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2022/04/23

「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 一~(4) / 卷第十 聖人犯后蒙國王咎成天狗語第三十四

 

[やぶちゃん注:本電子化の方針は「一~(1)」を参照されたい。熊楠が採り上げた当該話はこちらで電子化訳注してあるので、まず、それを読まれたい。底本ではここから。]

 

〇今昔物語集卷十、聖人犯后蒙國王咎成天狗語第卅四《聖人(しやうにん)、后(きさき)を犯して、國王の咎(とが)を蒙りて、天狗と成る語(こと)第三十四》は、今度出版の芳賀博士の攷證本に出所も類話も出て居らぬ。或は其處こに示された卷廿、染殿后爲天宮被嬈亂語《染殿(そめどの)の后(きさき)、天宮(てんぐ)の爲に嬈亂(ねうらん)せらるる語(こと)》の所が出たら、載て居るかと思ふが、一寸管見を記すと、趙宋の法賢譯瑜伽大敎王經三に、不動尊大忿怒明王の眞言を法通り持誦すれば、能く諸童女を鉤召し、種々所欲の事を成す、唐の金剛菩提三藏が譯せる不動使者陀羅尼祕密法、矜羯羅[やぶちゃん注:「こんから」。](=宮迦羅)を招く法を載す、矜者問事也、羯邏者驅使也、若不ㇾ現者、心決定、念誦不動使者、必須ㇾ得ㇾ見、莫ㇾ生狐疑、直至平明、無不ㇾ來者、現已種種驅使、處分皆得、乃至洗ㇾ手、或用柳枝令ㇾ取、皆得、欲ㇾ得上ㇾ天入一ㇾ山、亦扶行人將去、欲ㇾ得欲界上天女等、令將來相見、亦得、何況人間、取人及物、乃至種種飮食、此神作小童子形、有兩種、一名矜羯邏、恭敬小心者是、一名制吒迦、難共語、惡性者是、猶如人間惡性、在ㇾ下雖ㇾ受驅使、常多過失也云々《「矜(こん)」とは「事を問ふ」なり、「羯羅」とは「驅使」なり。若(も)し現ぜざれば、心、決定(けつぢやう)して、不動使者を念誦す。必ず須(すべか)らく見ることを得べし。狐疑を生ずる莫かれ。直ちに平明に至れば、來たらざる者、無し。現じ已(をは)りて、種種に驅使すれば、處分(しよぶん)[やぶちゃん注:命令。]せること、皆、得。乃至(ないし)は手を洗ひ、或いは柳枝(やうじ)を用ひんとするに、取らしむれば、皆、得。天に上(のぼ)り、山に入ることを得んと欲(ほつ)せば、又、行く人を扶(たす)けて將(ゐ)て去(ゆ)く。欲界上の天女等(など)を見ることを得んと欲せば、將て來たらしめて相見んこと、亦、得たり。何ぞ況んや、人間(じんかん)にて、人及び物、乃至、種種の飮食を至らすことをや。此の神、小童子の形を作(な)し、兩種、有り。一(ひとり)は「矜羯羅」と名づく。恭敬にして、小心なる者は、是れなり。一は制吒迦(せいたか)と名づく。共に語り難くして[やぶちゃん注:会話が上手く交わせず。]、惡性(あくしやう)なる者は、是れなり。猶ほ、人間の惡性のごとし。下に在りて驅使を受くと雖も、常に過失多し云々》、唐の李無諂[やぶちゃん注:「りむてん」。]譯不空羂索陀羅尼經にも、此二童子を使ふ法を記す、唐の不空譯大寶廣博祕密陀羅尼經中卷に、隨心陀羅尼を五萬遍誦すれば、婇女や王后などを鉤召し得と有り、趙宋の法天譯金剛手菩薩降伏一切部多大敎王經上に、部多女(ヴエーターラ)を眞言で招き妹となし、千由旬内に所要の女人を卽時取り來たらしむることを載す。矜羯羅も天女をすら取來る程だから、王后位はお茶の子だらう、斯る迷信が今日の歐州にも隱れ行なはるゝは、例せば、米人「リーランド」の巫蠱經(一八九九年板三五頁)に、今もイタリアに月神「チアナ」を祀る者、自分が望む貴族女をして犬形に變じ、萬事を忘失して其家に來り、忽ち元の女と成て其思ひを晴させ、復た犬と成て自宅へ還ると、本來の女と成るが、何を他人の家でされたか一向覺えず、若くは夢程に微かに覺えしむる呪法を載て居る。又今日も「タナ」女神を念じて、睡れる男女と情交を遂る誦言を出して居る。

