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2022/03/20

只野真葛 むかしばなし (45)

 

 度々いらせられし大名方は、出羽樣・秋本樣、大井樣は、わけて、かずしらず、いらせられし。周防樣・相模樣、其外も有し。わすれたり。出羽樣は、かくべつのことにて、いつも女藝者三人、役者兩人ぐらいめしつれらるゝ故、御馳走は上り物ばかりなるを、翌日は御挨拶の御つかひに、銀子七枚被ㇾ下るが例なり。いかほど嚮應[やぶちゃん注:「饗應」に同じ。]申上ても、損は、いかず、外は、みな、おふるまひ申上て、ことなりし。其(それ)二階立(たて)し時は南海樣とならせられし時にて有し。役者は冨十郞と、くめ三郞、めしつれられし。其時、「曾我の十番切」といふ事有(ある)を思めし付(つき)にて、「十番切」のけい物を、「くじ」にて出されしが、一番は「一ばんつゞら」、二番、「二ばん更紗のふろしき」、三番は「鈴とめん」なりしや、四番が「拍子木夜番」の心、五番は碁を打(うつ)盤なりし。久しき事にて、其間(かん)を、わすれたり。みな、おもしろきことなりし。十番が「緋ぢりめんの襦袢」にて有し【三番は「すゞ」と「めん」なりしや。六番は玉子一箱、七番は「せうとがき」、八番が諸入用なり。】。[やぶちゃん注:以上は『原頭註』とある。]

[やぶちゃん注:「出羽樣」「日本庶民生活史料集成」の中山栄子氏の注に、『松平出羽守外諸侯方が工藤家に出入されたことが書中に記されてあり、その豪華な遊びの様子が分る。真葛十五、六歳の時で伊達家仕えていた時代なので安永六、七年』(安永六年は一七七七年)『の頃と思われる』とある。この「出羽樣」は松江藩六代藩主松平宗衍(むねのぶ)。彼は安永六(一七七七)年十一月末に入道して「南海」を号した。

「秋本樣」は出羽山形藩第二代藩主で館林藩秋元家第八代の秋元永朝(つねとも)のことか。

「大井樣」ここは仙台藩下屋敷が現在の品川区東大井にあったことによる憚った工藤の仕えた主家である仙台藩の第七代藩主伊達重村であろうと思ったが、後で「屋形樣、御なりをねがはせられしこと有しが」というのが、重村であるから、違う。それ以前の藩主では、真葛の記憶にあるという点で合わないので、不詳。

「周防樣」既出既注の岩見浜田藩藩主松平康定である。

「相模樣」前にも出たが、不詳。

「曾我の十番切」「曾我物語」で、工藤祐経を討った後に兄弟が十人の人物と打ち合いをしたという伝承に由来する、所謂、「曾我物」の歌舞伎の外題の一つ。

「けい物」「景物(けいぶつ)」。あり対象に対して興を添えるもの、景品。珍しい芸や衣装・料理などを当てた。「せうとがき」はよく判らぬ。「兄柿」或いは「兄弟柿」かしらん。]

「此やうには、大名方、いらせらるゝに。」

とて、屋形樣、御なりをねがはせられしこと有しが、其頃は、ワは御殿へ上りて、翌年なり。上り物は、一切、御臺所へ御賴被ㇾ遊しが、

「三十兩かゝりし。」

といふことなりし。

 家内御目見仰付られし故、唐韻達者通詞(たういんたつしやつうじ)の子は、はじめより、四書五經を唐韻にて習しを、長庵、ちいさき時、築地門跡寺中に、かすかな「よみ物」先生、有しが、そこへつかはし、司馬を供につれて行しこと、有し。

[やぶちゃん注:「唐韻達者通詞」「日本庶民生活史料集成」の「唐韻達者」の注に、『漢学の音』(オン)『宋・元・清の中国音を伝えたもので、特に上手な人の意』とある。]

