狗張子卷之七 鼠の妖怪
[やぶちゃん注:挿絵は、今回は所持する一九八〇年現代思潮社刊の「古典文庫」の「狗張子」(神郡周校注)を使用し、トリミング補正し、適切な位置に配しておく。]
○鼠の妖怪
應仁年中、京師(みやこ)四條の邊(ほとり)に、德田の某(なにがし)とて、巨きなる商人(あきびと)あり。
[やぶちゃん注:「應仁」一四六七年から一四六九年まで。所謂、「応仁の乱」は応仁元年に始まり、文明九(一四七七)年まで続いた。
「德田の某」不詳。]
家、富(とみ)榮えて、家財、倉庫に盈(みて)り。
其比、世、大に亂れ、戰爭、やむ時なく、ことに山名・細川兩家、權をあらそひ、野心を起こし、度々、戰ひに及びしかば、洛中、これがために噪動(さうどう)し、人みな、おそれ、まどひ、たゞ薄氷(はくひやう)を踏んで、深淵にのぞむおもひをなす。
德田某も、これによりて、都の住居(すまゐ)、物うくおもひ、北山・上賀茂のわたりに、親屬のありければ、ひそかに賴みつかはし、すなはち、賀茂の在所の傍(かたはら)に、常盤(ときは)の古(ふる)御所のありけるを、買《かひ》もとめ、山莊となして、
しばらく、此所に隱遁せんとす。
しかれども、久しく人も住まぬ古屋敷なれば、いたく荒れはて、軒、かたぶき、牆(かき)、くづれて、凡そ、幾年(いくとし)經(へ)たる屋敷とも、しれず。
德田、まづ、あらましに、掃除打ちして、徒移(わたまし)しぬ。
京にある親屬、つたへ聞(きゝ)て、みな、來りて、賀儀(かぎ)を、のぶ。
主人、よろこびて、賓客(ひんかく)を堂上(だうしやう)に請じて、饗應し、終日(ひねもす)、酒宴を催し、歌舞沈醉して、あそび、夜《よ》に入《いり》ければ、賓・主、共に、大《おほき》に醉《ゑひ》出(いで)て、前後もしらず、打ち臥しぬ。
その夜(よ)、夜半(やはん)ばかりに、外(ほか)より、大勢、人の來(きた)る音して、急に、表の門を、たゝく。
主人、あやしみ、門をひらきみれば、衣冠正しく、髭、うるわしき人、先立(さきだつ)て入りて、いふやう、
「是は、此屋敷の舊(もと)の主(ぬし)也。我、一人の子あり。こよひ、はじめて、新婦を迎へ侍(はんべ)り。その婚禮の儀式を執り行なはんとするに、わが、今、住所(すむところ)は、せばく、きたなし。たゞ今夜(こよひ)ばかり、此屋敷を、かし給へ。夜、あけなば、早々(さうさう)、立ち去りなん。」
と、いまだ、いひもはてぬに、はや、大勢、入りこみて、
「輿(こし)よ。」
「馬(むま)よ。」
と、ひしめき、挑燈(てうちん)、大小、百あまり、二行(ぎやう)につらね、まづ、さきへ飾り立たる輿、打ち續《つづい》て、乘物、かずかず、かき入る。
その跡よりは、供の女房、いくら共なく、笑ひのゝしりて、來《きた》る。
又、年のほど、六十有餘の老人、大小の刀を帶(おび)て、馬(むま)にのり、步行(かち)の侍、六、七十人、引き連れて、前後をかたく守護すと、見ゆ。
その間《あひだ》に、結構に塗りみがきたる長持(ながもち)・挾箱(はさみばこ)・屛風・衣桁(いかう)・貝桶《かひをけ》のたぐひ、かずかぎりなく持(もち)つれ、貴賤男女(なんによ)、凡そ、二、三百人、堂上・堂下(だうか)に並み居(ゐ)て大《おほき》に酒宴を催し、珍膳奇羞(ちんぜんきしう)、山海のある所を盡し、かつ、まひ、かつ、うたふて、興に入るまゝに、主人(しゆじん)や賓客(ひんかく)を招き出だし、
「かゝる目出度(めでたき)折から、何か、くるしかるべき。ここへ、出《いで》て、あそび給へ。」
と、いへば、主人も賓客も、醉に和し、興に乘じ、座敷にいづ。
[やぶちゃん注:「珍膳奇羞」珍しくて美味い御馳走や、珍しい料理を指して、「珍羞」(ちんしゅう)と言う。この場合の「羞」は「御馳走」の意。]
まづ、その新婦(よめ)とおぼしきを見るに、年、まだ、十四、五ばかりと、みゆ。
すこし、ほそらかに、色しろく、また、たぐひなき美人なり。
次第に、並み居(ゐ)る女房たち、いづれも艶(えん)なるかほかたち、花のごとくに出で立ちて、みな、一同に、立《たち》さわぎ、新婦(よめ)の手をとり、たわぶれて、
「こよひは、いかで、强(しひ)ざらん。」
と、大きなる盃(さかづき)をすゝむれば、新婦(よめ)、いとたへがたきけしきにて、あなたこなたに、にげかくるゝを、
「おひ、とらへん。」
と、さわぐまに、風、はげしく、ふきおちて、燈(ともしび)、のこらず、ふきけしぬ。
主人・賓客
「はつ。」
と、おどろき、しばしして、又、火をとぼしみるに、人、一人(いちにん)も、なし。
