室生犀星 碓氷山上之月
[やぶちゃん注:底本は国立国会図書館デジタルコレクションの室生犀星著「魚眠洞隨筆」(大正一四(一九二五)年六月新樹社刊)の「日錄」パートのここから始まる「碓氷山上之月」を視認して電子化した。
傍点「﹅」は太字とした。なお、本文中に四ヶ所出る「妹」は活字は孰れも「妺」であるが、「妹」に代えた。
注したいことがゴマンとあるのだが(無論、芥川龍之介と松村みね子=片山廣子に関わる部分で)、今回は急に思い立って仕儀であったので、躓いた箇所にのみ、語注を附すに留めた。]
碓 氷 山 上 之 月
ぽつたりと百合ふくれゐる株の先
その百合の花が一本に四つの花をもつてゐる。四つといふ數はきらひである。それゆえその一つを剪つてしまふ。ところが最う一本の百合にも四つの蕾がふくれてゐる。やはり剪ることにした。
澄江堂はとなりの襖を隔てた部屋で、予は入口の方に室を撰んだ。窓の前に小さい池があつて噴水がのぼつてゐる。筧に穴をうがつてあるところから一間くらゐの水が輪のやうに池の面を敲いてゐる。まるで誰か小便をしてゐるやうで、見てゐるのが呼吸苦しくなる。……
澄江堂と襖一重ではあとになつてお互ひ窮屈にならぬかと思ふ。澄江堂は君さへよければ關はぬといふ。しかし君にどうかといふ。なるべく隣室でない方がよいけれど、室がないからお互ひにがまんすることに仕やうといふことになつた。(大正十三年八月三日、七十九度)
×
朝六時に起きる。散步してかへつて來ても澄江堂はまだ床にゐる。が、とくに眼をさましてゐるらしく起きて出てくる。……」
「あゝよく寢た。……」
と云ふ。よく寢たらしい顏附である。
澄江堂はパンとミルクの朝飯だが、予はあたり前の朝のおぜんである。この宿に五十幾人かの避暑客はゐるがみんなパンとミルクの朝飯である。日本食は予ひとりくらゐださうである。パンとミルクで朝飯をたべると茶がうまく飮めない。も一つはパンとミルクで朝飯をすますと朝飯のかんじがしない。あれは朝寢坊のたべものだらうと考へた。
「この宿にゐる間だけパンとミルクにして、家へかへると日本食ぢやないかな。」
さういふと澄江堂はたいがいさうだらうと言つた。
「けふたつちやんこが來るが、別の室をたのんで置いた。」
「たつこちやんが來たらホテルヘ行つて飯を食はう。」
たつちやんこを聞きちがへてたつこちやんと澄江堂はいふ。たつこちやんは少しをかしい。その辰ちやんこは此間から予の鄕里の家で泊つてゐたのだが、予が輕井澤へ行くのと一日おくれて歸京するので、こゝヘ途中下車をして一泊することになつてゐるのである。
「風蘭や暑さいざよふ石の肌はどうぢや。」
澄江堂はいつの間にか予の田舍訛を覺てしまつた。が、また、「どうも上の句がしつくりしないな。」さう言いて、「石菖や暑さいざよふ……これもいかん。」と言つた。
「藤棚や暑さいざよふ……これもいかん。」
澄江堂は七へんばかり上の句をなほし、たばこをすぱすぱ喫つてゐる。「日盛りや暑さいざよふ……これもいかん。」と言つた。かれはいかんいかんを續けなりに言つた。
午扱、堀辰雄君來る。そして家の方で、昨日朝子が乳を吐いて一日泣き通してゐたと言つた。又かと思ふ。心すぐ暗くなる。
「消化不良だね、よく注意しないといけない。葉書でも出しときたまへ。そばにゐるやうに力になるものだよ。」
澄江堂は濕布その他の手當の話などをした。
晚、輕井澤ホテルヘ三人で行く。すぐ脇隣りに岩谷天狗のやうな西洋人がゐて、四合入の牛乳の甁を控ヘビールのやうにどくどく飮んでゐた。
「あれをみんな飮むつもりか?――」
予は尠なからず恐怖した。
「君、ちやんと聞いてゐるよ、あつち向いてゐてもね。」
