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2022/03/07

狗張子卷之五 男郞花

 

[やぶちゃん注:挿絵は今回は底本(昭和二(一九二七)年刊日本名著全集刊行會編「同全集第一期「江戶文藝之部」第十巻の「怪談名作集」)のものをトリミングしたものを、以下に挿入した。これは合成したのではなく、ページを内側に折り曲げて接近させて二幅を合わせたものである。]

 

Nanraukuwa

 

  ○ 男 郞 花(なんらうくわ)

 越前國朝倉家の扈從(こしよう)小石彌三郞は、顏かたち、世にすぐれ、知惠、かしこく、心だて、物しづかに、情けの色、深く、愛らしき者なりければ、傍輩(はうばい)、皆、いとをしき人に、おもひけり。

 家の足輕大將洲河藤藏(すがはとうざう)とて、武篇、かくれなき者あり。彌三郞を思ひこめて、やるかたなくおぼえて、

  身にあまりおき所なき心ちして

    やるかたしらぬわが思ひかな

かく、思ひつゞけて、なぐさむるに、心、只、空(そら)にのみあくがれ、せんかたなく、色に出つゝ、たよりあるかたに賴みて、文、つかはしける。

「 蘆垣(あしがき)のまぢかき中に君はあれど

       忍ぶ心や隔(へだて)なるらん

思ひ堪(たへ)なば 中々 しぬばかりなり」

と、書きつかはしければ、彌三郞、これをよみて、限りなく心に染(しみ)て、あはれにおぼえつゝ、返り事せしことの葉のおくに、

  人のため人め忍ぶもくるしきや

    身獨りならぬ身をいかにせん

と、いひつかはしければ、藤藏、いよいよ、心まどひ、思ひ亂れ、今は、ひたすら、色に出《いで》つゝ、

  いかにせん戀ははてなきみちのくの

      忍ぶ斗《ばかり》にあはでやみなば

  もらさじとつゝむ袂のうつり香を

      しばし我身に殘すともがな

神にかけ、命にかけて、書きつかはしけるに、彌三郞、深き情(なさけ)の色に誘はれ、その夜、忍びて、逢ひにけり。

 千年(ちとせ)を一夜《ひとよ》にかたりあかし、名殘(なごり)のきぬぎぬ、別れて、出《いで》たり。

 藤藏、かくぞ、よみける。

  ほどもなく身にあまりぬる心地して

      おき所なき今朝の別れぢ

彌三郞、聞(きい)て、返し。

  別れゆく心の底をくらべばや

      歸《かへる》たもとととまる枕と

『又、いつ。』といふ契りも、さだめず。こと更、今の世のありさま、靜ならぬ折ふしなれば、

「けふありて、明日(あす)をもしらず、今朝(けさ)の別れや、限りならまし。」

と、

「そのおもかげのしたはるゝも、つきせぬうらみは數々(かずかず)なり。」

と、たがひに泣しほれたるばかりなり。

 次の日、軍(いくさ)おこりて、朝倉義景、人數《にんず》を出《いだ》して、臼井峠に馳せ向(むかは)る。

 武田方、せり合ひ、たゝかふに、洲河藤藏、うたれしかば、彌三郞、大《おほい》に悲しみ、

「命いきても、何《なに》せん。」

とて、軍法(ぐんはう)を破り、旗本よりして、只、一騎、かけ出《いで》つゝ、打ち死にしけるこそ、あはれなれ。

 二人のかばねは、味方に取返(《とり》かへ)し、日比(ひごろ)わりなくかたらひし事、家中《かちゆう》にかくれなかりしかば、人々、あはれがりて、ひとつ塚に、埋みけり。

 日を經て、その塚より、名もしらぬ草の生出《おひいで》て、その莖立(くきだち)たるに、夏にいたりて、花、咲きたるを、

「是は『男郞花(なんらうくわ)』とて、世にすくなき草花なり。さだめて、彌三郞・藤藏二人の亡魂のしるしに、生ひたる物なるべし。」

とて、なさけをしる人は、根をわけて、庭にうゑしより、世に、その草のたね、おほく成《なり》にけり。

 

