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2022/03/08

狗張子卷之五 蝟蟲祟をなす

 

[やぶちゃん注:挿絵は今回も底本(昭和二(一九二七)年刊日本名著全集刊行會編「同全集第一期「江戶文藝之部」第十巻の「怪談名作集」)のものをトリミングしたものを、適切と思われる位置に挿入した。また、漢詩・漢文部分は、最初に白文を示し、その後に底本及び早稲田大学図書館「古典総合データベース」の原本の当該部PDF・本篇は21コマ目から)の読み及び訓点に従って訓読したものを( )で示した。]

 

   ○蝟蟲(けむし)(たゝり)をなす

 元和年中(げんわねんぢう)の事にや、西國の侍(さふらい)、柳岡(やなをか)甚五郞某(なにがし)とて、武篇に名をえしもの、大友(おほとも)が手に屬(じよく)して、齒(は)がねをならし[やぶちゃん注:「刃金を鳴らす」は武威を誇示することを言う。]、時めきけるを、軍(いくさ)に手を負(おひ)つゝ、その身、合期《がふご》しがたくして[やぶちゃん注:思うようにはなり難くして。]、山しろの里に、すみけり。[やぶちゃん注:「元和」の読みは「げんな」が普通。一六一五年から一六二四年まで。徳川秀忠・家光の治世。]

 その子を孫四郞と名づく。

 年、いまだ、十二歲なりけれども、心ざま、おとなしく、おなじほどの子どもにも、つれてあそぶこともなく、物しづかに生立(そだち)あがり、手ならひ・物よみに心をいれて、更に、いやしげなる業(わざ)、なし。

 あたりちかき輩(ともがら)、みな、これを、ほめ、感じて、沙汰し侍べり。しかも、容顏、美麗にして、人なみには、はるかにすぐれたり。

 

Yukai1

 

「後(のち)には、身をたて、家をも、おこすべし。」

と、親もよろこび思ひけるところに、元興寺(ぐわんごうじ)の僧、宥快(ゆうくわい)と聞えし法師、

「都に、のぼる。」

とて、路(みち)のついでに、しれる人ありて、山しろの里に立《たち》より、孫四郞が姿を見そめしより、心ざし、切(せち)に思ひしみて、京へものぼらず、しばらく、こゝにとゞまり、たよりをもとめて、かくぞ、いひつかはしける。

 江南柳窕綠

 尙愛枝葉陰

 頻莅黃鸝翼

 暫堪待春深

(江南の柳(やなぎ) 窕(たを)やかにして綠(みどり)なり

 尙(なほ) 枝葉(しえう)の陰を愛(あは)れむ

 頻りに 黃鸝(くわうり)の翼(つばさ)を莅(のぞ)む[やぶちゃん注:「黃鸝」ウグイスの異名。]

 暫く堪へて 春の深きを待つ)

  葉をわかみまだふしなれぬくれ竹の

     このよをまつは程ぞ久しき

と、書きてやりければ、孫四郞、おさなき心にも、『あはれ』とや思ひけん、文をば、ふかく袂(たもと)にかくし、返事(かへり《ごと》)せんすべも、しらずながら、朝夕(あさ《ゆふ》)、思ひくづれをれつゝ、かくぞ、讀みける。

  おなじ世にいきて待《まつ》とは聞きながら

    こゝろづくしのほどぞはるけき

 宥快は、此歌をつたへ聞《きき》しより、心、空(そら)にあくがれ、修行學道(すぎやうがくだう)の事は、世の外《ほか》になり、寺をあくがれ出で、山しろの里に行通(《ゆき》かよ)ひ、人めをもわすれて、あたりちかく、忍びありきけり。

 親、聞きつけて、情けもしらず、腹立(だち)て、

「にくき法師の有さまかな。孫四郞、年、まだたらぬを、みだりにそゝのかし、とかくするこそ、安からね。わが子、更に門(かど)より外《そと》には、いだすべからず。おとなしく生立(おひたち)なば、いかならん大名高家へもまゐらせ、武篇(ぶへん)のはたらき、人めを、おどろかし、大身(たいしん)に經(へ)あがり、我がおとろへたる家をもおこさばやとこそ思へ、寺にこもり、兒喝食(ちごかつしき)[やぶちゃん注:天台宗や真言宗など寺院で、貴族や武士の子を預かり、俗体のまま、修学させたり、給仕に使役した少年。しばしば男色の対象となった。]となり、後《のち》には、乞食法師(こつじきはうし)の腰拔若黨(こしぬけわかたう)になりなば、生(いき)て何にかはせん。身を立つる事のかなはずば、死にたるこそ、よけれ。その法師、あたりへも、よすべからず。」