澄江堂はしつしつといふやうな顏をる。……なるほど、田舍へ行つてから聲が大きくなつた矢先きだし、あわてて予は緘默した。
西洋人は予らが食卓を離れるまでに完全に牛乳の四合入りを一滴あまさすに飮んでしまつた。予はいまさらに世界地圖に一覽を與へたやうな悠大な氣がした。
喫煙室に坐つてゐるうち去年見た西洋人が泊つてゐないことに氣がついた。三人の子供に順繰りに本をよんで聞かせてゐた美しい異人の母親は來てゐなかつた。外へ出てから予は辰ちやん子に囁いた。
「去年とはさびしいやうだね。」
「そんな氣がしますね。」(四日、七十六度)
×
マンペイホテルヘ茶をのみに行つた。暗い木の茂みが橋の上をつつんでゐるところで、予は突然右の人差指がこの冬ぢゆう痺れてゐて、溫かくなつて癒つてゐたが二三日中に急にそのしびれが冷氣のために來てゐるのに氣づいた。
「これが君、またしびれ出して……」
さう言つて人差指をさし出すと、澄江堂はわつと言つて吃驚りした。
「ああびつくりした。こりや――」
葉のこまかい枝が夜ぞらに恩地君の版畫のやうに浮き出してゐる。「怕かつた――」と言つて吃驚したのぢやないと言つた。
散步からかへつてから松村みね子さんが室の前を通つて、お寄りになる。去年おあひをしてから話をするやうになつてゐる。それもいつも輕井澤だけである。
あとでお菓子を松村さんに持たせてやる。
辰ちやん子歸京。(五日、七十五度)
×
朝、あんまをとる。
澄江堂は仕事をしてゐる。あるだけの戶を閉めきつてゐる。予は開けてゐるが反對である。それから予は晚は九時には床にはいるが、澄江堂はたいがい一時ごろ寢るらしく、起きてゐるのか寢てゐるのか分らないほど靜かである。
松村さんから大きた栗饅頭六つ、紙に包んで女中にもたせて來る。手のひらくらゐある大きさである。澄江堂はその大きなのを一つ晝飯後にたべる。一たい食後にすぐ菓子をたべるのは胃によくないと言つたが、いつのまにか食べるやうになつた。予が國から持つて來た金玉糖を一つづつ食べるやうになつたのは、甘好きの澄江堂の風習がうつつてしまつたのらしい。
楓と鬼齒朶のかげから朝日グラフの記者がひよつこり顏を出して、ぱちつと二人の寫眞を撮つた。――それから向ふの座敷にゐる兄妹と母親との一族の、その兄らしい少年が散步からかへつてくると、澄江堂をぱちつと撮つてゐた。そのおれいに罐詰の水蜜桃が澄江堂へと持つて來た。予を閉却するも甚だしい。が、水蜜桃だけは一つ食べた。[やぶちゃん注:「そのおれいに罐詰の水蜜桃が澄江堂へと持つて來た。」はママ。「そのおれいに罐詰の水蜜桃を澄江堂へと持つて來た。」の誤字か誤植であろう。「閉却」もママ。「閑却」の誤植であろう。]
その少年の妹さんはべつぴんである。かの女はいたづらに椽側へ靴下の足を投け出してゐるのが、予の机の方から見えた。れいの「暑さいざよふ」敷石のまはりの芝をけふは手がけをかけた里女が刈つてゐる。その遠景にまつつぐに一とすぢの噴水が今日から上がつた。その芝と噴水との景色はよかつた。予はしきりにほめたが澄江堂は默つてゐた。しばらくしてから、
「なるほど、いいな。」と言つた。
そしてまた暫らくしてから「僕はちよつと睡るからね。」と言つて睡いかほをした。昨夜二時に起きて小用を達しに行つたら、かれの部屋のひらきが椽側の方へ二尺ばかり開いて、濛濛たる煙草のけむりの中に端然と坐つて仕事をしてゐた。予は默つて小用を達して睡つたのである。それゆえ[やぶちゃん注:ママ。]睡いのであらう。――
二時間ほどすると洗面したやうにさつぱりした眼つきをして、
「ああよく寢た。」
と言つた。
晝寢のできない予はこのああよくねたは羨しかつた。睡たいときにはほろりと睡れるらしいからである。
「ほんとによくねたよ。」
