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2022/03/02

曲亭馬琴「兎園小説別集」上巻 松前家牧士遠馬の記


[やぶちゃん注:底本のここから。なお、「目錄」では以上の標題の下に割注して、『この卷は祕すべき事なきにあらず、みだりに人の見る事をゆるしがたきものなり。』と注意書きがある。「遠馬」は「ゑんば」と読み、馬による遠乗りのこと。]

 

○文政八年乙酉の冬十二月六日[やぶちゃん注:一八二六年一月十三日。]、松前老候、「寒中遠騎の馬蹄を試みん。」とて、近頃、松前より呼よせられたる 牧士久保田松五郞に命ぜられ、限るに五ケ日をもつてして、遠く鎌倉へ、つかはし給ふ。其馬、一ならず。十二月六日を初として、初日は「笹船」【馬名也。下、皆、效ㇾ之[やぶちゃん注:「これにならふ」。]】、七日は「千歲」、八日は「小天狗」、九日は「龍卷」、十日は「化物尺」、この五ケ日、下谷千束村龍泉寺町抱屋敷より、鎌倉鶴ケ岡八幡宮社頭迄、統計一百七十四里半八町なり【但、三十六町一里。】。

[やぶちゃん注:「文政八年乙酉の冬十二月六日」一八二六年一月十三日。

「千歲」「ちとせ」か「せんざい」か不詳。

「化物尺」「ばけものじやく」であろう。恐らく馬の背の高さが飛び抜けて高かったのであろう。

「下谷千束村龍泉寺町」「江戸切絵図」を見るに、「下谷龍泉寺町」は、現在の東京都台東区千束ではなく、もっと北西の台東区竜泉一丁目付近に「龍泉寺町」はあった。所謂、知られた新吉原の南西直近(二百メートルほど)の田地の中にあった極めて小さな町である。「大音寺」の向かいの「国際通り」を挟んだ龍泉三丁目のこの中央附近(グーグル・マップ・データ)にあったことが判った。

「統計一百七十四里半八町なり【但、三十六町一里。】」現在の一里と同じ。江戸では極めて短い坂東道(一里=六町=六百五十四メートル)も好んで使われたので、特に注してあるのである。「一百七十四里半八町」は六百八十六キロ八百三十六メートルで、これを五回で五で割り、さらに往復だから二で割ると、片道六十八キロ六百八十三メートルとなる。下谷千束村龍泉寺町から旧東海道になるべく沿って実測で測ってみたが、片道で六十八キロメートルほどであった。但し、これは急坂の旧「巨福呂坂切通し」を通過して鶴ヶ岡の裏手右から入るもので、参拝としては礼を欠く。また、馬のことをも考えてやるならば、藤沢から江ノ島の前を抜けて七里ヶ浜・由比ヶ浜を廻って迂回して鶴ヶ岡の正面から参詣したと考えるべきであろう。それを試みたところ、片道まさに凡そ七十キロメートル弱であった。まさに正確な数値である。因みに、六百八十六キロメートルを下谷から東海道を下ってみた。すると、京都・大坂を越えて、山陽道を倉敷まで到達した。馬たち、よう、頑張ったなぁ!

 以下、「久保田松五郞」署名まで、底本では全体が一字下げ。]

今、曉七ツ時前、下谷千束村龍泉寺町抱屋敷出馬、寒中馬蹄を試み候爲、遠乘被申付參詣仕候。

 乘馬、「小金」、印「西牧靑」。駁馬の名   「笹 船」

 十二月六日          松前家中 

                  久保田松五郞

[やぶちゃん注:「曉七ツ時前」不定時法で、この時期ならば、午前四時過ぎ頃である。

「駁馬」(ばくば/ぶちむま)は馬の毛色で、体幹部に大きな白い斑(まだら)のあるもの指す。]

右之書面、鎌倉鶴岡社人之差出候處、則、刻限付被相渡

      御遠馬刻附

 鐮倉鶴ケ岡御社へ、四ツ四分に御到着、

    文政八酉年十二月六日             社番 大久保采女印

        松前樣御代參中樣

右刻附請取、千束村抱屋敷え、夜五半時、歸着。

[やぶちゃん注:「刻附」「こくづけ」で鶴ヶ岡に到着した時刻(出発は以下の通り、全員が同時刻の出馬である)を書き附けておくことを言う。

「四ツ四分」「分」は「ぶ」と読んでおく。実はあまり聞かないのだが、後で「八分」とも出てくるので、これは一刻を十分割したものと考えるしかないか。とすると、「一分」は現在の十二分相当となる。通常は「一つ」から「四つ」に分割するものが普通である。定時法で午前九時四十二分前後か。

