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2022/04/27

「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 四~(3) / 卷第十 宿驛人隨遺言金副死人置得德語第二十二 / 「今昔物語の硏究」~完遂

 

[やぶちゃん注:本電子化の方針は「一~(1)」を参照されたい。熊楠が採り上げた当該話はこちらで電子化訳注してあるので、まず、そちらの正規表現の原話を読まれたい。珍しく熊楠は原話全体を、相応に、訓読表現で、やや彼風の漢字表記で書き改めて記して紹介している。参考までに、ここでも冒頭にちらと出す南方熊楠がずっと批判してきた芳賀矢一の「攷証今昔物語集」の当該話のテクスト本文をリンクさせておく。底本ではここから。本篇は「今昔物語の硏究」の掉尾であり、さらりと読めるようにしたいので、読みは私が推定で歴史的仮名遣で( )で補った。]

 

〇宿驛人隨遺言金副死人置得ㇾ德語第二十二《宿驛の人、遺言に隨ひて金(こがね)を死にし人に副(そ)へて置きたるに德を得たる語(こと)》(卷一〇第二二)此語も芳賀博士は、出處類話共に出して居らぬ。其話は「今昔震旦の□□代に人有て他州へ行く間、日晚て驛と云ふ所に宿しぬ、其所に本より一人宿りして病む、相互に誰人と知る事无(な)し、而るに本より宿して病む人今宿りせる人を呼び語て云く、我れ今夜死むとす、我腰に金二十兩有り、死後必ず我を棺に入れて其金を以て納め置べしと、今宿る人、其姓名生所(せいしよ)を問ひ敢(あへ)ざるに、此病人絕入ぬれば、死人の腰を見るに實に金二十兩有り、此人死人の云しに隨て其金を取出して、少分を以て此死人を納め置くべき物の具共を買調へ、其殘りをば約の如く少しも殘さず死人に副(そへ)て納めけり、誰人と知ずと雖も如此(かくのごとく)して家に還りぬ。其後、不思懸(おもひかけざる)に主を知ざる馬離れ來れり、此人此れ定て樣有むと思て取り繫で飼ふ。而るに、我れ主也と云ふ人無し、其後亦飇(つむじかぜ)の爲に縫物の衾を卷き持來れり、其れも樣有むと思て取り置きつ。其後ち人來て云く、此馬は我子某と云し人の馬也、亦衾も彼が衾を飇の爲に卷揚げられぬ、既に君が家に馬も衾も共に有り此れ何(いか)なる事ぞと、家主答て云く、此の馬は思懸ざるに離れて出來れる也、尋ぬる人無きに依て繫で飼ふ、衾亦飇の爲に卷き持來れる也と、來れる人云く、馬も徒(いたづら)に離れて來れり、衾も飇卷き持來れり、君何なる德か有ると、家主答へて云く、我更に德無し、但し然々の驛に夜宿せりしに、病煩(やまひわづらひ)し人、本より宿して絕入にき、而るに彼が云しに隨て彼が腰に有りし金を以て葬(はうふ)り、殘りをば少しをも、殘さず彼に副て納め置て還りにし、其人の姓名生所を知らずと、來れる人此事を聞て地に臥し丸(まろ)びて泣く事限り無し、云く其死人は我子也、此馬も衾も皆彼が物也、君の彼が遺言を違へざりしに依て、隱れたる德有れば顯れたる驗(しるし)有て、馬も衾も天の彼が物を給ひたる也と云て、馬も衾も取らずして泣々還るに、家主、馬をも衾をも還し渡しけれども遂に取ずして去にけり。其後此事世に廣く聞え有て、其人直(ただしき)也けりとして世に重く用られけり、此を殆として飇の卷持來れる物をば本の主に還す事無し、亦主も我物と云事も無し、亦卷き持來れる所をも吉(よ)き所とも爲す也となむ語り傳へたるとや」(略文)と有る。此故事から始つたとは附會だらうが、兎に角今昔物語の成(なつ)た頃の風俗として、暴風が飛(とば)し込(こん)だ主知れぬ物品を其家主の所得と成しても後日(ごじつ)本主(もとのぬし)が異論を言得(いひえ)ず、隨(したがつ)て其場所を吉相の地としたと見える。