夜、マンペイホテルヘ飯をたべに行く。樹の間透く電燈が美しい。食卓のもう一つ向ふの食卓にひとりの美人が家族に交つて坐つてゐた。笑ふと白い齒が揃つてそれが屈託なささうに淸潔な感じをさせた。
一年間西洋人を見なかつた田含ぐらしの予の眼に、西洋人が珍らしかつた。一たい輕井澤は妙に上品振つてきらひである。しかし凉しいのは好きである。ことしは西洋人が見られるのが一つよけいな樂しみになつた。
「谷崎君が好きかも知れない。」
澄江堂はかう言つたが、予は春夫はどうだらうと言つた。そして予はまた、春夫は苦情なしにはここに居るまいと思つた。(六日、七十六度)
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朝起、冷たい雨を見た。
椽さきの山百合が雨垂を含んでうなだれてゐる。家からの手紙に朝子乳吐くことと、東京から遊びにきてゐるひろちやんの耳の中へおできができた、多分、水泳のためであらう、なるべく早くかへれとあつた。予はまた心欝した。
澄江堂起きてくる。――
「夏に子供をあづかるのは考へものだ。」
さう言つた。
なるほど考へものであると思つた。[やぶちゃん注:一字下げ無しはママ。誤植であろう。]
二人で食事をするのは每度のことである。しかし予はまだ澄江堂が洗面をせずにゐることに注意を拂つた。が、かれは平然と箸の先きで木つつき鳥のやうに半熟の卵のからをこくめいに叩いて、その破れたところから剝ぎはじめた。洗面をせすに飯をくふつもりらしい。飯が終つた。
「据風呂に犀星のゐる夜さむかな、はどうぢや。」
「ひととほりはいいな。」
かれの脊中は形よい小ぢんまりした肉をもつてゐる。ちよつと鮎の感じがあるなと思つた。かれは湯をあびながら、
「けさ顏を洗ふのを忘れてしまつたよ。」
さう言つて洗面した。「僕はちやんと知つてゐたんだが默つてゐたんだ。」さう予は言つた。
午後、部屋にこもつて苦吟してゐるらしかつた。それが二三日前から烈しくなつたやうな氣がした。
夕方、裏門きはの女中部屋の戶板に向ひ、立つたままで女中のお雪が泣いてゐた。――色も白く浴衣も白い名もお雪といふ此の女中は、どこかの小間使ひをしてゐたので能く料理番なぞに叱られると聞いてゐたが、可愛さうな氣がした。
「さつき百合が泣いてゐた。……」
「可哀さうにいぢめられるんだね。――」
澄江堂と予とはこの女を百合と言つてゐたのである。百合は一日くらゐ客の間の世話を燒くと、つぎからつぎへと新手の客に代へられた。(七日、七十八度)
×
雨になつて雷嗚がした。次第に烈しくなる。……いままで靜まり返つてゐた澄江子は何か叫びながら、玄關さきの應接間へ飛んで行つた。予は折柄、あんまをとつてゐたが、療治はもう終りかかつてゐたけれど、澄江堂が馳け出してから少し怕くなつた。それにまだ肩先きにあんまが薄暗く取りついてゐる。――
「大丈夫か、あんまさん。」
「ぴりぴりと來る奴はあぶなうござんすが、まだごろごろくらゐでは大したことはありません。」
「だんだん烈しくなる。……」
「しまひにぴしつと來ます。そいつは恐いが……」
雷鳴が次第に近くなつた。雨は底ぢゆうに溜つた。池の水があふれた。
「もう止すよ、君!」
予はあんまを止めてもらつた。そして、「君はこの部屋にゐても大丈夫かね。」とさう尋ねた。
「なあに雷くらゐは――」
予は應接間へ行くために庭の雨の中を走つた。應接間には松村さん、そのお孃さんが、もう避難してゐた。澄江堂も神妙に椅子によりながら、酷いかみなりだなあと言つて、氣がついたやうに、
「君、あんまはどうした。」
「置いて來た。」
予は椽側に泰然と坐つてゐた先刻のあんまさんの姿を、勇勇しく思ひ返した。
「置いて來たは驚いた。……」
松村さんもびつくりしたやうな顏をした。
