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2022/04/24

「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 二~(4) / 卷第五 王宮燒不歎比丘語第十五

 

[やぶちゃん注:本電子化の方針は「一~(1)」を参照されたい。熊楠が採り上げた当該話はこちらで電子化訳注してあるので、まず、それを読まれたい。底本ではここ。]

 

〇王宮燒不歎比丘語《王宮(わうぐう)燒くるに歎かざりし比丘の語(こと)[やぶちゃん注:頭の「天竺」(天竺の)が脱落している。]》(卷五第十五)芳賀博士の今昔物語集の四二九頁に、此語の出處、類話一切出て居無い[やぶちゃん注:「をらない」。]。予も出處を知らぬが、類話を、趙宋の初め智覺禪師が集めた宗鏡錄卷六四より見出した。此書は今昔物語の作者てふ源隆國の薨去より先づ百廿年前に成た。其文は、諸苦所ㇾ困、貪欲爲ㇾ本、若貪心瞥起、爲五欲之火焚燒、覺意纔生、被三界之輪繫縛、如帝釋與脩羅戰勝、造得勝堂、七寶樓觀、莊嚴奇特云々、天福如之妙力能如ㇾ此、目連飛往、帝釋將目連看堂、諸天女皆羞目連、悉隱逃不ㇾ出、目連念、帝釋著樂、不ㇾ修道本、卽變化火、燒得勝堂、爀然崩壞、仍爲帝釋說無常、帝釋歡喜、後堂儼然、無灰煙色《『諸苦、困(くる)しむ所のものは、貪欲を本(もと)と爲(な)すなり。若(も)し、貪心、瞥(べつ)して[やぶちゃん注:ちょっとでも。]起こらば、五欲の火に焚き燒かれ、覺意[やぶちゃん注:ここはそれに触れることで生じてしまう悪しき意識を指す。]、纔かに生じて、三界の輪に繫縛せらる。如(たと)へば、「帝釋、修羅との戰ひに勝ち、勝堂(しやうだう)を造り得て、七寶の樓觀、莊嚴(しやうごん)奇特(きどく)たり」』云々、『「天福、之(か)くのごとく、妙力、能く此(か)くのごとくあらんも、目連、飛び往くに、帝釋、目連を將(ひき)ゐて堂を看(み)せしむに、諸天女、皆、目連に羞(は)ぢ、悉く、隱れ逃れて、出でず。目連、念(おも)ふに、「帝釋は樂しみに著(おぼ)れ、道の本(もと)を修めず。」と。卽ち、火に變化(へんげ)し、得勝堂(とくしやうだう)を燒き、爀然(かくぜん)として崩壞せり。仍(よ)りて、帝釋が爲めに、無常を廣く說けり。帝釋、歡喜したり。後(のち)、堂、儼然としてあり、灰煙の色、無し。」となり』。》と云[やぶちゃん注:「いふ」。]ので、多分四阿含抔の中に出た語と思ふが、多忙故今一寸見出し得ぬ。

[やぶちゃん注:「趙宋」宋(ここは北宋)に同じ。この呼称は王室の姓に基づくもの。

「智覺禪師」永明延寿(九〇四年~九七六年)は五代十国の呉越から北宋創建初期に生きた法眼(ほうげん)宗(中国の禅宗五宗の一つ)の僧。諡は宗照大師。杭州余杭県出身。「教禅一致」を説いた。なお、北宋は五代最後の王朝後周を九六〇年に滅ぼして成立した。その後、残っていた十国の国々も平定し、最後に北漢を九七九年に滅ぼして中国を統一しているので、熊楠の言う「宋の初め」というのは正しい(次注の成立年を見よ)。雪峰義存の弟子翠巌令参の下で出家し、天台徳韶の嗣法となった禅僧。

「宗鏡錄」現行では「すぎょうろく」(現代仮名遣)と読む。仏教論書。全百巻。九六一年成立。延寿の主著で、当該ウィキによれば、『禅をはじめとして、唯識宗・華厳宗・天台宗の各宗派の主体となる著作より、その要文を抜粋しながら、各宗の学僧によって相互に質疑応答を展開させ、最終的には「心宗」によってその統合をはかるという構成になっている』。『この総合化の姿勢は』『後世になって、「禅浄双修」「教禅一致」が提唱された時』、『注目されることとなった』とある。

「帝釋、修羅との戰ひに勝ち」帝釈天が阿修羅と戦ったという話はしばしば仏典に現われる。ウィキの「阿修羅」によれば、『阿修羅は帝釈天に歯向かった悪鬼神と一般的に認識されているが、阿修羅はもともと天界の神であった。阿修羅が天界から追われて修羅界を形成したのには次のような逸話がある』。『阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる』。『阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。また』、『阿修羅には舎脂という娘がおり、いずれ』、『帝釈天に嫁がせたいと思っていた。しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった』。『帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところ』、『蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から』、後退している『軍を止めた。それを見た阿修羅は』、『驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという』。『一説では、この話が天部で広まって』、『阿修羅が追われることになったといわれる。また』、『一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうち』、『赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると』、『善心を見失い妄執の悪となる。このことから』、『仏教では天界を追われ』、『人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる』とある。ここでは、阿修羅側ではなく、逆に帝釈天の奢りが描かれていて、面白い。私は、無論、阿修羅が好きである。遠い昔、教え子に案内されて見た興福寺の阿修羅像には、甚だ心動かされたのを思い出す。

「四阿含」四種の「阿含経」(あごんきょう)を指す。「長阿含経」(全二十二巻)・「中阿含経」(全六十巻)・「増一阿含経」(全五十一巻)・「雑阿含経」(全五十巻)の総称。原始仏教の経典を四部に分類したもので、仏教の系統としては、北方系の分類法に属す。南方系では五部に分ける。「大蔵経データベース」の検索で、ちょっとやりかけてみたが、熊楠ではないが、対象が膨大に過ぎ、語句での絞り込みも上手く出来なかったので、中途でやめた。]

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