と、をどりあがりて、いひのゝしりければ、孫四郞、悲しき事、限りなし。

「親にそむかじとすれば、なさけもしらぬ有さま、鳥けだものに同じかるべし。

  いかにせんあまのを舟《ぶね》のいかり繩(なは)

    うき人のためつながるゝ身を

獨りかこちて、あかし暮す。」

と、聞えしかば、宥快ほうしは、思ひに堪(たへ)かねて、

「 あまのたく藻鹽の煙(けふり)あぢきなく

    心ひとつに身をこがすらん

口をしき世の有さまかな。ながらへてあればこそ、物うき事も、つらき事も、我身にこりつむ柴舟(しばぶね)の、こがれてのみ、あかし暮さんより、死して、うらみを、はらさんものを。」

と、一すぢに思ひさだめて、房(ばう)のうちに引こもり、斷食して居たりければ、同學の僧、來りて、戶をたゝくに、しばしは音もせず、やゝありて、あらゝかに障子をひらき、立ち出《いで》たるすがたを見れば、瘦せつかれたるすがた形(かたち)、雨の目は、血を刺(さし)たるごとく、くぼくぼと、おちいり、頭(かしら)の髮は、此間(あひだ)に、色、變じて、白くなり、筋(すぢ)、ふとく、骨(ほね)、あらはれ、すさまじき事、いふ斗《ばかり》なし。

 同學の僧、さしよりて、

「いかに。淺ましくも、執心ふかく、みゆるかな。さなきだに、生死(しやうじ)のまよひ、はれがたくして、世々の聖賢だに、おそれ給ひ、身命(しんみやう)をかへりみず、行なひすまして、得道(とくだう)し給へり。その外、おほくの修業者達、棲家(すみか)をはなれ、山にこもり、或(あるい)は諸國を抖藪(とそう)し、行脚の身となり、妄念(まうねん)をとゞめ、煩惱をひすろげて[やぶちゃん注:薄くさせて。]、まことのおこなひをいたし、菩提をもとめ、功德をつみてこそ、輪𢌞をのがれ、解脫のさとりに入《いる》といふに、大事の未來を餘所(よそ)になし、浮世の戀慕に思ひしづみ、魔道に落ちて、永きまよひに沈づまん事、人界(にんがい)に生まれし甲斐もなく、六道のちまたにさまよひなば、悔ゆとも、歸るまじ。只、この一念をひるがへし、狂氣をとゝとどめて、克(よく)、念(おも)へ。凡夫(ぼんぶ)を轉じて、聖者(しやうじや)とならんは、唯今ぞかし。钁湯劒林(くわんたうけんりん)、遠からず、劒(つるぎ)の山、ちかきにあり。」

と諫(いさめ)しかば、宥快、聞《きき》て、淚を流し、

「世に有りがたき法門を聞せ給ふは、さる事なれども、思ひ結びし業因(ごふいん)は、ゆめゆめ、とけ侍らず。千《ち》たび百(もゝ)たび、心を返せども、返され侍べらぬは、力(ちから)、なし。迚(とて)も、此世は久しからず。重ねて受くべき輪廻の妄執は、さだめて、過去世の因果なるべき。柳岡甚五郞は、生々(しやうじやう)の怨家(をんけ)たるべし。たとひ、死にて劒の山には上(のぼ)るとも、よしや、是までぞ。年比、同學の情(なさけ)に、只今、出《いで》て、此世のいとまごひを、するぞや。心ざしあらば、跡をとへかし。とくとく、歸り給へ。」

