)なからんとす。なんぢ、今、かゝる時節に、生まれたり。なんぢ、しひて[やぶちゃん注:ママ。]身の不遇を歎きて、一旦の利祿を僥倖(げうがう)すといふとも、久しく保つ事、あたはずして、却つて、災(わざはひ)あらんとす。しかし、貧(ひん)に安(やすん)じ跡を藏(かく)さんには、かつ、なんぢに、一つの靈方(れいはう)を敎へん。水上(すいじやう)の浮萍(うきくさ)、よく疫病を癒す功能あり。多くもとめ、貯へて、其の時を待つべし。」

と、今の世のありさま、將來の事變、鑑(かゞみ)にかけて[やぶちゃん注:鏡に映した鮮明な像のように、その細部まで明らかにして説きあかして。]のたまふ、と、おもへば、夢は、さめて、夜(よる)は、ほのぼのと、あけにける。

 壽玄齋、感心、膽(きも)に銘じ、盥嗽盛服(くわんそうせいふく)して、急ぎ、天神に詣(けい)すれば、夢の面影、ありありと、社壇の戶びら、すこし、ひらけ、異香(いきやう)、四方(よも)に、薰郁(くんいく)たり。

 それより、壽玄齋、世のなり行くありさまをみるに、夢中の告(こく)に、たがはず。

 永享の年(とし)に及びて、京都(きやうと)・鎌倉、確執(かくしつ)の事、おこり、鎌倉持氏朝臣、京都將軍に恨むる事ありて、謀反(むほん)す。

 京都、度々(たびたび)、大軍(たいぐん)を起こし、討手(うつて)にさし向けらる。

 持氏父子、敗績(はいせき)して、自害す。

[やぶちゃん注:所謂、「永享の乱」。「永享四(一四三二)年前後から、鎌倉公方足利持氏と室町幕府の関係は致命的に悪化し、永享十年、将軍足利義教は持氏討伐を命じ、持氏父子は鎌倉で自刃して果てた。]

 これより、諸方、戰爭、おこりて、しづかならず。

 國家衰廢、天運否塞(てんうんひそく)[やぶちゃん注:「否塞」閉じて塞がってしまうこと。]して、大(おほい)に、疫病、流行(はやり)て、人民、おほく、死亡(しぼう)せり。

 壽玄齋、かの天神の告(つげ)を思(おもひ)いで、試(こゝろみ)に、浮萍(うきくさ)を調和(てうわ)して、あたふるに、大かた、いえずといふこと、なし。

 人みな、その神効(じんこう)に服して、

「これ、正(まさ)に醫王善逝(いわうぜんせい)の變作(へんさ)なり。」

とて、おそれ、つゝしむ事、よのつねならず。

 其の後(のち)、今川(いまかは)上總介が父の疫病(やくびやう)を癒しければ、上總介、なゝめならず、よろこび、俸祿、過分に與へて招(まね)き、つひに、わが國に供(とも)なひ下りて、身、終はるまで、尊敬しけると也。

[やぶちゃん注:「醫王善逝」薬師如来の異称。「善逝」は仏の敬称の一つ。

「變作」仏教用語。姿を変えて現われること。また、特に菩薩などが世の人を救うために、仮に姿を変えて示現したり、又は、種々の事物を現わしたり、変えたりすることを指す。「化作(けさ)」とも言う。

「今川上總介」今川義元(永正一六(一五一九)年~永禄三(一五六〇)年)。戦国時代に於ける今川氏の最盛期を築き上げたが、尾張国に侵攻した際に行われた「桶狭間の戦い」で織田信長軍に敗れ、毛利良勝に討ち取られた。]

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