萩原朔太郎 未発表詩篇 無題(しづかに我は椅子をはなれ、……)
○
しづかに我は椅子をはなれ、
まつすぐに立上りて我はあゆむ、
いま戶外をながれゆく水の音の、
秋の夜の風の、ええてるのしめやかさをおびて、
月は白み、*窓//扉*はほのかにもひらかれた。
[やぶちゃん注:「*」「//」は私が附した。「窓」と「扉」は並置残存していることを示す。後の草稿でもこの記号の意味は同じ。]
あの、しんにこの荒(すさ)みたる椅子をはなれては、
我は身をすむべき眠り瑕睡(まどろみ)の里とてもなし
いかなればこよひ夢よりさめて
靑白き懺悔の寺を訪はんとするか
路は遠々み
ゆくゆく月に吠え
森の水車で おび→あやかされ→魔 もおびやかれつつも
狂犬のごとくに 吠 さびたつて→なりて→さびて聖牙をならしてかみならして行かねぱならぬ、
聖人の→行路の
いはんや行路を遠みの露をしげみ
よしやわれ夜道に死ぬとても
[やぶちゃん注:底本は筑摩版「萩原朔太郞全集」第三巻の「未發表詩篇」の校訂本文の下に示された、当該原稿の原形に基づいて電子化した。表記は総てママである。但し、太字は底本では傍点「﹅」。
なお、本篇には『草稿詩篇「未發表詩篇」』に『本篇原稿二種二枚』としつつ、無題の一種のみがチョイスして示されてある。以下に示す。同じく表記は総てママである。
*
○
しづかに我は椅子をはなれた、
我はまつすぐに立あがり我はしつかり步んだむ、
我は音なき步みを好む
いま戶外をながれるがれゆく水の音のごとくに音の
我秋の空氣(エーテル)の、夜のしめやかさをおびて
窓月は白み、月は床をてらし窓はかほのかにもひらかれた、
ああ、しんにこれ人のこのさびしき椅子をはなれては
もの悲しくもランプの影
猫は我はゆくすむべき住家もなしとて眠りの里もなし
いかなれば夢よりさめて
遠遠き いたましき懺悔の
遠遠き僧院の
靑白き*苦行の→未知の殲悔の僧院を//戀人の門→里家を*とはんとするか、
路は遠み遠み
ゆくゆく我は狂犬の如くに 怖ろしく→すさまじく哀しくげにも吠えて行かねばならぬ
よしや我、路に死ぬとて
よしや君かへりはせじ、ゆめにも知らぢあだには知らぢ、
ゆめ、我は今宵僧院に行くまじきぞ、
しづかに祈れ、我が心よ、また明日をも、
ああ寂しくもけれども明日 は こそ巡禮
この大いなる椅子を放れて、我は行くべき父母の家もなし
我 は心 が影は床の上 を步みつゝ に ほゝ うすら笑みつゝさびしき影は床の上にさまよひつゝ
*]
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