 扨此話の出處らしきものを往年控え置(おい)たのを、今(三月一日)夜見出(みいだし)たから書付(かきつけ)る。後漢書に云ふ、王忳甞詣京師、於空舍中見一書生疾困、愍而視之、書生謂忳曰、我當到洛陽、而被病、命在須臾、腰下有金十斤、願以相贈、死後乞藏骸骨、未及問姓名而絕、忳卽鬻金一斤、營其殯葬、餘金悉置棺下、人無知者、後歸數年、縣署忳大度亭長、初到之日、有馬馳入亭中而止、其日大風飄一繡被、復墯忳前、忳後乘馬到雒縣、馬遂奔走、牽忳入它舍、主人見之喜曰、今禽盜矣、問忳所由得馬、忳具說其狀、幷及繡被、主人悵然良久乃曰、被隨旋風、與馬俱亡、卿何陰德而致此二物、忳自念、有葬書生事、因說之、幷道書生形貌、及埋金處、主人大驚號曰、是我子也、姓金名彥、前往京師、不知所在、何意卿乃葬之、大恩久不報、天以此章卿德耳、忳悉以被馬還之、彥父不取、又厚遺忳、忳辭讓而去《王忳(わうじゆん)、甞つて京師(けいし)に詣(いた)る。空舍の中に於いて、一書生の疾ひに困(くる)しむを見いだし、愍(あは)れみて、之れを視る。書生、忳に謂いて曰はく、「我れ、當(まさ)に洛陽に到るべくも、病ひを被(かふむ)り、命は須臾(しゆゆ)に在り。腰の下に金(きん)十斤有り。願はくは、以つて相贈らん、死後に骸-骨(むくろ)を藏(をさ)められんことを乞ふ。」と。未だ姓名を問ふに及ばずして、絕ゆ。忳、卽ち、金一斤を鬻(ひさ)ぎ[やぶちゃん注:売り。]、其の殯葬(ひんさう)を營み、餘れる金は、悉く棺の下(もと)に置く。人、知る者、無し。後、歸りて、數年、縣は、忳をして大度(だいど)の亭長[やぶちゃん注:地名かも知れぬが、大きな川の渡し守(地方の下級官吏で地区長)の意で採る。]に署(わりあ)つ。初めて到るの日、馬、有り、亭中に馳せ入りて止(とど)まる。其の日、大風(たいふう)、一(いつ)の繡被(しゆうひ)[やぶちゃん注:刺繍を施した衾(ふすま)。通常、着衣の形を成している。]を飄(ひるがへ)して、復た、忳の前に墮つ。忳、後、馬に乘り、洛縣に至るに、馬、遂に奔走し、忳を牽(ひき)て、他(よそ)の舍(やしき)に入る。主人、之れを見て、喜びて曰はく、「今、盜(ぬすびと)を禽(とら)へたり。」と。忳に、馬を得たる所-由(いは)れを問ふ。忳、具(つぷさ)に、其の狀(さま)を說き、幷(ならび)に繡被にも及べり。主人、悵然(ちやうぜん)たり[やぶちゃん注:失意の状態で嘆くさま。]。良(やや)久しくして、乃(すなは)ち曰はく、「被(ひ)は旋風(つむじかぜ)に隨ひて、馬と俱に亡(うしな)へり。卿(けい)は何の陰德ありてか、此の二物を致(いた)せるや。」と。忳、自(おのづか)ら、書生を葬りし事有るを念(おも)ひ、因りて之れを說き、幷(あは)せて、書生の形貌(かほかたち)及び金(きん)を埋(うづ)めし處(ところ)を道(い)へり。主人、大きに驚き、號(さけ)びて曰はく、「是れ、我が子なり、姓は金、名は彥(げん)、前(さき)に京師へ往き、所在を知らず。何ぞ、意(い)はんや、卿、乃(すなは)ち、之れを葬らんとは。大恩、久しく報ひず、天、此れを以つて、卿の德を彰(しやう)すのみ。」と。忳、悉く被(ふすま)と馬を以つて之れに還さんとするも、彥(げん)の父、取らず、又、厚く、忳に遣(や)るも、忳、辭讓して去れり。》。此話の方が今昔の方より前後善(よ)く纏まつて居るが、其を記憶し損ねて今昔の話が出來たのだらう。

     (大正三年鄕硏第二卷第三號)

[やぶちゃん注:「漢書」のそれは「卷一百十一」の「獨行列傳第七十一」にある「王忳傳」である。原文対照校訂には「中國哲學書電子化計劃」のこちらから始まる影印本を視認したが、例によって、冒頭・掉尾及び中間部に省略がある上、一部を改変しており、かなり漢字に違いがある。或いは伝版本の違いかも知れぬが、底本よりも影印本を尊重し、改変部及び字の異なるものの内、熊楠のそれより判りが良いと判断したものは、上記リンク先の表字に、原則、改めた(熊楠がカットした部分は、確かに紹介するに必要条件ではないので、復元しなかった)。芳賀矢一の考証ならざるそれを補填して余りある。やったね! 熊楠先生!!!

「十斤」貨幣単位ではなく、重量。後漢の「一斤」は二百二十二・七三グラムであるから、二・八キログラム弱となる。

「雒縣」洛陽のこと。周代には「洛邑」(らくゆう)であったが、後漢になって「雒陽」に改名され、後漢終末期を除いて首都であった。後の魏の時代に「洛陽」に戻されている。

 なお、最後の初出記載は、底本では、最終行末の下インデントである。

 本篇を以って「今昔物語の硏究」は終わっている。数少ないネット上の私の読者に心より御礼申し上げるものである。なお、一括PDF縦書ルビ版を何時ものように作成し始めたが、ルビ化に恐ろしく時間がかかるので、暫くお待ち戴きたい。少し疲れたし、他にもやりたいものがある。悪しからず。

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