「夜五半時」(よるいつつはんどき)同前で午後九時頃。以下、特に書かなければ定時法の時刻である。]

   二目目

十二月七日、今曉七時前、出馬【文言、右におなじ。】、鶴岡神社え、四半時到着【社番、刻附、文言、右におなじ、以下、皆、略ㇾ之。】馬の名「千歲」【但、馬、足痛み候に付、過半率ㇾ之、故に遲刻なり。今夜四時、歸着。】。

[やぶちゃん注:「今」(こん)「四半時」「晝四つ半どき」で午前十一時頃。

「今夜四時」午後十時。]

   三日目

十二月八日、今曉七時前、龍泉寺抱屋敷出馬、鎌倉鶴岡神社え、四ツ四分到着【夜五時二分歸着。】。馬の名「小天狗」【「千金中野牧」、燒印「千鳥」。】

[やぶちゃん注:以下は底本では二行目以降は一字下げ。]

 今朝四時頃より、雪ふりて、亭午より霽たり。しかれ共、鎌倉は、積雪、凡一寸餘に及びしといふ。江戶は薄雪にて、忽、消たり。

[やぶちゃん注:「亭午」「正午」に同じ。

「霽」「はれ」。ここでは「雪がやんだ」の意とも、「晴れた」とも両用にとれる。]

   四日目

十二月九日曉七時前、龍泉寺抱屋敷出馬、鎌倉鶴岡社頭え、朝五時三分到着【夜六時二分歸着。】」馬の名「龍卷」、中野牧、栗毛。

燒印「千鳥」。

[やぶちゃん注:以下は底本では二行目以降は一字下げ。]

 社番大久保采女、相渡し候刻付書付、書面「五時三分」の處へも、印を、おしたり。尤速なるを賞する心なるベし。

[やぶちゃん注:「朝五時三分」午前七時半前後。三時間半ほどの最速で駆け抜けたことになる。]

   五日目

十二月十日、今曉七ツ時前、龍泉寺町抱屋敷出馬。

[やぶちゃん注:以下の文書は底本では二行目以降は一字下げ。]

 下谷千束村龍泉寺町抱屋敷より出馬、寒中五ケ日、依心願之儀、私一人にて、馬五疋、乘替、日々、御當社え、參拜仕。今日にて滿願無ㇾ滯相濟候者也。

  十二月十日    松前家中 

             久保田松五郞

[やぶちゃん注:以下は底本では二行目以降は一字下げ。]

 今日の乘馬「佐倉矢作牧」、燒印「矢羽」、栗毛・先年も御當社え、兩度、致遠馬候馬也。當今は馬の名「化物尺」と被ㇾ付候。

右書面、社人え、差出し候。刻附被相渡

      御遠馬刻附

 鎌倉鶴ケ岡御宮え、五ツ時八分、御到着。

    文政八乙酉年十二月十日快晴           社番  大久保采女印

右刻限付請取之千束抱屋敷え、夜五時歸着。

鎌倉にても、「寒中五ケ日、打つゞき、一人にて參詣の趣、未曾有の事成。」とて、社人等、皆、悉、感嘆せしとなり。

[やぶちゃん注:「五ツ時八分」午前八時半前後。]

      馬蹄甲乙

五日目、第一「龍 卷」【朝五時三分、鎌倉え、到着。夜六時二分、千束村え、歸着。】。

四日目、第二「化物尺」【朝五時八分、鎌倉え、到着。夜五時、歸着。】。

三日目、第三「小天狗」【四時四分、鎌倉え、到着。夜五時二分、歸着。】。

初日目、第四「笹 船」【四ツ時四分、鎌倉え、到着。夜五半時、歸着。】。

二日目、第五「千 歲」【四ツ半時、鎌倉え、到着。夜四時に到着。】。

  此馬、足痛候により、如ㇾ此、遲刻といふ。

[やぶちゃん注:以下、底本では最後まで全体が一字下げ。]

乙酉十二月十日、老候、太田九吉を以、この一册を予に見せしめ給ひ、「兎園社友へも披露せられんことをほりし給ふ。」と聞えしかば、十二月期日の兎園會の客編追加として、翌十一日朝、輪池翁に巡廻、それより、社友、なごりなくめぐらせしものゝ、同文言を省略して寫しとゞめつ。

    丙戊春正月     著 作 堂 主 人

[やぶちゃん注:「太田九吉」不詳。但し、調べてみると、松前藩藩士には多くいる。]

 

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