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2022/03/11

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 物荒貝(モノアラガイ) / ウズラガイ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。下方と左上をマスキングした。]

 

Monoaraga

 

物荒貝(ものあらがい)

 

縁桑蠃【「ものあら貝」。「なし貝」。】

 

はちす葉の上はつれなき浦にこそ

   ものあら貝はつくというなる

 

「後六々貝合和哥」

     左十五番 讀人不知

    たのもしの物あら貝のつきぬべき

      法りのはちすの裏に住む身は

 

[やぶちゃん注:形状から、

腹足綱前鰓亜綱盤足目ヤツシロガイ超科ヤツシロガイ科ヤツシロガイ属ウズラガイ Tonna perdix

に比定する。小学館「日本大百科全書」の奥谷喬司先生の解説によれば、『熱帯の西太平洋海域に広く分布し、日本では房総半島以南にみられる。殻高』十五『センチメートル、殻径』十『センチメートルぐらいの卵形で、殻質は薄い。体層はとくに大きく、殻表にウズラの羽のような褐色方形の斑紋』『が白斑と交互に並ぶのが、和名の由来である。殻口は広くて蓋』『はなく、外唇も薄い。水管溝の湾入があり、はうときは、ここからシュノーケルのような長大な水管が出ている。長い吻』『を出して、ヒトデやナマコ類を捕食する。殻は細工用になり、肉は食用にされる』とある。私は高校時代、秘かに憧れていた二つ年上の事務員の女性にビーチ・コーミングで拾った大型個体を赤のリボンで巻いて贈った遠い記憶がある。

「物荒貝(ものあらがい)」現在は淡水産の腹足綱直腹足亜綱異鰓上目有肺目基眼亜目モノアラガイ上科モノアラガイ科モノアラガイ属イグチモノアラガイ亜種モノアラガイ Radix auricularia japonica の標準和名となっている(ヒトの肝臓に寄生するカンテツ類(吸虫綱二生亜綱棘口吸虫目棘口吸虫亜目棘口吸虫上科蛭状吸虫(カンテツ)科蛭状吸虫亜科カンテツ属 Fasciola )の中間宿主であるので注意が必要である。詳しくは「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蚘(ひとのむし)」の私の「猪肝〔(ちよかん)〕」の注を参照)。所持する相模貝類同好会一九九七年五月刊の岡本正豊・奥谷喬司著「貝の和名」(相模貝類同好会創立三十周年記念・会報『みたまき』特別号)によれば(コンマを読点に代えた)、『モノアラとは「物洗い」の約。』小学館「日本国語大辞典」には『「水草についているのを洗われているように見立ててこの名がある」と説いてあるが、付着した緑藻などを食べて綺麗にしてくれる、すなわち「物を洗うから」というのは苦しい解釈であろうか』とある。

「縁桑蠃」「本草綱目」の巻四十二の「蟲之二」に立項する。和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蝸牛(かたつむり)そこでは「釋名」で「桑牛」「天螺」の異名を挙げ、「集解」では、「慎㣲曰、此蠃、全似蝸牛、黄色而、小雨後、好援桑葉。時珍曰、此蠃、諸木上、皆、有、獨取桑上者、正如桑螵蛸之意。」とあるのから判る通り、陸生のカタツムリの一種で、本種とは全く異なる。私の「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蝸牛(かたつむり)」の本文と注を見られたいが、そこに出る「緣桑蠃(くはのきのかたつぶり)」=「桑牛」=「天螺」は現在の最新の研究では、最早、嘗て比定されていたモノアラガイでもウスカワマイマイ(有肺真有肺亜目柄眼下目マイマイ上科オナジマイマイ科ウスカワマイマイ属ウスカワマイマイ Acusta sieboldtiana )でもなく、浜田善利氏と難波恒雄氏の論文「生薬蝸牛の研究(第2報) 縁桑螺の基源動物について」(『薬史学雑誌』1990Vol. 25No.1(PDF)の十四ページから開始)という恐るべき詳細な考証によって、これは有肺目真有肺亜目柄眼下目マイマイ上科オナジマイマイ科オナジマイマイ属の Bradybaena ravida の亜種群に同定されている。