[やぶちゃん注:真向正面から若衆道を扱った、了意にしては比較的珍しいものである。個人的には好きな一篇である。

「男郞花(なんらうくわ)」この漢字名で「をとこへし(おとこえし)」として実在する。双子葉植物綱マツムシソウ目オミナエシ科オミナエシ属オトコエシ Patrinia villosa である。当該ウィキによれば、オミナエシ科Valerianaceaeの多年草で、同属の知られた「女郞花(をみなへし(いみなえし))」(オミナエシ Patrinia scabiosifolia )に姿や形はよく似ているが、花の色が『白く、姿は遙かに逞しい』。草体『全体にわたって毛が多い。初めは根出葉が発達するが、茎は立ち上がって高さ』六十センチメートルから一メートルに『達する。根出葉は花が咲く頃には枯れる』。『葉は対生し、羽状に深く裂けるか、あるいは縁に鈍い鋸歯が並ぶ』。『花期は』八~十月で、『花序は集散花序で、多数の花を含む。そのような花序を散』った『房状に付ける。花冠は先端が』五『つに裂け』、直径四ミリメートル、『果実は倒卵形で長さ』二~三ミリメートルで、『周囲には同心円状に広い翼が発達する。これは本来は果実基部の小苞で、それが果実を取り巻いて発達したものである』。『果実に広い翼がある点は奇妙に見えるが、本属ではこれはあるのが普通で、オミナエシは例外的にこれを持たない。その中でも本種はよく発達する方である』。『和名はオミナエシに対立させる形で、より強豪であることを男性にたとえたものである。最後のエシは元来はヘシであり、またヘシはメシに変化する例もあり』、『そのため本種の別名としてオトコメシもある。漢名は』敗醬(はいしょう)『で、これは腐敗した味噌を意味し、本種を乾かすと嫌な臭いを発することによる』。『この悪臭については、むしろ』、『生け花を挿した後の水で』、『強く臭うとも言う』。『オミナエシ・オトコエシに共通するエシについては、ヘシが本来の形で』、漢名「敗醬」が『なまったものであるとするのが有力とされる』。『この和名には漢字で男郎花を当てる例もある』。『他方、本来の名がオトコメシであったろうとの観測もあ』り、一説では、『オミナエシは女飯であり、これは黄色の花を粟飯に見立てての名であり、それに対し』、『本種の白い花を白飯に、白米をたたえてオトコメシとしたものであると』する。『いずれにしても、この両種が似ており、本種の方が全体に太く、毛深く、葉の裂片も大きい、要はごつい方が男との命名である』ことに変わりはない。『他に別名としてチメクサも取り上げられている』。『また、地方によってトチナの名も知られる』。『さらに方言名としてオオトチ、シロアワバナも記録がある』。『平安時代にはオホツチやチメクサが使われ』、『江戸時代には本種とオミナエシを明確に分けず、漢名』の敗醬の『白花・黄花としていたこともある』。『日本では北海道から九州までと、それに琉球列島で奄美大島から知られる。国外では朝鮮と中国、シベリア東部に分布している』。『ちなみに奄美大島の分布に関しては初島』『などには記録が無く、それどころかオミナエシ科の項目すらない。つまり、これは琉球列島で唯一のオミナエシ科の分布と言うことになる』。『草地や林縁など、山野の日当たりのよいところに生育し、よく見かける普通種である。また』、『造成地によく出現する』。『本種は根本から地上に長い匍匐茎を出し、その先端に新たな苗を生じる』。但し、『草むらでは苗が地上に届かず、浮いた状態で枯死する例が多い。また』、『株は花を咲かせると』、『しばしば枯死する。そのために本種は道路脇など攪乱の多い環境によく出現する』。『ほぼ同型のオミナエシが地下の根茎から新たな株を作り、より安定した環境で長く同一箇所に出現するのとは対照的でもある』。『オミナエシ属の植物は日本に』六『種ばかりあるが、本種以外は黄色い花を付ける。形態的に似ているのはオミナエシである。大きさや姿形には似た部分があるが、花が白く、毛が多いことなどで見た目の印象はかなり異なる。ついでに果実に翼がある点でもはっきりと違う』。但し、『この両者には雑種が出来る。これをオトコオミナエシ Patrinia×hybrida Makino という』。『日本産の本属の種のうちで、本種のみが』四『倍体であり、他のものは全て』二『倍体であることがわかっている。核形に関してはオミナエシに近く、これが』二『倍になったものに近い。本種は中国大陸で種分化した後』、『日本に入ったものと推定されている』。『薬用植物としては』中国で『古くから知られたもので』、「神農本草」(五〇〇年)に既に『記述が見られる。消炎や排膿、できものや浮腫などに効果があるとされた』。但し、研究によれば、「敗醬」は『確かに本種とされてきたが、実際には本種には薬効はないとする。他方、オミナエシには確かに効果があり、薬効成分も知られている。また』、「敗醬」についても、『中国では別の種に当てられているという』とあり、『他に、飢饉の際に葉を食用にしたという』ともあった。

