譚海 卷之四 同所ゆは海の藻を取て紙を製する事
○池田より七里半西の宮のかたにあたりてゆはと云(いふ)所有。そこになしを村[やぶちゃん注:編者右注があり、『(名鹽)』とある。]といふ所有、六十竃ほどある村也。其村長孫右衞門と云もの、海の藻をとり紙に漉(すき)入る事をなし富をなせり。すべて大坂東海道に至るまで用る所の紙は、皆孫右衞門が製する所のものにて、日々十駄廿駄程づつ運び出す事也。
[やぶちゃん注:「同所」「播州池田酒造る水の事」を受けたもの。
「ゆは」不詳。兵庫県西宮市弓場町(ゆばちょう)があるが、ここ(グーグル・マップ・データ)で、以下の名塩とは遙かに離れている。思うに、ウィキの「塩瀬村(兵庫県)」を見たところ、『弓場家は名塩の名望家』とあり、或いは、それを聴き誤ったものかも知れない。
「なしを村」かなり内陸であるが、兵庫県西宮市塩瀬町名塩か(グーグル・マップ・データ)。ここで漉かれた紙は「名塩紙」(なじおがみ)或いは「名塩雁皮紙」(なじおがんぴし)と呼ばれ、古くから知られるものの、海藻が原料ではない。小学館「日本大百科全書」によれば、越前国から紙漉きが伝えられたとの伝説が知られており、ガンピ(雁皮)を原料に、この土地特産の色相の異なる粘土を漉き込むのが特徴で、東久保(とくぼ)土(白)、天子(あまご)土(微黄)、蛇豆(じゃまめ)土(薄褐色)、五寸土(青)などの粘土が紙料に混入される。「泥入間似合」(どろいりまにあい)の名で室町時代末期(十六世紀中頃)から有名になったが、「間似合」は「半間(はんげん:約九十センチメートル)の間尺(まじゃく)に合う幅の広い紙」の意味で、「間合」とも書き、襖や屏風に利用された。また、泥入り紙は耐熱性があるため、箔打ち紙に賞用されるほか、防虫性のため、薬袋(やくたい)紙や、茶室の腰張り紙としても使われる。ごく薄手の名塩紙は、京都の本願寺の聖経用紙にされたこともある、とあり、津村は「塩」からか、大勘違いをしているようである。]