「はちす葉の上はつれなき浦にこそものあら貝はつくというなる」「後撰和歌集」の巻第十三「戀五」所収(九〇三番)。

   *

  消息(せうそこ)はかよはしけれど、
  まだ逢はざりける男(をとこ)を、こ
  れかれ、「逢ひにけり」といひ騷ぐを、
  「あらはざなり」と、うらみつかはし
  たりければ、       よみ人しらず

はちす葉の上はつれなき裏(うら)にこそ

         物あらかひはつくといふなれ

   *

この「後撰和歌集」は平安中期の二番目の勅撰集で、天暦五(九五一)年に村上天皇の勅命で和歌所が置かれ、藤原伊尹(これただ)が別当となり、所謂、「梨壺の五人」、大中臣能宣・清原元輔・源順・紀時文・坂上望城(さかのうえのもちき)のが撰者となった。成立は天暦七(九五一)年頃とされる。「新日本古典文学大系」版脚注(片桐洋一)を参考にすると、前書は、女にモーションをかけてはいるが、未だにその女に逢って一夜を過ごしてはいない男のことを、誰彼が、「あの二人の男女はもう逢っていますよ」と言い騒いでいるのを、その当事者である男が、「特にそれらに対して否定して抗弁しなかったようだよ」と聴いた女が、恨みを込めて、その男に非難してきたので、それに応えた歌、という意味のようである。注で、「つれなき」は『「心に思っていることを表面に出さない」こと。源氏物語には「そしらぬふりを(をする)」の意の「つれなし顔」「つれなしづくる」などの語もある』とあり、「物あらがひ」については、『逆らい争うこと。「貝」の意を籠める』とし、解釈は、『蓮の葉の表面は何でもない顔をしているその裏に、物あらがいという貝はつくというようです、表面はつれない顔をしていらっしゃるあなただから、抗弁なさるのでしょうが、私は抗弁いたしませんよ。』とあり、評釈して、『自分に対してつれない女に、つれない人は抗弁するが、自分は小弁搨気持ちがないと真情を訴えたのである。』とある。まあ、まどろっこしい前書と歌で、判ってみても「ふ~ん」と鼻白むばかりだが、「蓮の葉」と「ものあら貝(かひ)」で、この当時、既に、淡水産の貝類の総称として(モノアラガイに限定は出来ない)、この「ものあらかひ」という名が与えられており、一般に知られてもいたことが明確に判る点で、非常に貴重な和歌とは言えるのである。

「後六々貝合和哥」」さんざん出た「六々貝合和歌」である。国立国会図書館デジタルコレクションの原本の当該歌はここ。例によって判読を誤っている。

   *

 左十五番 物あら貝

たのもしなものあら貝のつきぬべき讀人不知

法りのはちすのうらにすむ身は

   *

「法り」は「のり」の読みの「り」を見せた表記。和泉屋楓氏のサイト「絵双紙屋」の「教訓注解 絵本 貝歌仙 下巻」に本歌が載り(同書は西川祐信画・京都菱屋治兵衛版・江戸鱗形屋孫兵衛・延享五(一七四八)年板行)、歌の後に、

   *

今生(こんじやう)にて、善をなすひとは、後生(ごしやう)にて、蓮(はちす)のうへにたのしみおほきこゝろをよめるうた、となり。

   *

とあって、注で、『この歌の出典不明』とし、先に掲げた「後撰和歌集」の一首を示し、さらに「新撰和歌集」(平安前期の紀貫之の撰になる私撰集。総和歌数三百六十首。以前よりの醍醐天皇の命により、土佐守在任中の延長八年から承平四年(九三〇年~九三四年)に「古今和歌集」を中心に撰集したが、天皇崩御のため、奏覧の機会を失したもの)の藤原知家の以下の一首を掲げる。

   *

はちすはに ものあらかひの なかりせは つゆをたまとて みるへきものを

   *

整序すると、

   *

蓮(はちす)葉に物あら貝(かひ)の無かりせば露の玉とて見るべきものを

   *

であろうが、歌意はよく判らぬ。]

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