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2022/03/02

筑摩書房「萩原朔太郞全集」(初版)「散文詩・詩的散文」初出形 正規表現版 始動 / SENTIMENTALISM

 

[やぶちゃん注:本ブログでは既にカテゴリ「萩原朔太郎」及び「萩原朔太郎Ⅱ」によって、既刊単行詩集(諸出版社の生前の萩原朔太郎監修による作品集にのみに所収した詩篇を含む)の正規表現版、及び、筑摩書房「萩原朔太郞全集」(初版)の初出形の正規表現版(誤字・誤植を含む)を総て電子化注し終えている。されば、萩原朔太郎が生前に単行詩集に収録しなかった同全集の「散文詩・詩的散文」を、以下、ゆるゆると電子化注を開始し、私の憂鬱を完成させることとする。

 底本は基本を筑摩書房「萩原朔太郞全集 第三卷」(昭和五二(五月三十日発行)初版)の消毒されて無菌化されてしまった校訂本文の下に、ポイント落ちで示された〈正しい〉初出形を元とする。則ち、正字正仮名で、しかも、異体字は勿論、誤字・歴史的仮名遣の誤り・誤植等も総てそのまま電子化するということである。但し、踊り字「〱」「〲」は正字化した。 なお、加工データとして「青空文庫」の「萩原朔太郎」の同書底本の「散文詩・詩的散文」で電子化されている同全集の校訂本文の不完全な正字化ものを利用させて戴いた。ここである。ここに「感謝」申し上げる。

 誤字や不審な箇所及び躓いた語句に就いては注を附し、時に作詩時の萩原朔太郎について同全集年譜等によって附言する。また、草稿のあるもの、或いは強い関連を認める詩篇(詩作ノートを含む)などに就いても必要があれば、言及する。但し、「散文詩・詩的散文」はどれも長いもので、後注をすると、読者に迷惑がかかるため、一部の注を特異的に段落末に置くことにした。

 標題(題名)は底本では、ややポイント上げであるが、有意に大きくした。

 但し、私は既に古くはカテゴリ「萩原朔太郎」で、また、新たな「萩原朔太郎Ⅱ」で幾つかの詩篇を気儘に或いはソリッドに電子化しており、それらについては、旧電子化注記事を正規表現に直し、必要に応じて注を添えて修正する仕儀に留めることとする。それは、当該詩篇を示すべき場所でリンクを添えることで、過去の私の仕事に幽かに敬意を表することとする。【202232日始動 藪野直史】]

 

 

 SENTIMENTALISM

 

 センチメンタリズムの極致は、ゴーガンだゴツホだ、ビアゼレだ、グリークだ、狂氣だ、ラヂウムだ、螢だ、太陽だ、奇蹟だ、耶蘇だ、死だ。[やぶちゃん注:「ゴーガンだ」の後に読点がないのはママ。]

 

 死んで見給へ、死蠟の光る指先から、お前の至純な靈が發散する。その時、お前は、ほんとうに OMEGA の、靑白い感傷の瞳を、見ることが出來る。それがおまへの、ほんとうの、人格であつた。[やぶちゃん注:「死蠟」及び二箇所の「ほんとう」はママ。]

 

 なにものもない。宇宙の『權威』は、人間の感傷以外になにものもない、[やぶちゃん注:文末が読点なのはママ。]

 

 手を磨け、手を磨け、手は人間の唯一の感電體がある。自分の手から、電光が放射しなければ、うそだ。[やぶちゃん注:「感電體がある」底本校訂本文は「感電體である」と恣意的に消毒している。太字は傍点「ヽ」。以下同じ。]

 

 幼兒が神になる。

 

 幼兒は眞實であり、神は純一至高の感傷である、神の感傷は冷朧晶玉の如くに透純である。神は理想である、人は神になるまへに硝子玉(がらすだま)の如く白熱されねばならない。[やぶちゃん注:「冷朧」はママ。「玲瓏」が正しい。太字傍線は底本では傍点「◦」。以下同じ。]

 

