毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 錦貝(ニシキガイ)・イタヤ貝 / イタヤガイ・ヒオウギ
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。左上方に「空脊貝(ウツセカイ)」の図・キャプションの一部が侵入しているので、マスキングした。]
いたら貝【一名「板屋貝」。又、「杓子貝(しやくしがひ)」。「半邉貝」【清人、漢賈、筆談。】。今の世、用ゆる所の「貝杓子」、是れなり。多く薩州より出づ。】
錦貝(にしきがい) 五種
憓貝(ゑがい)【「海扇」一種。別物。】
【又、「いたや貝」。】
「六々貝合」和哥
左十一番「いたや貝」
「新六帖」
あやしくも浦珍らしき板屋貝
笘(とま)ふくあまの習ひならずや
信實
[やぶちゃん注:「笘」は音「セン・チュウ」で「札」・「鞭」の意であって、「苫」の誤字。]
「六々貝合和哥」
左七番 錦貝
こきまぜに色をつくして※る貝は
錦の浦と見ゆる成けり
[やぶちゃん字注:「※」は「寄」の異体字で(うかんむり)の下が「竒」となっているもの。これ(「グリフウィキ」)。このページでは、他も、この字体で書かれているが、面倒なだけなので、この注は以下では省略する。]
和田氏藏。
數品。天保五午年九月一日、眞寫す。
[やぶちゃん注:六個体が描かれているが、最上部の放射肋が太い一個体は、
斧足綱翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科イタヤガイ科イタヤガイ属イタヤガイ Pecten albicans
で、下方の五個体は、
イタヤガイ科Mimachlamys 属ヒオウギ Mimachlamys nobilis
でよいか。
前者イタヤガイは当該ウィキによれば、『和名の由来は、木の板で葺いた家屋・板屋。平らなほうの殻が板で葺いた屋根のよう』に見えることにより、『別名』を、古くからこの種の右殻に木の柄を縛り付けて柄杓に用いたことから『ヒシャクガイ』とも呼ぶ。『日本国内では北海道南部から九州。ほかに朝鮮半島、中国沿岸』に分布する。『右の殻は左の殻よりも大きく、強く膨らむ。白色または黄白色。内側は白色、しばしば暗褐色の斑を持つ』。『これに対し左の殻は扁平で赤褐色。殻長』は十センチメートルほどで、八~十『本の放射肋』を持つ。軟体部は百に及ぶ『眼を持つ。雌雄同体』。『水深』十~八十『メートルの砂底または砂泥底に生息』し、『平らな側を上に向けて海底の砂の上にいる。敵に襲われると殻の隙間(前後の端、腹縁部)から水を噴き出して逃げる』。『植物プランクトンなどを濾過して摂食する』。『食用』とし、『ホタテガイやヒオウギのように、大きな貝柱を賞味する。焼き物、煮物、フライ、干物などが美味』。『鹿児島県ではツキヒガイ』(イタヤガイ亜科ツキヒガイ属ツキヒガイ Amusium japonicum :右殻が黄白色であるのに対し、左殻は鮮やかな深紅色を成す。和名の「月日貝」はこの色の対称性に由来する)『に混獲されることがあるが、ツキヒガイに比べて小型で知名度も低く、市場にはほとんど出荷していない』。『伊勢湾でも底曳き網などで漁獲するが、水揚げは少ない』。『本種の漁は、大量発生した際にこれを漁獲しつくすという形で行われるため、従来』、『資源管理が困難であった。島根県では本種の天然採苗が可能であると分かったことから』、一九七九『年から養殖の対象となっている。養殖用稚貝は天然採苗により入手』する。『ほかに、貝杓』以外に『灯明皿に利用された実績』があるとする。
後者ヒオウギも当該ウィキ(そこでは「ヒオウギガイ」と標題する)を引くと、『アッパガイ、バタバタ、チョウタロウ、虹色貝などの別名、緋扇貝の表記がある』。『殻長は』十センチメートル『ほどで、形状は扇形。殻頂の前後に耳状突起がある。右殻の前方の耳状突起の直下には櫛の歯状に切れ込みがあり、ここから足糸を出し、右の殻を下にして石や岩に固着する。貝殻の色は赤、橙、黄、紫などで』、一『個体は単色だが、個体によって変異に富んでいる。ただし、野生個体は褐色の個体が多いようである。人工採卵して養殖を行うと、遺伝的に固定した様々な色彩変異個体を得ることができ』、『鮮やかな黄色や紫色の個体に高い商品価値がつけられて、よく養殖されている。和名は、貝の形や色を、古代に』ヒノキ『材の薄板を束ねて作った扇である』檜扇に『例えたものである』。『日本の房総半島以南に分布し、干潮線帯から水深』二十メートル『くらいまでの岩礁に生息する』『ホタテガイ』(イタヤガイ科 Mizuhopecten 属ホタテガイ Mizuhopecten yessoensis )『と同じイタヤガイ科』Pectinidae『であるが、岩礁に足糸によって強固に固着しているため、危険が迫ってもホタテガイやイタヤガイなど砂泥底生のイタヤガイ科の貝と同じように、二枚の貝殻を開閉し水流を起こし泳いで逃避することは出来ない』。