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2022/03/10

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 忘貝(ワスレカイ) / ワスレガイ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。上方を除く総ての箇所に他の図やキャプションが侵入しているため、マスキングした。この見開き丁の図は、かなり狭々していて、標題やキャプションが錯綜してしまっており、図譜としては配置に難がある。]

 

Wasuregai

 

忘貝(わすれかい)

 

「哥枕」曰はく、[やぶちゃん注:この少し下方に左寄せで「ニ」とあるが、衍字であろう。また、以下は下方に記されるが、引き上げた。]

飽等(あくら)の濵

 「萬葉集」十二 紀伊国の飽等の濵の忘貝

          我れは忘れず年はふれとも

 

此の貝、一つ拾(ひろ)いて、波間にうち込めば、又、もとの所帰り來つて、女貝(めがひ)と二つに合ふ。忘貝は誤(あや〔ま〕)りなるべし。「不忘貝(わすれながひ)」なるべきか。

[やぶちゃん注:「誤(あや〔ま〕)り」原画像では「誤(あや)り」。「ま」補ったことを示した。「不忘貝(わすれながひ)」は全くの推理訓。「勿忘草(わすれなぐさ)」に対して振った。]

 

「萬葉集」

   暇あらばひろいに行(ゆか)む住の江の

     岸によるてふ戀忘貝

 

「六々貝合和哥」右一番

        忘貝

「夫木集」

   みつの濵磯越波のわすれ貝

    わすれずみつる松風の声 順德院御製

 

[やぶちゃん注:以下、左下方にあるが、引き上げた。]

 

 「哥枕」 讃岐国松山

「後拾遺」 松山の松の浦風吹寄せば

       ひろひてしのべ戀忘貝

              中納言定家

 

[やぶちゃん注:これは、

斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目マルスダレガイ超科マルスダレガイ科ワスレガイ亜科ワスレガイ属ワスレガイ Cyclosunetta menstrualis

である。房総半島以南の西太平洋に分布し、浅海の細砂底に棲息する。殻長六センチメートル、殻高七センチメートル、殻幅二・五センチメートルに達し、円形に近く、膨らみは弱い。殻は厚質堅固で、両殻を合わせるとレンズのようである。殻表は平滑で光沢があり、通常は紫褐色で、放射帯や細かい網目模様がある。殻頂の後ろに深く窪んだ楯面(じゅんめん)があり、その中に靭帯がある。内面は紫白色、縁部は細かく刻まれる。肉は食用となり、観光地によってはハマグリ類などとともに売られている(ここまでは、小学館「日本大百科全書」の奥谷喬司先生の解説)。なお、ここでも「万葉集」が引かれている通り、古来、詩歌に「忘れ貝」「恋忘れ貝」が詠み込まれているのであるが、果して、それらが、本種のことかどうかは、明確ではない(後の引用を参照)。さて、最新のワスレガイ属についての記載はサイト「PR TIMES」の文化庁による『【国立科学博物館】「忘れ貝」可憐な新種とそのゆくえ 万葉集・土佐日記にいう貝たちの「もののあはれ」と「鎖国の名残」』にとどめを刺す。なんと言っても、そこには、本ワスレガイを含め、八種もの同属種(化石種を含む)が写真附きで紹介されてある。

ベニワスレ Sunetta beni Fukuda, Ishida, Watanabe, Yoshimatsu & Haga, 2021(新種。房総半島/福井県以南、鹿児島県奄美大島、韓国南東部、中国南部(浙江省以南と台湾)を経てベトナムまで分布)

モシオワスレ Sunetta crassatelliformis Haga & Fukuda in Fukuda et al., 2021.(化石種の新種。静岡県掛川層群大日層・油山層からのみ知られ、従来はワスレガイと混同されてきたものの、殻形や厚さではっきりと識別できるため、新種として記載)

タイワンワスレ Sunetta cumingii E.A. Smith, 1891.(一九七〇年代に下記の「ミワスレ」と同種異名と見なされてきたが、実際には別種。台湾・中国南部に多数の産出記録がある一方、本邦では著しく少なく、和歌山県・長崎県五島列島沖(化石の可能性あり)・奄美大島でしか知られていません。

シマワスレ(イソワスレ) Sunetta kirai Huber, 2010.(長くインドネシアからフィリピンに産する種として誤同定されてきた。房総半島及び福井県以南・南西諸島・台湾・ベトナムまで分布)

ランフォードワスレ(オキナワワスレ) Sunetta langfordi (Habe, 1953).(紀伊半島・伊豆諸島・新島・八丈島・宮崎県串間・鹿児島県甑島・奄美大島・沖縄島・台湾・ベトナム・フィリピンからわずかな産出例が知られるのみの稀産種)