「かあいさうに――」さう言つて、女中にあんまさんをつれて來ておあげなさいと言ひつけられた。
「あんまは大丈夫だと言つてゐましたよ。」
「でもね、こんなに降つてゐるんですもの。」
お孃さんもさういふ。が、かみなりはやまなかつた。稻光りがするごとに松村さんのお孃さんが、
「おかあさま、大丈夫?――。」
怕さうにさう言つた。
晚、松村さん、お孃さん、大學へ行つてる坊ちやん、澄江堂の四人で散步をした。大學ヘ
行つてゐて坊ちやんはをかしいと予は松村さんに言つた。松村さんと予との間に風月論が出た。澄江堂は松村さんに議論を吹きかけた。松村さんは穩やかな人である。(八日、八十度)
×
はじめ澄江堂と襖合せではおたがひに仕事の都合がわるくないかと思つたが、一しよにゐると澄江堂といふひとはよくできた人物だと思つた。却つて襖どなりでお茶にしやうかとこちらで言ふと、又、向ふから少し步かうかと言ひ、すこしも氣が置けなかつた。晚、予は予の規則をまもるために九時半には床へ這入つたが、澄江堂は應接室へ行つてかへつてくるのにも、靜かに雨戶をあけて歸つた。
「また客か?――」
さう寢床から聲をかけると、
「眼がさめたのか。――」
と言つた。
「いや・まだ起きてゐたのだ。よくお客があるな。」
澄江堂は間もなく仕事を初める。……予はねむるのである。こんな風に暮しが反對であつたが、そのもたれが無かつた夜中であつた。
予が厠へ椽側づたひにゆくと、澄江堂が椽側にあるお湯を取りに出るのと一しよであつた。兩方でびつくりした。
「わあ――」
「ああびつくりした。」(九日、七十八度)
×
秋ぜみの明るみ向いて啞かな[やぶちゃん注:「啞かな」は「わらふかな」と読む。]
松村みね子さんが咋夜二階の段梯子をふみはづして、足のゆびを傷められたと女中が言つた。そこで一句、
草かげでいなごがひとり微笑うた[やぶちゃん注:下句は「うすわらうた」か。]
澄江子も和歌一首をしたゝめ、お見舞ひのかはりに持たせる。――晩、二人で松村さんの部屋へはじめて遊びにゆく。(十日、八十度)
×
朝、散步してゐると美しい西洋人の姉妹が別莊道から下りて來た。二人とも樂譜を持つてゐる。ひとりは藍色で妹は純白な服を着てゐる。姉の肩つきは富士山によく似てゐた。えりくびは乳のやうに白かつた。
この旅館の應接間は客がみんな食前とか食後には、よく出て來て椅子に坐つた。三年つづけて挨拶をしてゐたが、その五十がらみの人の好い顏の客が醫學博士であることや、白足袋でゴードを喫むのが齒科の先生であることや、毛糸のジヤケツを著てゐるのが千葉の地主であることや、三人のお孃さまをつれてきてゐるのが田端の地主であること、また每年のやうに演說會の事務を取りにくるのがレヴエヂヤトフに似てゐることや、朝から賑やかに若い妻君と出步いてゐるのが神奈川の金持ちであることや、その他の人人がみんな應接間へ坐つては休んでゐた。予は誰にも馴染みになれなかつた。[やぶちゃん注:「ゴード」不詳。「ゴルフ」のことか? はたまた、テニスの「コート」? 或いは葉巻の銘柄? 判らん! 「レヴエヂヤトフ」不詳。]
齒科の先生は輕井澤の金棒引きで、土地と別莊をもつてゐた。そして談たまたま輕井澤のことに及ぶと、昂然として言つた。
「輕井澤にはもう土地なんてありませんよ。」
夕方、澄江堂と散步しに出て射的をした。かれは二つパツトを落した。予も同樣二つ落した。予は生れて鐵砲を手にもつたことが初めてであつた。
「このつぎは五つの内四つまで落す自信はあるがなあ。――」
この前さう言つた澄江子は、たつた二つしか落せなかつた。(十一日、八十度)
×
