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2022/03/07

筑摩書房「萩原朔太郞全集」(初版)「散文詩・詩的散文」初出形 正規表現版 二つの手紙

 

 二つの手紙

 

ある男の友に。

近來、著るしく廢頽的傾向を生びてきた私の思想に就いて、君が賢こい注意と叱責とを與へられたことを感謝する。[やぶちゃん注:「生びてきた」はママ。校訂本文は『帶びてきた』とする。]

これは全く惡いことだ。惡いことと言ふよりは寧ろ悲しむべきことだ。

私は恐れてゐる。私もまた世の多くの虛無思想家が墮ち入るべき、あの恐ろしい風穴の前に導かれて來たのではないかと。(神を信じない人間の運命は皆これだ。)

想へば、長い長い年月の間、私は愚劣な妄想によつて索きづられて居た。[やぶちゃん注:「索きづられて」はママ。校訂本文は『牽きづられて』とする。]

私の過去の淺ましい求道生活をば、私は何に譬へやう。[やぶちゃん注:「譬へやう」はママ。]

それは丁度、意地のきたない、駄馬の道行であつた。この悲しい一疋の馬は、あてもない晚餐の幸福と、夢想の救命とを心に描きながら、性急な主人の鞭の下にうごめいて居た。

しかし意地のきたない動物の本能として、絕えず路傍の靑草を食ひ散らしながら。

天氣はいつも陰欝で、空はいつも灰色に曇つて居た。遂にこの悲しむべき旅行の薄暮がきた。

今こそ私はすべてを知つた。すべての生物の上に光るところの恐ろしい運命の瞳をみた。孤獨の道は遠く、人生の墓塲は遂に幻影の既死に終るべきことを知つた。

いま私は瞳をとじて、靜かな、靜かな、人間の葬列を想ふ。[やぶちゃん注:「とじて」はママ。]

その葬列の流れゆく行方を想ふ。

所詮は疲れた駄馬の幸福である。

馬よ、愚かな反抗とその焦心を捨てよ、その時お前はどんなに幸福であるか。

「生を樂しめ、理屈なしに。しからずんば、死を樂しめ、理屈なしに。」

私はかう唄つた。[やぶちゃん注:萩原朔太郎の実際の詩篇では当該フレーズは見当たらない。]

いま私は求める、生き甲斐もない我が身をして、新らしい土地にかへす所の墓塲を。

私は愛する、しめやかな鎭魂樂の響と、冬の日の窗にすがりつく力のない蠅の羽音を。

私は眠る、私は疲れた。

そこには、あまりに空虛な幻象の哲學と、あまりに神經質なる焦心の休息がある。

とりわけ私は退屈した。ああ「退屈」なんといふ恐ろしい言葉だ。君はこの言葉のもつ底氣味の惡い微笑を知るか。あのニイチヱを憑き殺した此の幽靈の靑ざめた姿を見るか。

「愛」それは今の私に殘された、ただ一つの祈禱である。私の信ずるただ一つのキリスト、ただ一つの神秘である。(「愛」の奇蹟を私に敎へた者はドストイエフスキイであつた。若し私があの驚くべき神秘に充ちた書物「カラマゾフの兄弟」を讀まなかつたならば、私は今日救ふべからざるデカダンとなつて居たにちがひない。)

とはいへ、私の求愛の道はあまりに遠く、あまりに陰欝でしめりがちである。

私の魂は疲れがちで、ともすれば平易な墓塲の夢を追ふに慣れ易い。

私に就いて、君が私の思想の頽廢を責めたのはよい。

私もまた、私自身のさうした惡傾向にはたまらない不快を抱いて居るのである。(君も知つて居る通り、私の求めてゐる哲學は、人間としての最も健全なる、最も明るい靈肉合致の宗敎である。)[やぶちゃん注:実は、この段落と前行とは分離しているのか、続いているのかは、底本の初出形・校訂本文の孰れを見ても、判然としない。どちらも前行が行末で句点一杯になっているからである。本篇の流れから、ブレイクがあった方がよいと個人的には判断し、改行とした。これは初出誌を見る以外には解明可能性はない。]

併しながら、若し君が私に就いてその感情生活の僞りなき記錄である私の叙情詩を責めるならば、私は私の懺悔を君にかくれてするばかりである。何故ならば、叙情詩は私のためには「感情の告白」であつて「思想の宣傳」ではない。私の祈禱と私の懺悔とはいつも正反對である。(それは私にとつては悲しむべくまた恥づべきことだが。)

いま私の心は光に瞳れる、しかも私の感情は闇の中にうごめいて居る。[やぶちゃん注:「瞳れる」はママ。校訂本文は『憧れる』とする。]

君よ。私の悲しむべき矛盾を笑つてくれるな。すべてに於て、君は私をよく理解してくれるであろう。[やぶちゃん注:「あろう」はママ。以下は二行空け。]

 

 