「越前國朝倉家」終盤で「朝倉義景、人數を出して、臼井峠に馳せ向る」とあるので、当代当主は越前朝倉氏最後の当主朝倉義景(天文二(一五三三)年~天正元(一五七三)年:彼は信長包囲網から一転、「一乗谷城の戦い」で敗走し、従兄弟朝倉景鏡(かげあきら)の勧めで逃れていたことろ、天正元(一五七三)年八月二十日早朝、当の景鏡が織田信長と通じて裏切って襲撃、自刃して朝倉家はここに滅亡した)である。但し、私には「臼井峠」が判らない。江本裕氏の論文「『狗張子』注釈(四)」(『大妻女子大学紀要』一九九九年三月発行・「大妻女子大学学術情報リポジトリ」のこちらから同題論文の総て((一)~(五))がダウン・ロード可能)では、これを碓氷(笛吹)峠とするのであるが、何の戦さに義景が兵を出したのか判らない。これが天文一五(一五四六)年十月の「碓氷(笛吹)峠の戦い」だとすると、おかしい。この時、彼は未数え十四でしかも、義景が家督の継ぐのは天文十七年だからである。よく判らぬ。

「小石彌三郞」不詳。

「洲河藤藏」不詳。

「身にあまりおき所なき心ちしてやるかたしらぬわが思ひかな」原拠や類歌等については前掲の江本氏の注に詳しいので、そちら参照されたい。もともと観念の跳躍にない短歌は押し並べて大嫌いで、歌の注釈を附けるのは、実は好きでないからである。特にこれらは了意のオリジナルなものではない点で、ますます面白くないのである。若衆道それだけをしみじみと感じればよく、歌は寧ろ、若衆道の理解を異性愛の相似形に歪曲させ、お手軽に理解・展開させるためだけの小道具に過ぎないものであり、ますます下らぬあざとい使い方であるとしか、感じられないのである。悪しからず。なお、私は真正の異性愛者であるが、同性愛に対しては何らの違和感や差別意識を持っていない。というか、私は若年から壮年に至るまで、真正の同性愛者の多くの男性たちから、大いに好かれた人間であったのである。

「空にのみあくがれ」ある相手を「あくがる」(憧る)心は、肉体を放れ、空を漂って、遠いところにいる恋人にも逢えるというのが、古く平安の時代からずっと、民俗社会の伝統であった。「源氏物語」の「夕顔」で、昼間、空をぼんやり眺めている夕顔に、「魂があくがれ出でてしまうよ。」と注意するシークエンス(彼女の不吉な死の伏線)があるのは、とみに知られる通りである。]

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