朝子の帽子を二つ、マントのやうな毛糸編みのちやんちやんを二枚、レースを一丈、それだけを買つてかへりかけると、れいの裏門の女中部屋でまたお雪が唏いてゐた。予はすぐ神經質ですぐ對手に應へる顏の番頭を思ひ出した。每年の老番頭のかはりに新しく來た番頭であつた。老番頭の仕事はいくらか浮いて氣の毒であつた。時代はこの三千尺の山の上の旅館の上にまで、その餘勢をもつて訪づれてゐた。[やぶちゃん注:「唏いてゐた」「ないてゐた」と読んでいよう。「唏」は「なげく」「かなしむ」以外に「すすりなく」の意がある。]
室へはいると澄江子はすぐ起きて出て、
「ああよく寢た。」と又言つた。そして、
「今夜は徹夜ぢや、すこし瘦せたかな。」
と、その頰へ手を持つて行つた。予が來てからも少し瘦せたやうに思はれた。
「お雪がまた泣いてゐたよ。」
澄江堂は不愉快な顏をした。その不愉快さは次第に憐愍の表情に變化つた。戶板の方を向いてしくしくと泣いてゐるのが、予に鬪係のないことだけに哀れを催した。
「ああいふぼんやりした顏といふものは憎み出したらきりもなく憎くなる顏立ちだが…」
「さうだよ、だから可哀さうだよ。」
澄江子はさう言つた。
二人とも庭へ出た。澄江子はそこにある高い楓の木の枝移りにするすると木登りをはじめた。何か腹が立つたやうにである。
晚、マンペイホテルヘ茶を飮みに行つた。
食堂の電燈がいつもよりも數多く點れてゐて、音樂が夜色を縫うた植込みの中から起つてゐた。
「何かあるんだな今晚は?――」
「さうらしいね。」
サロンに集つてくる人達ち[やぶちゃん注:ママ。]は、西洋人もさうだが、日本人もつくりが派手らしく見えた。肌を露(む)いた西洋人が食堂の方へでかけるときに、サロンにゐる日木人の娘や夫人にあいさつをして行く。……あれらはみな知り合ひと見えるな。しばらくして今喪はダンスがあるので、宮さまもおいでだといふことであつた。二人はぽつ然[やぶちゃん注:ママ。]として坐つてゐたが、不調和な空氣を感じた。
「出やう。――」
二人は同時にさう言つて、玄關わきの美しい西洋人の間をすりぬけた。
「輕井澤では星が少し大きく見えるよ。」
さう言へば星が大きく見えた。これまで氣がつかなかつた。――宿の應接間に松村さんが居られた。どちらへ?――マンペイへ行つて來ましたと予はこたへた。(十二日、八十度)
×
二三日上らなかつた正面の噴水がけふから又上つた。刈つた芝が美しい。百合はみんな凋れて了つた。ばらばらと通り雨があつたあとに、全く秋の半ばのやうな凉風が吹いた。
夕方から碓氷峠の上へ月を見に行かうといふことになり、松村さんとお孃さん、旅館の主人、澄江堂と予とが自動車に乘つた。峠へは登り道ばかりで、松村さんは少し蒼い顏をして、
「恐うございますね。」と言つた。
お孃さんは十七であるのに、お母さんにしつかり抱きついてゐた。自動車はげつくりとはずみを食ひながら、樹の間から見える月の山峽を登つて行つた。屛風に描き分けた峽の道を指呼の間に上るやうな氣がした。
碓氷村は峠の頂に黑ずんだ屋根をならべ、その低い庇に四隅に紙房のある古風な切子燈籠を軒ごとに吊してあつた。けふは月遲れのうら盆の日である。
「あの燈籠はいいなあ。――」
自動車から下り立つた澄江堂は、仄暗い明りにやつと見分けられる家の中を覗き込みながら言つた。十二三の女の子がらんぷの下で何かの本を讀んでゐるのが、うす暗いので同じ家内でもずつと遠くのやうに見えた。
「賴んだら吳れないかね。」
燈籠の骨と紙とが四邊(あたり)の荒い風色と關係があるやうにも思はれた。暗さになれるとその燈籠を吊した庇の下に、何かの葉の硬い石菖のやうな草が磊落たる石の間に蓬蓬と茂つてゐた。
熊野權現へ參詣した。