とて、障子を引たて、もとのごとく、こもりければ、僧も力なく、淚とともに歸られたり。

 かくて、七日といふに、禮盤(らいばん)[やぶちゃん注:本尊の前に配された壇で、導師が上がって礼拝する場所。]の前に、打たふれて、死にけり。

 僧衆(そうしゆ)、あつまりて、屍(かばね)を野べに出《いだ》し、茶毘(だび)の煙(けふり)に燒きあげ、經、よみ、念佛して、とぶらひけり。

 その夜《よ》、孫四郞、夢ともうつゝともしらず、宥快法師、閨(ねや)に入來《いりきた》る、と、みえし。

 それより、病(や)み出し、時々は、熱氣(ねつき)にをかされ、おどろき騷ぐ事あり。

 醫師(くすし)を賴み、さまざま、いたはるに、更に驗(しるし)なし。

 漸々(ぜんぜん)につかれて、つひに、はかなく成たり。

 父母、泣々(なくなく)、葬禮して、屍を土中(とちう)に埋(うづ)み、卒都婆(そとば)をたて、經、よみて、とぶらひけり。

 孫四郞、今、引入(ひきいる)とおぼしき時に、

「孫四郞殿、いざ、いざ。」

といふ音《こゑ》の、家の天井(てんじやう)に聞えしこそ、おそろしけれ。

 三十五日を、すごしける。

 

Yukai2

 

 ころは、五月(さつき)の初めつがた、家のうち、天井・承塵(なげし)、戶にも、柱にも、毛蟲の、わき出《いで》たり。

『五月雨(さみだれ)の降りつゞく故に、朽ちたる木竹《ぼくちく》より、わき出《いで》るや。』

と、おもひけるに、それにはあらで、甚五郞が家にかぎりて、餘所(よそ)には、ひとつも、なし。

 拾ひよせ、掃(はき)あつめて、堀にすて、河に流す事、數石(すこく)に及ぶといへども、跡より、わき出て、つくる事、なし。

 後(のち)には、此毛蟲にさはる人は、是(これ)にさゝれて、疼《ひひらぎ》痛み、日(ひ)を經ては、蛻(もぬ)けて、蝶(てふ)になり、むらがり飛(とん)で、人の顏にとまり、衣裳に取《とり》つき、夜は、ともし火にたかりて、うち消し、あるひは、食物の中にころび入《いり》ければ、

「いかさま、是は、只事にあらず。宥快法師が亡魂(ばうこん)のなすわざ成べし。」

とて、元興寺に申《まうし》つかはし、同學の僧を賴みて、とぶらはせしかば、彼(か)の僧も痛はしくおぼえて、祭文(さいもん)を作りて、佛事をいとなみ、ねん比(ごろ)にこそ、弔(とぶ)らひけれ。

[やぶちゃん注:以下の漢文は底本では全体が一字下げ。]

維歲元和二年龍集丙辰今月今日、元興寺住僧宥快入名於釋門、凝志於學道。觀智溫雅之德、修行練磨之功、實出離之要基也。一朝魔風扇動而禪座散落、妄塵飛蕩而定水垢濁、神裂魂碎、死而爲蝟、鳴呼哀哉、細爾小蟲爲害不少、汝毛攅起如豪、刺端兩岐若鼠。喩晉桓溫之鬚、比淮陽王之矢。熱則展如水蛭、寒則縮似卷矣。葢惟生死輪廻之巷、流轉因果之報、罪福各如符。纎芥咸無差。三界四生區別、六道七類凡殊。一念之愚執、一心之惑倒、變而爲迷、化而爲物、賈誼所謂化爲異類焉。淸凉所謂精神化爲土木金石焉。此故八幡娘孃子爲女郞花、松浦佐夜姬成堅頑石。愛戀染着則情與非情無所不爲焉。鳴呼哀哉、汝之業力、假令雖强盛、今所行、隨求陀羅尼、光明眞言庸誦供、式加持。應速轉迷情、疾飜魂精、到安穩之樂城。謹奉尙享。

