譚海 卷之四 土州海上難儀の事
○土佐國より大坂へ海上直乘(ぢきの)り甚(はなはだ)難儀也。其國の士(し)物語せしは、土佐を出(いづ)るより大坂までの船中は、中々船の内に起(おき)て居(ゐ)らるゝ事成(なり)がたし。只ふしまろびて漸(やうやう)海路(かいろ)をへる也。尤(もつとも)入坂(にゆうはん)せざる間は飮食もなしがたき程の風波也。あやうき風に逢(あひ)たる事兩度有(あり)しが、風惡敷(あしく)成(なり)て波高く成(なり)ゆけば、大船(おほぶね)は急に進退成(なり)がたきゆゑ、漕(こぎ)つれたるはし船(ぶね)に乘(のり)うつりて命をたすかる、はしぶねをこぎよせたれど、大船の際(きは)へ波高く打(うち)あてて乘移(のりうつ)りがたき時は、大船よりはしぶねに幕を引(ひき)はり、其上をすべり落(おち)て、のりうつりたる事ありしとぞ。
[やぶちゃん注:「直乘(ぢきの)り」土佐から、大きく外洋を巡って反時計回りに直行する船便ということであろう。
「はし船(ぶね)」「端舟・端艇・橋船」で清音で「はしふね」とも呼ぶ。本船に対する端船で、大型船に積み込んでおき、人馬・貨物の積み下ろしや、陸岸との連絡用として使用する小船。「はしけぶね・はしけ」も同じ。
「大船よりはしぶねに幕を引(ひき)はり、其上をすべり落(おち)て、のりうつりたる事ありし」航空機の緊急脱出スライド式の発想が既に江戸時代に普通にあったのが面白い。]
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