松村さんもお孃さんも權親さまの石段の下で羽織を着た。見晴臺へ行くと、妙義山一帶の山脈が煤まみれのむら雲の中に、月の片曇りをあびながらどんより重疊してゐた。茫茫たる歲月を封じ込んでゐるやうで、むしろ騷騷しい挑んだ荒凉たる景色であつた。
二三人の西洋人が七輪に炭火を起して、お茶をあたためながら、ベンチに同勢らしい二三の若い娘さんたちと何か話してゐた。こんな景色は繪よりも文章よりも音樂に近いかなあと澄江子が言つた。
「そんなにおさむくはございませんね。」
松村さんは羽織着のほつそりした姿で、旅館のあるじとさう話してゐる。――予はうちの朝子が乳を吐いたことや、ひろちやんの耳のおできや、けふ來た手紙でうちのものの乳にこりのできたことなどを思ひ浮べた。雲は北方へ吹きよせられ東方の山道が見えて來た。雲がないので刷いだ[やぶちゃん注:「はいだ」。]山峽は靜かであつた。
「あれが暴れ出したら大變だな。」
淺間山はこんもりと象のやうに跼んで[やぶちゃん注:「かがんで」。]、どこか遠方で鎖がつないであるやうな氣がした。煙は上州へながれてゐるので見えなかつた。輕井澤の町もすぐ眼の下に見えた。
見晴臺から茶店へ行つた。黑い瘦せた猫が圍爐裏にゐたが、松村のお孃さんが呼んだのですぐその膝の上にあがつた。が、また思ひ返して圍爐裏のへりへ行つた。「あひにく力餅がみんなになりましてな。」無器用な口つきで、卒氣なく茶店の老人が言つた。すこしくらゐなら今から拵へると言つた。べつに食べたくもなかつたが待つことにした。――
吹きぬけの山風が裏の山脈から通りすぎた。
「お雪といふのはどんな女中でございますの。縹緻のいい子ですか?――」[やぶちゃん注:「縹緻」「きりやう」。「器量」に同じ。]
「いや、あれとはちがひます。」
れいの、お雪の話が出たのである。――旅館のあるじは、あのお雪はおしやべりで困る、それに沓掛のカフエにもゐたことがあると言つた。予の哀れは變らなかつた。お雪は白いゆかたを着け、すこしおしろいのある顏で、そして納戶に向いて泣いて居ればいい……さう思つて笑つた。
餅をたべ茶をのんで、峠を下りはじめた。明るい脚光に浮き出された山中に多い白い蛾が紙きれのやうに片片として舞うてゐた。
「かへりは少しもこはくはありませんかね。」
松村さんがさう言つた。坦坦として辷つて行つたからである。
「乘せてくれんか?」闇の中で、旅館のあるじの知り合ひらしいのが、これも月見のかヘりらしく道端から聲をかけたが、自動車は默つてしづかに辷つて行つた。(十三曰、八十度)
×
昨日、けふ發つことにしておいたが、夕景近くなると名殘り惜しい氣がした。しかし子供のことが氣になつて仕方がなかつた。
晚食後に疊の上に何か落ちてゐたので、觸つて見ると何かの骨であつた。
「鯛のほねたたみにひろふ夜さむかなはどうぢや。」
予はさう言つて澄江堂に示した。
「なるほど、それはうまい!」
十一時五十幾分だから夜はゆつくりひまがあつた。松村さん一族がお別れに散步いたしませう、來年までおあひできませんからと言つた。澄江子を加へ五人づれであつた。町の中をひと𢌞りした。
「ことしは何かさびしいやうですね。」
と、松村さんが言ふ。全く去年とくらべるとそんな氣がした。踏切りから裏通りの別莊の前通りへ出た。風月を樂しむといふ話が出た。テニスコートの通りへ出ると敎會堂からさんびかが起つてゐた。風は秋の十月くらゐの凉しさであつた。
「お國に入らつしやるとお年を召すやうな氣がいたしませんか?――」
松村さんがさう言つた。
「ええ、それは、そんな氣もしますが……」
散步から歸ると、遲いから見送りをおことわりした。澄江堂と例の應接間に居殘つた。十一時十分過ぎに車が來てみんなに別れた。(十四日、八十度)
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