ワスレガイ(イイビツガイ)Sunetta menstrualis (Menke, 1843).(ここは全文引用する。『この属の種としては』、『世界一大きい殻を持つ特異な種で、北海道南部〜青森県と、福島県/福井県以南、九州南部まで産する一方、国外で過去に本種とされた記録は』、『全て別種の誤同定のため、実は日本固有種と考えられます。韓国西岸から本種として報告されたものは』、『さらに別の未記載種と考えられ、今後の検討が必要です』とある)

シチヘイワスレ Sunetta nomurai Haga & Fukuda in Fukuda et al., 2021.(化石種の新種。台湾産)

ミワスレ Sunetta sunettina (Jousseaume, 1891).(中国浙江省・台湾以南の熱帯インドから西太平洋に広く分布し、西はアンダマン海から紅海を経てタンザニアまで、南はオーストラリア北部に分布。本邦では和歌山県で僅かな死殻が採集されたのみ)

以下、以下が附言されてある。

   《引用開始》

 これらのうちモシオワスレとシチヘイワスレ以外の現生6種中、ミワスレを除く5種が日本とその周辺海域の比較的狭い範囲に分布が限定されます。これと同様、オーストラリアやアフリカ南部などにはそれぞれ、日本周辺とは異なる種の顔ぶれが見られるため、この属の大半の種は自力分散能力がもともと低く、インド太平洋の各海域で独特の種を生じ、多様化してきたと示唆されます。

 また、この属の種は主として浅海の清浄な細砂底に産し、外洋や湾口、海峡付近など、透明度の高い海水が頻繁に入れ替わる貧栄養の環境に特異的に見られますが、近年の日本では海岸域の環境悪化(水質汚染、埋め立て、海底浚渫など)によってことごとく減少傾向にあります。特にベニワスレは、日本では過去に記録のある産地の9割以上で生きた個体が再発見されず、環境省レッドリストの選定基準に当て嵌めれば絶滅危惧I類に相当します。シマワスレとワスレガイも産出記録は多いものの、近年は相模湾などで減少傾向が指摘され、各個体群は相互に分断されて不連続となり、徐々に絶滅へ向けて傾斜しつつあります。岡山県ではワスレガイは既に絶滅したと考えられます。

   《引用終了》

梅園が言うように「忘れ貝」は今こそ「不忘貝」として絶滅を防がねばならない。なお、同記事の冒頭の『現状』では、「忘れ貝」を巡る本邦の扱いがコンパクトに要点を得て記されてあるので、そこも引用させて戴く。

   《引用開始》

大伴の御津の濱にある忘れ貝家なる妹を忘れて思へや 身人部王(卷一、68

我が背子に戀ふれば苦し暇あらば拾ひて行かむ戀忘れ貝 大伴坂上郎女(卷六、964

紀伊國の飽等の濱の忘れ貝我れは忘れじ年は經ぬとも よみ人しらず(卷十一、2795

 これらの歌はいずれも奈良時代末期の『萬葉集』に収録され、同様に「忘れ貝」を含む萬葉歌は上記以外に7首が存在します。また、平安時代の934(承平5)年ごろ成立したとされる紀貫之の『土佐日記』でも、「二月四日」の浜辺での描写の中に、次の2首を含む一節が知られています:

寄する波打ちも寄せなむわが戀ふる人忘れ貝下りて拾はむ

忘れ貝拾ひしもせじ白玉を戀ふるをだにも形見と思はむ

 この通り「忘れ貝」は日本古典文学では重要な語であり、近年は高校古典の教材にも取り上げられるなど広く知られています。ただし、それらの時代の「忘れ貝」は貝類の特定の一群を指す固有名詞とは限らず、二枚貝類全般が死後に片方の殻だけ残した状態を指していたともいわれ、歴史の不可逆性、取り返しのつかなさ、喪失感、無常などを含意していたと解釈されます。この点で「忘れ貝」は、「もののあはれ」の系譜に連なる表現のひとつともいえるでしょう。

 一方、江戸時代初期の1687(貞享4)年、京の商人・吉文字屋浄貞による『浄貞五百介圖』に「忘介」として示された絵はまさしく現在のワスレガイ (学名: Sunetta menstrualis) に合致し、遅くともこの時代には今に至る和名の用法が既に通用していたと認められます。その約150年後、1836(天保7)年に『甲介群分品彙』、1843(天保14)年に『目八譜』をそれぞれ著した江戸の旗本兼本草学者・武藏石壽は、ワスレガイを「飯匱介」(イイビツガイ)と呼んだ一方で、今でいうベニワスレ (S. beni) を「忘介」として見事な彩色図を披露するとともに、「嶌忘」(シマワスレ)も挙げ、この種 (S. kirai) は今なおシマワスレの和名で知られています。これらの種はいずれも、現在の動物分類学上では二枚貝綱 (Bivalvia):異歯類 (Heterodonta):マルスダレガイ目 (Venerida):マルスダレガイ科 (Veneridae; アサリ、ハマグリ等もこの科) のワスレガイ属 (Sunetta) に含まれます。

