甲子夜話卷之六 43 駿城勤番、蛇を畜置し人の事 / 甲子夜話卷之六~了
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駿城勤番の輩、在住となりしより絕しが、それより前は御書院組番士、交替して城守することにぞありける。其頃在番の面々、倦怠の餘、或は酒宴又は碁象棋、さまざまの遊をして日を暮せしが、其末色々の流弊生じて、集會の習ひよからぬ事どもありしとなり。されど其會に赴ざれば、同寮の好みを失ひ、差支る事も多ければ、人々此在番には甚苦しみけるとぞ。一人在番の中に、蛇を畜養ふものあり。大小の匣に各色の蛇あり。人々來りてこれを見、むさきものを好む人とて、宴會ありても招くものなし。遂に在番中の弊を免れしとなり。古人所謂、有ㇾ托而逃者と云意を能く得たることなり。
■やぶちゃんの呟き
「駿城勤番の輩、在住となりしより絕し」ウィキの「駿府城」の「駿府在番・勤番」よれば、『駿府城には、定置の駿府城代・駿府定番を補強する軍事力として駿府在番が置かれた。江戸時代初期には、幕府の直属兵力である大番が駿府城に派遣されていたが』、寛永一六(一六三九)年には、『大番に代わって将軍直属の書院番がこれに任じられるようになった。その後約』百五十年間、『駿府在番は駿府における主要な軍事力として重きをなすとともに、合力米』(こうりょくまい/ごうりきまい:江戸幕府が二条城・大坂城在番、及び、二条城・大坂城・駿府城の諸奉行に給与した米)『の市中換金などを通じて駿府城下の経済にも大きな影響を与えたとされる』。『しかし』、寛政二(一七九〇)年、『書院番による駿府在番が廃止され、以降は常駐の駿府勤番組頭・駿府勤番が置かれて幕末まで続いた』とある。
「流弊」「りうへい」。以前からの狎れ合った悪い習慣。
「赴ざれば」「おもむかざれば」。
「好み」「よしみ」。
「差支る」「さしつかふる」。
「甚」「はなはだ」。
「畜養ふ」「かひやしなふ」。
「匣」「はこ」。
「各色」「かきいろ」。この「色」は色彩ではなく、「種類」の意。
「有ㇾ托而逃者」「托(たく)すこと有りて逃(に)ぐる者」か。「別にある目的があって、ある状況から首尾よく逃げ去る者」の意か。出典は判らないが、「易経」や道家思想辺りから生まれた諺か。