『主に真珠養殖の副産物として養殖されている。アコヤガイ』(斧足綱ウグイスガイ目ウグイスガイ科アコヤガイ属ベニコチョウガイ亜種アコヤガイ Pinctada fucata martensii )『が板状の網でサンドイッチ状にはさんで養殖されるのに対し、内部が何段かに仕切られた円筒形の網籠で養殖されている。真珠筏にて稚貝から直径』十センチメートル『程度になるまで成長させ、出荷される』。『三重県志摩市』では、『英虞湾の真珠筏で養殖されている。尚「虹色貝」(にじいろがい)という名は志摩市内の漁協で商標となっている。他に、焼くと貝が開いたり閉じたりを繰り返すことから「アッパッパ貝」とも呼ばれている』。なお、二〇〇五年には三ヶ月ほど、『麻痺性貝毒(有毒渦鞭毛藻の一種の摂取による毒素蓄積)のために出荷の自主規制が行われ』たことがある。『島根県』の『特に隠岐諸島』や、『愛媛県愛南町』でも『養殖されており、貝殻の加工品が土産物として売られている』。『高知県香南市・中土佐町』などの高知『県内では「長太郎貝」(ちょうたろうかい)として食用』とされており、他に『大分県佐伯市、特に旧蒲江町で養殖されている』。『貝柱を食用とする。そのまま焼いたり、刺身、ステーキ、お好み焼きの具などに使われたりする。また』、『主に加熱しての食用であるが』、『ヒモ(貝ヒモ)と呼ばれる外套膜も「ウロ」と呼ばれる暗緑色の中腸腺も食べられるが、中腸腺は他の部位よりも貝毒が蓄積され易い』ので注意が必要である。『なお、ホタテガイ類の「ウロ」にはカドミウム(Cd)や貝毒が蓄積される』『性質があるため』、『食用にはされない』。『従来、貝柱を食用とした後は捨てられていたが、貝殻の美しさに着目し、加工して土産物等にしているケースが』各地で見られる、とある。
「いたら貝」「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のイタヤガイのページの「地方名・市場名」に「イタラ」「イタラガイ」として、『北海道函館、千葉県君津市、大阪府泉佐野、山口県、香川県、大分県』・『参考『日本貝類方言集 民俗・分布・由来』(川名興 未来社)』とあり、また、「インタラガイ」「インタラゲ」として、『大分県蒲江、鹿児島県』。『参考『日本貝類方言集 民俗・分布・由来』(川名興 未来社)』とし、「イタンガラ」として、『香川県坂出市』・『参考『日本貝類方言集 民俗・分布・由来』(川名興 未来社)』と載る。これは柳田國男の方言周圏論的な分布として興味深い。「イタラ」は「板平」の縮約か。
「半邉貝」杓子貝との親和性を感じる漢語ではある。
「清人、漢賈、筆談」清国の漢人の商人との筆談で得た漢名ということか。
「憓貝(ヱガイ)」「憓」は音「ケイ」で「従う・服従する・従順なさま」の意だが、漢籍や本邦の本草書では見たことがない。
『「海扇」一種。別物』これは恐らくはホタテガイ・アコヤガイ、さらにはシャコガイ類(異歯亜綱マルスダレガイ目ザルガイ上科ザルガイ科シャコガイ亜科 Tridacnidae)を広汎に指しているか。この辺の混淆は、既に、寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」でも見られるからで、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 海扇」の本文及び私の注も参照されたい。
「六々貝合」「六々貝合和歌」。元禄三(一六九〇)年序で潜蜑子(せんたんし)撰。大和屋十左衛門板行。国立国会図書館デジタルコレクションで視認出来る。以下の和歌はここ。
*
左十一 板屋貝
「新六帖」
あやしくもうらめつらしきいたや貝
とまふくあまのならひならすや 信實
*
とある。「新六帖」は「新撰和歌六帖」(しんせんわかろくぢょう:「新撰六帖題和歌」とも呼ぶ)で寛元二(一二四三)年成立。「日文研」の「和歌データベース」のこちらで確認したところ(01159番)、
*
あやしくそうらめつらしきいたやかひとまふくあまのならひならすや
*
と、ちょっと違う。「信實」は鎌倉時代の公家で画家・歌人であった藤原信実(安元二(一一七六)年頃~文永三(一二六六)年以降)。
「左七番 錦貝」ここ。
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左七 錦貝
こきませに色をつくしてよる貝は三条院
にしきのうらとみゆる成けり 御製
*
「三条院」は三条天皇(在位寛弘八(一〇一一)年~長和五(一〇一六)年)。冷泉天皇第二皇子で、花山天皇の異母弟。一条天皇の次代。
「和田氏」不詳。
「天保五午年九月一日」一八三四年十月三日。]
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