(維(こ)れ、歲(とし)、元和(げんわ)二年龍集(りふしふ)[やぶちゃん注:年号の下に配する語。「龍」は星の名で、「集」は「宿る・次」の意。この星は一年に一回周行するところから「一年」をも意味する。]丙辰(ひのえたつ)今月今日、元興寺(ぐわんごうじ)住僧宥快、名(な)を釋門に入り、志(こゝろざし)を學道に凝らす。觀智溫雅(かんちうんが)の德、修行練磨の功、實(じつ)に出離(しゆつり)の要基(えうき)なり。一朝(いつてう)、魔風(まふう)、扇動して、禪座(ぜんざ)、散落(さんらく)し、妄塵(まうぢん)、飛蕩(ひたう)して、定水(ぢやうすい)、垢濁(くぢよく)し、神(しん)、裂け、魂《たましひ》、碎(くだ)け、死して蝟(けむし)と爲(な)り、鳴呼(あゝ)、哀れなるかな、細爾(さいじ)の小蟲(せうちう)、害を爲すこと、少なかず、汝(なんぢ)が毛は攅起(さんき)して豪(やましゝ)のごとく、刺端(らつさん)、兩岐(りやうぎ)にして、鼠(ねずみ)のごとし。晉(しん)の桓溫(くわんおん)か鬚(ひげ)の喩(たち)へ、淮陽王(わゐやうわう)が矢に比(くら)ぶ。熱き則(ときん)ば、展(のぶ)ること、水蛭(すいしつ)のごとく、寒き則(ときん)ば、縮(しゞま)りて、卷くに似たり。葢し、惟(こ)れ、生死(しやうじ)の輪廻の巷(ちまた)、流轉因果の報(ほう)、罪・福、各(をのをの)、符(ふ)のごとし。纎芥(しんがい)、咸(こゝ)に、差(たが)ふこと、無し。三界(がい)四生(しやう)、區(まちまち)に別れ、六道(だう)七類《るゐ》、凡(すべ)て、殊(こと)なり。一念の愚執(ぐしう)、一心の惑倒(わくたう)、變じて、迷ひと爲(な)り、化(け)して物(もの)と爲り、賈誼(かぎ)が、所謂(いはゆる)、化(くわ)して異類と爲る、と。淸凉(しやうりやう)の所謂、精神、化(け)して土木金石(どぼくきんせき)と爲る、と。此の故に、八幡(やはた)の娘孃子(によううじたうし)は女郞花(をみなへし)と爲(な)り、松浦(まつら)の佐夜姬(さよひめ)、堅(たて)の頑石(ぐわんせき)と成れり。愛戀染着(あいれんぜんぢやく)、則(ときん)ば、情(じやう)と非情と、爲らざる所、無し。鳴呼、哀れなるかな、汝の業力(《ごふ》りき)、假令(たと)ひ、强盛(ごうせい)なりと雖も、今、行なふ所(ところ)、隨求陀羅尼(ずいぐだらに)・光明眞言、庸(もつ)て、誦供(じゆぐ)し、式(もつ)て、加持(かぢ)す。應(まさ)に、速やかに迷情(めいじやう)を轉じ、疾(と)く魂精(こんせい)を飜(ひるがへ)し、安穩(あんをん)の樂城(たくじやう)に到るべし。謹んで、奉(う)けよ。尙(たつと)びて、享(う)けよ。)

 かく、おこなひ、加持して、とぶらひければ、二、三日の間に、毛蟲、ことごとく絕えて、あとかたなくぞ、成にける。

 亡魂の、うかびける事、うたがひ、なし。

 

[やぶちゃん注:三たび、若衆道奇譚だが(実はまだ続く)、これ、頼豪(長保四(一〇〇二)年~応徳元(一〇八四)年)を遙かにインスパイアしたのが、私にはバレバレで(祭文の「汝(なんぢ)が毛は攅起(さんき)して豪(やましゝ)のごとく」で当確と私は思った)、怪異譚としてはちょっと残念な気がして、注をする気が、全く、なくなった。悪しからず。例の江本裕氏の論文「『狗張子』注釈(四)」(『大妻女子大学紀要』一九九九年三月発行・「大妻女子大学学術情報リポジトリ」のこちらから同題論文の総て((一)~(五))がダウン・ロード可能)に詳しいので、今回はそちらを全面的に参照されたい。少なくとも、祭文についての訓読はオリジナルにかなり頑張ったので、それで私は十二分に満足している。手抜きではない。悪しからず。ただ、一つだけ、言い添えておこう。「三十五日」は「五七日」(ごしちにち)で、地方によっては早くもこれを忌開けとする地方もあるが、嘗ては、中陰の中でも非常に重要な供養の式日であった。一説には、この日、閻魔庁で亡者が浄玻璃の前に引き出され、生前の悪行がそこに映し出されるという話もある。冥府魔道に落ちた宥快の悪足掻きの最たるものとして、その対(つい)対象として見るのも、これ、面白いかも知れぬ。だいたい、毛虫というのが、生理的には、無論、キモいものの、如何にも、ショボいと私は、内心、思うのである。]

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