 ところが、これほど古くから何度も言及され、よく知られていたはずの日本産ワスレガイ類は、明治以降は1950年代の簡単な報告数編を除いて詳細な比較検討がなされたためしがなく、結果として分類は大混乱の様相を呈していました。最近20年間に日本と中国で刊行された貝類図鑑では、図鑑間で種そのもの(個体・標本)と種名との組合せにまるで一貫性がなく、多くの矛盾が生じていることは明白であるものの、何が正しい見解なのかすら判断できない状態が続いていました。

   《引用終了》

不幸な「忘れ貝」は、近現代、貝類学的生物学的にも、「不幸にも忘れられていた」のであったのである。

「飽等(あくら)の濵」和歌山県内であるが、所在は確定されていない。現在、和歌山市加太(かだ)の南方、田倉崎の海浜に「歌枕」のそれとして比定されて、本歌の碑が建ってはいる。この中央附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

『「萬葉集」十二 紀伊国の飽等の濵の忘貝我れは忘れず年はふれとも』梅園は巻数を誤っている。「卷第十一」が正しい(二七九五番)。また、中西進氏の訓読では、

   *

紀の國の飽等(あくら)の濱(はま)の忘れ貝われは忘れじ年は經(へ)ぬとも

   *

である。なお、中西氏は「万葉集事典」の「動物一覧」の解説で、『海岸にうちあげられた二枚貝の貝殻の一片をいう。「恋忘れ貝」といい』、『恋の憂さを忘れるとも。』と解説する(この後に本種を指すともされると続く)。

「此の貝、一つ拾(ひろ)いて、波間にうち込めば、又、もとの所帰り來つて、女貝(めがひ)と二つに合ふ。忘貝は誤(あや〔ま〕)りなるべし。「不忘貝(わすれながひ)」なるべきか」梅園君、なかなかロマンティックなこと言うじゃないか、いいね!

[やぶちゃん注:「誤(あや〔ま〕)り」原画像では「誤(あや)り」。「ま」補ったことを示した。「不忘貝(わすれながひ)」は全くの推理訓。「勿忘草(わすれなぐさ)」に対して振った。]

「萬葉集」「暇あらばひろいに行(ゆか)む住の江の岸によるてふ戀忘貝」「卷第七」の一二四七番だが、中西氏の訓読では、

   *

暇(いとま)あらば拾ひに行かむ住吉の岸に寄るとふ戀忘貝(こひわすればひ)

   *

である。これは明らかに広義の二枚貝の片貝である。

「六々貝合和哥」「みつの濵磯越波のわすれ貝わすれずみつる松風の声」「六々貝合和歌」。元禄三(一六九〇)年序で潜蜑子(せんたんし)撰。大和屋十左衛門板行。国立国会図書館デジタルコレクションで視認出来る。和歌はここだが、

   *

  右一番

      わすれ貝

「夫木」

 みつのはま磯こすなみのわすれ貝

 わすれすみする松かねの声 順德院御製

   *

となっている。但し、「日文研」の「和歌データベース」では(13080番)、

   *

みつのはま いそこすなみの わすれかひ 

 わすれすみゆる まつかねのゆめ

   *

となっている。「みつのはま」は、知られた歌枕では、大津市下坂本町附近の琵琶湖岸の三津(みつ)があるが、ここは貝拾いからも、梅園の指示する如く、「讃岐国松山」、現在の愛媛県松山市三津浜(みつはま)である。

にしても! 下句、これ、えれぇ違いじゃがね! まんず、短歌嫌いの私は、これ以上、比較検証する気は、さらさら、ない。悪しからず。

「後拾遺」「松山の松の浦風吹寄せばひろひてしのべ戀忘貝」「中納言定家」甚だイタい作者誤認で「中納言定賴」が正しい。「後拾遺和歌集」の巻第八の「別」にある以下の一首(四八六番)、

   *

  讚岐へまかりける人につかはしける

松山の松の浦風吹きよせば拾ひてしのべ戀(こひ)わすれ貝(がひ)

   *

「松山」「松」は「待つ」を掛け、都へ還ることを「待つ」で、この場合は「都恋しさ」を忘れることを言っている。「松の浦」は松山の海浜で歌枕。]

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