ある女の友に。

私は今の生活に就いては、どういふ言葉で、どうお話したらよいでせう。

あなたは私の詩「夕暮室内に座りて靜かにうたへる歌」をご覽でしたか。[やぶちゃん注:『詩歌』第七巻十二号 大正六(一九一七)年十一月号に所収する「夕暮室内にありて靜かにうたへる歌」。後の詩集「青猫」(大正一二(一九二三)年一月新潮社刊)の「幻の寢臺」の巻頭を飾る「薄暮の部屋」の初出形である。後者は『萩原朔太郞 靑猫 (初版・正規表現版)始動 序・凡例・目次・「薄暮の部屋」』を参照されたい。リンク先は孰れも私の電子化注。]

ああした詩の表現する心もちこそ、近頃の私の祈禱的な内面生活を語るものです。

一人、薄暮の室内に座つて冥想に沈む私の心は、あの白い寢台の上に長く眠つてゐる悲しい人間の姿です。

私の心臟は疲れて、私の胴体は寢台の上に橫はつて居ます。

日暮の光線は硝子窓を通して、佗しく床の上に流れて居ます。

そして力のない冬の蠅は、ぶむぶむといふ羽音をたてて室内を飛び廻つて居ます。

いま白い寢台の上に、悲しい「死」が橫はつて居る。

ここに人間の安息日があります。[やぶちゃん注:ここも前と同じで改行の有無が不明。個人的に改行と採った。]

その人の心臟は腐れ、その人の魂はすやすやと眠つて居ます。

げに私はふらんねるをきて眠つてゐる疲れた心臟の所有者です。いぢらしくも頽廢した人間の死骸です。

この白い寢台の枕もとに寄りそつて、一人の物思はしげな少女が立つてゐる。この少女こそ、私の氣高き心の戀びとです。

「戀びとよ」私の眠れる心臟は、彼女に向つてかう呼びかけます。もちろん、それは現實の戀びとではありません。それは私の心にいつも悲しく描いてゐる夢想の愛人の姿です。

彼女は私の枕もとに座つて、深くなにものかを凝視して居ります。恐らくそこには凍りついたひとつの心臟と、靑ざめた病氣の神經との陰影を視るのでせう。

しだいに彼女の心は、深い憂愁のためいきから、不思議な明るい幻想の悅びに變つてきました。

いつしか彼女の美しい瞳には、淚がいつぱいになつて頬の上をながれてきました。

ほんとに彼女は、私の幸福のために泣いてくれたのです。悲しみのためではなくして、あの珍らしい「幸福」のために泣いたのです。すべての人類の中で、ただ愚かな私にのみ許された「幸福」のために。

言ふ迄もなく、彼女の病熱的なキリスト敎の信仰と、彼女の感傷(それは人間の最も神聖な道德的感情です)とが、不幸な私を救つて神の前に導いたのです。「愛」それこそ私共の求める「救ひ」の凡てです。それこそ私のやうな虛無思想家が信ずる所の、ただ一つの眞實、ただ一つの神秘です。[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。以下同じ。]

「戀びとよ」

と、私の疲れた心臟が白い寢台の上で呌びました。

そしていま、彼女の唄ふしづかな、しづかな子守歌をききながら、私の心は幸福にも「遠い墓塲の草かげにまで」すやすやと眠りついて行くのです。

ぶむぶむといふ蠅の羽音を夢の中に、物佗しい日暮れの室内の寢台の上で。[やぶちゃん注:以下は一行空け。]

 

ああ、かくばかり私は「愛」と「信仰」とに求めあくがるる魂のおさな兒です。[やぶちゃん注:「おさな兒」はママ。]

私は疲れて頽廢して居ます。私の心は絕望的な悲しみに充ちて暗く閉ぢられて居ます。

いま私の求めて居るものは、立派な論理の上に建つた哲學や慨念や主張の上で宣導される愛の宗敎ではありません。[やぶちゃん注:「慨念」はママ。]

私はただ生きた人間の生きた愛と、その神秘から生れて奇蹟を求めて居るのです。私の凍つた心臟の上にやさしくあたたかく置かれる所の美しい、そして限りなく氣高い處女まりやのおん手を求めて止まないのです。[やぶちゃん注:校訂本文は「その神秘から生れて」を『その神祕から生れる』とする。]

かうした私の子供ぢみたせんちめんたりずむをお笑ひ下さるな。[やぶちゃん注:「子供ぢみた」はママ。]

愚かにも私は、長い長い三十餘年の月日を、詩人めいた「幸福の冥想」と「生の意義」との焦心に勞費してしまつたのです。[やぶちゃん注:「勞費」はママ。校訂本文は『浪費』とする。]

併し今はその愚かさと空虛に疲れました。

今はただ白い寢台の上で、靜かな生のためいきに耳を傾けながら、「美しい並木ある墓地」の夢を樂しむばかりです。

「それがお前の幸福のすべてだ」あの不吉な鴉が私に語つた言葉はこれです。

とはいへ、今日の靜かな雨の日の窓で、かうした手紙をあなたに書くことを悅びます。

思ふにあの美しい「叙情詩人」といふ名稱は私の墓石の銘を飾るためには最も適はしい文字でせう。藝術の權威を信じない私にとつて、詩を魂の慰安として無意義に人生を空費した私にとつて、その墓銘こそ悲しい運命の微笑を語るものです。

では、愉快に希望を以てお別れしませう。

 

[やぶちゃん注:大正七(一九一八)年一月号『感情』に発表された。]

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