「先生の息子、少々、見榮心に、唐韻のまねをして聞せし。」

とぞ。司馬、かへりて、大きにわらひしを、父樣御聞、其息子の來りし時、

「先度(せんど)、つけつかわせし男は、唐人通詞なり。『そなたの唐韻が、ちがひし。』と聞し。是より、ならはるべし。」

と被ㇾ仰しかば、赤面しながら、弟子と成、折々、ならいに來りし。

 長崎者は「けんつき」といふ内、分(わき)て、司馬は、上手にて有し故、南海樣、御いでの時分も、めしいだして、「くめ壱」と、うたせて、御覽有し。

[やぶちゃん注:「けんつき」「拳(けん)」遊びのことであろう。二人が対座して、互いに右手の指を屈伸し、素早く出し、数を読んで、二人の伸ばした指の合計を正確に言い当てた者を勝とするもの。寛永(一六二四年~一六四四年)頃、中国人が長崎に伝え、その後、流行し、酒宴や遊廓の席などで行なわれ、負けた者に酒を飲ませたりした。長崎に伝えられたものを「長崎拳」「本拳」と称し、土地によって「大坂拳」・「薩摩拳」など、少しく形が変わる。さらに変化したものに「三竦(さんすくみ)の虫拳」・「石拳(じゃんけん)」・「狐拳」(庄屋拳・藤八拳)などがある(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。]

 其時、富十郞が着たりし、かたびら、何かしれぬ故、父樣、御聞なされしかば、

「越後より、糸を取よせ、京にて、そめて、織らせし。」

と、いひし。下に白さらし、中に緋ぢりめん、上にしまちゞみと、三重、かさねて、着たりし。

 ワ、十五、六になりても、ばゞ樣、子共のやうに思召、御兩親、分(わき)て、何の御心もなし。元長、藤九郞などは、

「こちの孃樣も、ちと、緣組、たづねられ、よろしからん。」

と、いひしを、母樣、たいこ持(もち)、きらい故、

「可愛そうに。そんなにはやく片付、子持に成(なる)と、何もならぬから、今、少し、樂をさせたがよい。」

と被ㇾ仰し。父樣は、たわむれながら、

「外へやると、來年から『ぢゞ樣』といはれるから、めつたに、娘、かたづけぬ。」

とばかり、御挨拶、いひたりし。兩人は、手もちなく、かへることなり。

[やぶちゃん注:「たいこ持」ここは、「人に諂って気に入られようとする言動をする者」の謂いであろう。]

 母樣は、ことに、御奉公が好(すき)にて、其身、奉公被ㇾ成ぬを、くやみてばかり、いらせられし故、終に奉公に、いだされしなり。『ため、あし。』と、思(おぼし)めされしことにはあらねど、他所(よそ)御屋敷なら、さげるも自由なれど、手前御屋敷の奧ヘ、十六の年、九月上りて有しに、ワは、いかなることにや、出(いで)はに、諸人、かわるがわる、あしらふ心の所へ、いつも、むくことなりし[やぶちゃん注:ここは底本は『諸人がわるくあしらふ心の所へいつもむくことなりし』であるが、どうも意味が今一つ通じないので、「日本庶民生活史料集成」の本文を採った。]。◦花々しきことばかり、見習いては、御殿(ごてん)は、さびしきよふ[やぶちゃん注:「やう」の誤記か。]にて、有し。

[やぶちゃん注:「ため、あし」よきことと思ってそうしたが「ため」に、逆に「あし」(惡し)き事態となったということか?]

 隣の惡だましいは、五百石のだんな故、たゞも暮されるし、一向、醫の道をば、素人同前、藥取も來ぬに、こちらの、はやるも、うらやましかるべし。父樣の袖を引て、

「是。そんなに、あくせくと、かせいでばかりくらすといふは、野暮だぜ。あすばれるだけは[やぶちゃん注:ママ。]、遊んでくらすが、得だ。」

など、こ惡知惠つけるが、得手物、

「それも、そうか。」

と、お腰がおちつくと、夫婦づれにて、道樂を仕こみ、めし物の仕立・風俗・言葉づかひまでが、日々にかわるを、ばゞ樣も、むかしは、はやり好(ずき)なりしが、『餘り、よいことでは、有まへ。』と、おぼしめす顏。母樣は、もとより、かたい事ばかり、得手の人、

「眞實(まこと)に、見るも、きくも、いや。」

と、おぼしめされし。見上りしこの惡隣、はじまりて、母樣、おもひの種、成(なり)し。每日、かごのもの、御よび、朝から仕度してゐるに、晝過まで御またせ、

「今日は、出を、やめた。」

とて御歸し、たゞ、かご代ばかり拂(はらひ)て、數日(すじつ)、病家御見舞なかりしを、病家にては還俗被ㇾ成、主用、多く、醫行、御やめ被ㇾ成しことゝ心得て、

「をしきこと。」

と、いひながら、外(ほか)へ、病用たのむことゝ成行(なりゆき)しなり。

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