やうやう、夜もあけて、よくよく見れば、宵に、ことごと敷(しく)持ちはこびたる道具とおもひしは、一つも、なく、却つて、主人の、日比(ひごろ)、祕藏しける茶の湯の道具より、碗・家具・雜器にいたるまで、みな、ことごとく引きちらし、くひさき、かみちらし、そこなひ、やぶらざるもの、なし。
そのうち、床にかけおきたるふるきかけ物、牡丹花下(ぼたんくわか)に、猫のねぶれる所、かきたる繪、あり。名、きえ、印(いん)、かすみて、誰人(たれびと)の筆ともしらず、これ、一幅斗(ばかり)ぞ、露ばかりも損ぜず、ありける。
みな人、
「よからぬ怪異(けい)なり。」
とて、眉を、ひそむ。
こゝに、村井澄玄(むらゐてうげん)とて、博學洽聞(かうぶん)の老儒あり。
[やぶちゃん注:「村井澄玄」不詳。]
主人に向かひ、いふやう、
「これ、ふかくおそるゝに足らず。老鼠(らうそ)のいたす、妖怪なり。それ、猫は、鼠のおそるゝ所なり。かるがゆに、その繪といへども、あへて、近づかざる事、かくのごとし。かゝる例、傅記に載(のす)るところ、すくなからず。是れ、其の氣(き)、自然(しぜん)と相《あひ》いれずして、畏服(いふく)す。所謂、『物(もの)、其の天(てん)を畏(おそ)る』といふものなり。その類(たぐひ)、一、二を擧(あげ)て、これを、しめさん。われ、かつて、或る古記(こき)をみるに、むかし、或里の中(うち)、一つの村に、童子(わらんべ)、大きなる蛙(かへる)、數十(す《じふ》)、汚池叢棘(おちさいきよく)[やぶちゃん注:「汚池」は澱んだ水溜まり。]の下(もと)にあつまるを見る。進んで、是を捕へんとす。熟(つらつら)、視(み)れば、一つの巨蛇(おほへび)、棘(いばら)の下(もと)に蟠(わだかま)りて、恣(ほしいまゝ)に群蛙(ぐんあ)を啖(くら)ふ。群(むらが)る蛙、凝りかたまりて、啖(くら)はるゝを待ちて、あへて、動かず。又、或村の叟(おきな)、蜈虹(ごかう/むかで[やぶちゃん注:原本の右左のルビ。])、一つの蛇を逐(お)ふを、みる。行く事、はなはだ、急(すみや)かなり。蜈虹、漸(やうや)く近けば、蛇、また、動かず。口を張りて、待つ。蜈虹、竟(つひ)に、その腹に入り、時を逾(こ)えて、出づ。蛇、既に、斃(たふ)れぬ。村の叟、其蛇を、深山の中に、棄(す)つ。十日あまり過ぎて、徃(ゆ)きて、これを、みれば、小き蜈虹、數知(かずし)らず、その腐(くち)たる肉(しゝむら)を食(くら)ふ。これ、蜈虹、卵を、蛇の腹(はら)の中(うち)に產みけるなり。又、むかし、一つの蜘蛛(くも)、蜈虹を逐ふ事、甚だ、急(すみやか)なるを見る。蜈虹、逃れて、籬槍竹(りさうちく)[やぶちゃん注:不詳。籬に使う尖った竹叢(たけむら)の意か。]の中(うち)に入(い)る。蜘蛛、復た、入(い)らず。但(たゞ)、足をもつて、竹の上に跨(またが)り、腹を搖(うご)かす事、あまた度(たび)して、去る。蜈虹を伺ふに、久しく、出ず。竹を剖(さい)てみれば、蜈虹、巳に、節々、爛斷(たゞれたつ)て、黨醤(たうしやう/かにひしを[やぶちゃん注:同前。左の意訓は「蟹」をそのまま搗き砕いた「塩辛」のことか?])のごとし。これ、蜘蛛、腹を動かす時、溺(いばり)[やぶちゃん注:小便。]を灑(そゝぎ)て、是を殺せるならん。物の、其天を畏るゝ事、かくのごとし。今、鼠の、猫の繪をおそるゝや、また、同じ。豈(あに)久しくその妖怪を恣(ほしいまゝ)にする事を得んや。」
と。
かさねて、主人に敎へて、
「其の鼠の穴を、狩らしむ。屋敷より、一町[やぶちゃん注:百九メートル。]ばかり東の方(かた)に、石のおほくかさなりて、小高き所あり。その下に、大きなる穴あり。その中(うち)に、年經(としへ)たる鼠、かぎりなく、むらがれり。みな、捕へ、殺して、すぐに埋(うづみ)ぬ。
其の後(のち)は、何の事も、なかりけるとぞ。
[やぶちゃん注:「村井澄玄」の語る「物、其の天を畏る」というのは、彼の動物の具体例から見て、儒教に於ける天道思想であろう。所謂、この世界の生成消滅・断罪処分を支配するところの「天道」を、如何なる生物や物質も、本質的には敬い畏れ、決定的場面に於いては、それを忌避しようとしたりするが、その下された事態結果からは、究極に於いて、決して逃れることは出来ないということであろう。ある時は、それは一見、人知を超えた理解不能な論理的不条理にも見えるのである。さればこそ、司馬遷に、列伝第一の「伯夷列伝」で、有名な「天道、是か非か。」を言わしめたのである。]