譚海 卷之四 同國相馬郡山王村にて白玉を得し事
○同國相馬郡山王村といふ所に、三左衞門といふものの弟、庄兵衞といふもの有。白玉をひろひて、今は辨天信仰なれば、本尊に合祀して祕藏して傳へたり。元來此玉天明それの年の夜光物ありて、此村を照(てら)し過(すぎ)たる跡に落(おと)し置(おき)たる玉也。人家の垣の境(さかひ)に落(おち)たる折節(をりふし)、其一方の主人病(やめ)る事有(あり)て、かやうの物(もの)祟(たたり)をなす、よからぬ事なりとて、垣の境なれば鄰(となり)のものよとて、鄰なる人へ讓りわたしたるに、その鄰家(りんか)の人恐れおどろきて我物とせず。さる間に此庄兵衞行(ゆき)あひて、然(しか)らば我等にその玉給へとて、貰ひ來りて祀(まつ)れる也。玉の大さ一寸計(ばかり)にして、かしらはとがりて誠に寶珠の圖の如く、色いとしろし、夜陰に書一くだりをば能(よく)てらしみらるゝ、燈をかる事なしとぞ。
[やぶちゃん注:「同國」前の「下總國成田石の事」を受けたもの。
「相馬郡山王村」茨城県の旧北相馬郡の村。現在の取手市山王(グーグル・マップ・データ以下同じ)。同地区には北の端と南の端に「山王神社」はあるが、この白玉の現存はネット上では確認出来ない。最後の辺り、何となく実在は怪しい感じだ。
「天明」一七八一年から一七八九年まで。
「それの年」とある年。]