[やぶちゃん注:「今度出版の芳賀博士の攷證本に出所も類語も出て居らぬ」ここ。但し、最後に『(本書卷二十染殿后爲天宮被嬈亂語參閲)』とある。次注参照。

「或は其處に示された卷廿、染殿后爲天宮被嬈亂語」(正しくは最後に「第七」が附くのが正しい標題である)「の所が出たら、載て居るかと思ふが」この記事(「一」パート)は大正二(一九一三)年八月号『鄕土硏究』であるから、芳賀矢一の「攷証今昔物語集」の同巻を載せた「中」は翌三年の刊行で未刊であったことによるさて。では! 大きな期待を持って見てみましょうかね! あらま! 残念ですねえ! 「拾遺往生傳卷下相應傳(抄錄)」・「古事談第三僧行篇」・「宇治拾遺物語卷十五相應和尙上二都卒天一事付染殿の后奉ㇾ祈事」と並べて、『(元亨釋書卷十感進篇相應傳參閲)』とあるだけですねぇ。これって、同事件の話の同時代或いは近未来の並列のリストに過ぎませんぜ。最後のが気になるって? いやいや、国立国会図書館デジタルコレクションの写本画像で見ますか? 染殿の「狂疾」を修法したことが書いてあるだけですぜ。熊楠先生のように、漢籍経典をちっともディグしてないじゃねぇか。ダメだ、こりゃ! なお、この篇は『「今昔物語集」卷第二十「染殿后爲天宮被嬈亂語第七」(R指定)』で電子化訳注しておいた。但し、かなり猥褻な描写が出るので、ご注意あれ。

「鉤召」歴史的仮名遣「こうせう」。現代仮名遣「こうしょう」。実は底本は「釣召」だが、「選集」で訂した。密教に於ける護摩法の一種である「鉤召法」のこと。諸尊・善神、及び、自分の愛する者を召し集めるための修法。

「矜羯羅(=宮迦羅)」前者は「こんがら」、後者は「くがら」と読む。サンスクリット語の「キンカラ」の漢音写で、「キン」は同語の疑問詞でそれに「矜」と当て、「作為」の意を持つ「カラ」に「羯羅」を当てて合成した語。「何をなすべきかを問い、その命令の通りに動く」という意であるという。奴僕や従者を指す一般名詞であるが、ここは不動三尊において制多迦(せいたか)童子とともにに不動明王の脇侍を務める矜羯羅童子を指す(通常の像作では不動明王の左脇侍(向かって右)に配される。十五歳ほどの童子の姿をしており、蓮華冠をつけ、肌は白肉色、合掌した親指と人差し指の間に独鈷杵を挟んで持つ。天衣と袈裟を身に着けている(ウィキの「矜羯羅童子」に拠った)。脇侍としては超弩級に私の好きな二人である。

「婇女」「うねめ」。古代の宮中で食膳などに奉仕した女官。

「部多女(ヴエーターラ)」「屍鬼」と漢訳するインドの妖怪。死体に取り憑いてこれを生きているかのように活動させる鬼神。色が黒く、背丈が高く、首は駱駝、顔は象、脚は牡牛、眼は梟、耳は驢馬のようであるとされる。

「千由旬内」七千キロから一万四千キロ四方。

「米人「リーランド」の巫蠱經(一八九九年板三五頁)」「選集」では書名に『アラジヤ』とルビされてある。これは、アメリカの作家で民俗学者であったチャールズ・ゴッドフリー・リーランド(一八二四年~一九〇三年:フィラデルフィア出身。はプリンストン大学とヨーロッパで教育を受けた。ジャーナリズムに携わり、広い範囲を旅して、民俗学や民俗言語学に関心を抱き、アメリカとヨーロッパの言語や、民間伝承に関する書籍や記事を出版した)。一八九九年に書かれた「アラディア、或いは魔女の福音」(Aradia, or the Gospel of the Witches )。「Internet archive」のこちらで、原本の当該部が読める。それを見ると、何のことはない、思った通り、「チアナ」(「選集」では『ヂアナ』とする)は知られた「Diana」である。以下の、『今日も「タナ」女神を念じて、睡れる男女と情交を遂る誦言を出して居る』というのも次のページ当たりのそれと感じられ、されば、「タナ」(「選集」も同じ)もこれが「ディアナ」「ダイアナ」のことであろう。]

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