萩原朔太郎 未発表詩篇 春の夜の會話 / 無題(おれはぽんやりと橋の上に立つて居る、……)
春の夜の會話
Tとよぶ警官へこの二扁の詩を捧ぐ
よなかの三時ごろ、
むかうから步いてくるのは巡査だ、
こつちからやつてくるのは、
よつぱらひの詩人だ、
『こら、おまへはどこへ行く』
『女を買ひにゆきます』
『馬鹿』
○
おれはぽんやりと橋の上に立つて居る、
橋の下には生ぬるい水がながれて居る、
あかい角燈をさげた男がやつてきた、
夜中の三時ごろだ、
空にはほんのり月がほんのりと白んで居る、
『おまへはだれだ』
『おれはにんげんだ』
『ばか、おまへの名をきくのだ』
『名ははぎはらだ』
『家はどこだ』
『まへばしだ』
『ばか、町の名をきくのだ』
『K町だ』
『ふむ』
おまわりはうしろをむいた、
おれもうしろをむいた、
あいにくふたりのうしろには
春がわらつて居た。
――四月六日夜――
[やぶちゃん注:底本は筑摩版「萩原朔太郞全集」第三巻の「未發表詩篇」の校訂本文の下に示された、当該原稿の原形に基づいて電子化した。太字は底本では傍点「﹅」。表記は総てママである。内容と以下に示す草稿から見て、続く無題詩篇は同一のシークエンスで作られた別稿とすべきものであるので、特に二篇を並べた。クレジットがあるが、これは底本の配列からみて、大正四(一九一五)年四月六日夜であろう。とすれば、作品内時制は、その日の未明以前とするべきであろう。なお、詩集「月の吠える」の刊行は大正六年二月である。
「K町」萩原朔太郎の生家は群馬県東群馬郡北曲輪町、後に前橋市北曲輪町となり、現在は千代田町二丁目に生家跡(グーグル・マップ・データ)がある。
『草稿詩篇「未發表詩篇」』に、『春の夜の會話』『(本篇原稿二種四枚)』として以下の二篇が載る。同じく表記は総てママである。
*
ある春の夜の會話
――武Tといふ警官へこの二扁の詩を捧ぐ
よなかの三時ごろ
むこうから步いてくるのは巡査だ
こつちからやつてくるのは
よつぱらひの詩人でだ
「こらおまへはどこへ行く」
「女を買ひに行きます」
「馬鹿」
○
おれはぼんやりと橋の上にたつて居る
巡査が橋の下には水がながれて居る
あかい角燈をさげた男がやつてきた
夜半の三時ごろだ
空には月がぼんやりほんのりと白んで居る
「お前はだれだ」
「おれは萩原人間だ」
「お前のばか、お前の名をきくのだ」
「名は萩原だ」
「家はどこだ」
「前橋だ」
「ばか、町の名をくのだ」[やぶちゃん注:ママ。「聞」「き」の脱字。]
「K町だ」
「うむ」
おまわりはうしろをむいた
そこでおれもうしろをむいた
あいにうしろにはだれも居なかつた、春が笑つて居た。
*
編者注があり、『草稿二枚目の後半には『蝶を夢む』の「野景」の草稿(題名「晝」)と、拾遺詩篇「朝」の草稿が書かれている。』とある。前者は、
を見られたい。後者は注が不全で「朝」は内詩篇の一つの標題で、「拾遺詩篇」の中の「玩具箱 ―人形及び動物のいろいろとその生活―」の「朝」と「夕」の前者である。それは、
で電子化しているので見られたい。
因みに、事実は、二篇目のように思われ、決定稿の詩人のポーズをした前の詩篇より、こっちの方が遙かにいい。特にコーダが、である。]
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