 眞實は實體である感傷は光である

 幼兒の手が磨かれるときに、琥珀が生れる。彼は眞珠となる。そして昇天する。

 

 實體の瓦石は、磨いても光らない。

 實體の瓦石とは、生れながらの成人(おとな)である。パリサイの學從である。眞實のない製詩職工である。[やぶちゃん注:「學從」底本の校訂本文は『學徒』とする。]

 

 淚の貴重さを知らないものに眞實はない。

 

 哲人は詩人と明らかに區別される。彼は、最もよく神を知つて居ると自負するところの、人間である。然も實際は、最もよく神を知らない、人間である。彼は偉大である、けれども决して神を見たことがない。

 

 神を見るものは幼兒より外にない。

 神とは『詩』である。

 

 哲學は、槪念である、思想である、形である。

 は、光である、リズムである、感傷である。生命そのものである。

 哲人も往々にして詩を作る。ある觀念のもとに詩を作る。勿論、それ等の詩(?)は、形骸ばかりの死物である。勿論、生命がない。感動がない。

 然るに、地上の白痴(ばか)は、群集して禮拜する。白痴の信仰は、感動でなくして、恐怖である。

 

 下品(ぼん)の感傷とは、新派劇である。中品の感傷とはドストヱフスキイの小說である。上品の感傷とは、十字架上の耶蘇である、佛の𣵀槃である、あらゆる地上の奇蹟である。

 

 大乘の感傷には時として理性がともなふ。けれども理性が理性として存在する塲合には、それは觀念であり、哲學であつて『詩』ではない。

 感傷の𣵀槃にのみ『詩』が生れる。即ち、そこには何等の觀念もない、思想もない、槪念もない、象徵のための象徵もない、藝術のための藝術もない。

 

 これはただの『光』である。

 

 七種の繪具の配色は『光』でない。『光』は『色』のすさまじい輪轉である。純一である。炎燃リズムである。そして『光』には『色』がない。

 

 色即是空、空即是色。

 

 藝術の生命は光である斷じて色ではない

 リズムは昇天する。調子は夕闇の草むらで微動する。

 

 我と人との接觸、我と物象との接觸、我と神との接觸、我と我との接觸、何物も接觸にまさる歡喜はない。この大歡喜が自分の藝術である。

 

 自分は神と接觸せんとして反撥される、自分は物象と接觸せんとして反撥される、自分は戀人と接觸せんとして反撥される。その反撥の結果は、何時も何時も、我と我とが固く接觸する。接觸の所產は詩である。

 

 未來、自分は感傷の𣵀槃にはいる、萬有と大歡喜を以て、接觸することが出來る。現在、及び過去の自分は未成品である。道程である。――人魚詩社宜言――[やぶちゃん注:「宜」はママ。「宣」の誤字か誤植。]

 

 

[やぶちゃん注:大正三(一九一四)年十月号『詩歌』に発表された。

「ビアゼレ」ワイルドの「サロメ」の挿絵で知られるビアズレーのこと。

「パリサイ」パリサイ人・ファリサイ派・ファリサイ人ともいう。紀元前二世紀のマカベア戦争直後から紀元一世紀頃にかけて存在したユダヤ教の一派。語義は「分離した者」。ハシディーム派の敬虔な一派が祖とされる。律法厳守に徹して、民衆や他宗派に接せず、ユダヤ教の創始者エズラに従い、口伝律法も成文律法と同様に権威を有するとして、その拘束性を主張した。サドカイ派と異なり、非ユダヤ的なものに反対し、熱心党が目指したような政治闘争には加わらず、死後の応報・肉身の蘇りを信じ、自由意志と予定の結合を唱えた。キリストの教説に反対し、福音書では偽善者と非難されるが、宗派としては純正な立場をとり、シメオン・ザカリアス・パウロなどの優れた人材を擁していた。紀元前二世紀から紀元後七十年のエルサレム陥落まで勢力を保ち、ヘロデ大王の頃には、信徒は六千人に達していたという。その後も残存し、ラビの思想に影響を残した(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った。]

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