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2022/03/29

萩原朔太郎 未発表詩篇 無題(山の森の中に住んで居ると……)

 

 

 

山の森の中に住んで居ると

くさつた食物がきらひになる

うまい羊の肉がたべたいね

まつ白い手袋をはめこんで

いちばん上等のお孃夫人さんたちと

まい朝每朝なかよしで散步がしたいてゐたい

さくらがいやなもしかして日蔭のすつかり雪がとけだしたら

ほんとにわたしをたづねておくれよ

みるくのさらだ皿にうぐひすなのさらだをつけますよ

包丁なんかぴかぴかさせて

てーぶるのすみからみがきたてるんだ

ああどんなにおれがやつれたか→やつれはてたか→かわいそうな奴だか〉やつれはてたかゝしまつたか

どんなにおれがかわいそうな小供だかになつたか

そしてどんなにおれはまいにち二階の窓によりかゝつて

遠い森のはづれをながめてゐる

 

[やぶちゃん注:底本は筑摩版「萩原朔太郞全集」第三巻の「未發表詩篇」の校訂本文の下に示された、当該原稿の原形に基づいて電子化した。表記は総てママである。

 ここで編者は他でやっていない許されない掟破りの改変を行っている。編者注に、『上欄本文の題名は別稿によった』とあるのである。則ち、本文に採用したものは御覧の通りの無題であるにも拘わらず、後に示す――草稿(別稿)であるところの標題「森の中から」を、ここの校訂本文に、無理矢理、配している――のである。

 その理由は、恐らくは、注の続きの部分が匂わせている、則ち、『また以上「一の眞理」』と、『「(ほんとにさびしいこのへんの森の中では)」』及び後に私が示す別稿の『「森の中から」の三篇は、同一の原稿用紙に書かれている。』からだと思うのである(リンクは私のを直接張った)。則ち、上に掲げた詩篇に比して、削除が異様に多く、整序性から見て(語やフレーズの決定度が著しく低い)、順序としては、上記の決定稿の、前の草稿(別稿)の一つと考えられ、標題だけを剽窃して(言葉が悪ければ「借りてきて」)題名だけを合成し、三篇が同時期に――きれいに――同一原稿に――後ろの二篇が無題詩というのは見た目のバランスが悪いとでも思ったか――というような仮想理想デッチアゲ詩稿の並びとして校訂本文で示したかった、或いは、そのような同時期に一気に書かれた親和性の強い三篇であることを――何としても――読者に――並びで――特異的に示したかったのだ、と推定出来るからである。しかし、それは編者の大きなお世話ということになる。この注がなければ、或いは、読むのが面倒な読者が校訂本文だけを読んだなら(未発表詩篇では、削除が多いから、そういう読者は多いと推定出来るのである)、このあり得ない「イジり」をしたことさえ、気づかないだろう。それは詐欺である。

 しかも、同全集の「未發表詩篇」では、今までこんな暴挙を一度もしてはいないのである。ここまでの本編集者は、草稿で別に題名を持つものがあっても、編者が校訂本文用に採用した最も整序された詩篇が無題であれば、無題のままにしてあり、注で――別な草稿に「何々」というがある――という旨の記載をするのが通例だったのである。研究者などにとっては何かと無題というのは困るだろうから、大歓迎なのかも知れないが、これは、明らかにここまでの徹底的に消毒殺菌する恐るべき筑摩版全集絶対凡例の掟から著しく外れる恣意的な驚天動地の禁じ手のおぞましい仕儀なのである。

 さて、その別稿を示そう。『草稿詩篇「未發表詩篇」』に、『森の中から』『(本篇原稿二種二枚)』として以下の一篇のみがチョイスされて載る(こんな人為改変を加えたのだから、もう一篇も示して欲しかったゼ)。同じく表記は総てママである。

   *

 

  孤獨

  森の中から

 

森の中に住んで居ると

くさつた食物がきらいになるよ

うまい羊の肉がくひたべたいね

まつ白い手袋をはめこんで

いちばんすきなものをくれるならひとならたちとなら

いつでも握手每朝仲よく散步がしてゐたい

山のさくらがさいたら んぼがあかくなつたら

きつとほんとにわたしをたづねておくれよ、

かききのこのさらだにうぐひすなの芹をつけますよ、[やぶちゃん注:「うぐひすな」の後の「の」は「と」の誤記であろう。]

包刀なんかぴかぴかさせて[やぶちゃん注:冒頭は「庖丁」の誤字。]

森の家の窓から 二階のてーぶるのすみからみがきたてる んだ

ああどんなに朝がまちどうだか

どんなに遊ギにうゑて居るか

しかし やつとおれの 心臓が 遠見鐘に[やぶちゃん注:「遠見鐘」は「遠眼鏡」の誤字であろう。五行後の「遠眼銀」も同じであろう。]

可愛いお前のさいさい顔がうつるとき

おれはきつとあそこの 物おきで 二階で

おれはまいにち二階にのぼつて

窓から ほん 遠ひしよんぼりと森のはづれをながめてゐる

おれの遠眼銀もしかしてお前のくるころに

おれは淚でいつぱいになつてゐるよ

床にうへに ごらんこのごろ

きつと神さま

   *

性懲りもなく、気がとがめたのか、編者注がまたしてもダブり、『本稿は未發表詩篇「一の價理」「(ほんとにさびしいこのへんの森の中では)」と同一用紙に書かれている』とやらかしてある。ゴ、ク、ロ、ウ、サ、マ、サ、マ、ダ、ゼ、――]

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