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2022/04/15

譚海 卷之四 和州春日社鹿の事 附東照宮御由緖の事

 

○和州春日社の鹿殺生禁斷の事は、すでに東照宮御自筆の證文を出され、御自筆の手判を押れたる免狀、其法務一乘院宮の寶庫に納め、鹿の御朱印とて傳へたり。さる間(あひだ)今に至(いたり)て報制にあまへ、鹿の橫行する事他邦に異也(ことなり)。凡(およそ)鹿の角を隕(おと)す事、春の彼岸より十日以前に有(あり)、其比(そのころ)に至れば鹿たけくいさみて、人にとりかゝる事有。角にて人をそこなふ事ある故、角のおつべき比になれば、あらかじめ穢多(ゑた)に仰(おほせ)て、鹿を逐ひとらへて角を切(きる)事也。此(この)穢多五六人程づつ手を組(くみ)て、竿の先に網を付(つけ)たるを持(もち)、鹿を追(おひ)つめる、其時は町々門戶(もんこ)をとぢ、木戶をさして往來を禁ず。あやまちて人家に鹿追入(おひい)らるゝ時は難儀起る故也。さて穢多鹿を木戶際に追つめ、網をかぶせ地に倒(たふ)しとらへて、鋸(のこ)にて角を切取り、坊主にして追放(おひはな)せば一さんにかけ行(ゆく)也。其角を斷(たち)たる跡少し殘りたれど、角の落(おつ)る時にはかゆみ堪(たへ)がたきゆゑ、殘りたる角にて人を追來(おひきた)り、かしらにて人の胸を押行(おしゆき)、とまる所まで押し行(ゆく)也。塀或(あるい)はついぢなどに押付られたる時、兩の手にて鹿の耳を打(うて)ば驚きはしりさる也。又往還にて人にかゝりたる時は、そのまゝ地にうつふしてをれば、鹿兩の手にて人のうなぢを打(うち)たゝき、しばらく有(あり)て其人息をせずこらへをれば、鹿人の鼻息をかきて死(しに)うせたるとこゝろへて鹿立去(たちさる)也。少しも身を動かさば鹿思ひのままにたゝきて、衣裳をかきやぶり、はだへに疵(きず)を付(つけ)らるる事儘有(ままあり)。又町中にて鹿(しか)子をうむ事有(あり)、その時はそのまゝ一乘院へ訴へ申(まうし)、其時宮より檢使來りて糺(ただ)し養育すべき由申渡(まうしわたし)歸る也。其(その)肥立(ひだつ)間(あひだ)母鹿(ははしか)子をとられん事を恐れて人にかゝるゆゑ、鹿の子生たる町へは皆人惧(おそれ)てあしぶみせず。又病(やみ)たる鹿來る時は町送りにして、其鹿たふれふしたる町よりかたの如く訴へ出る。是を養鹿(やしなひじか)とて子をうみたる鹿の如く大切にする也。若(もし)鹿死(しし)たる時は西大寺の邊(あたり)に小山有(ある)所へ埋(うづ)み、宮より法事を行(おこなは)るゝ也。すべて其(その)町に住馴(すみなれ)たる鹿有(あり)、其鹿他の町へゆけば、又其所(そのところ)の鹿とあらそふゆゑ、外(ほか)へ移る事なし、ならの一厄(いちやく)也。前年も水戶播磨守殿家士、鹿(しか)子うみたる町をおして通り鹿をたゝき、大(おほき)にむづかしき事ありし也。又奈良の町に布屋(ぬのや)やしきといふ所あり、是は往昔(そのかみ)東照宮しばらく御旅館の跡なれば、明地(あきち)にして繩を張(はり)て猥(みだり)に人の入(いる)事を禁ず。誤(あやまり)て亂入するものあれば、卽時に狂氣などする事儘多(ままおほ)し。神君の威靈(いれい)思ひやるべし。又其かたわらに勘合明神の祠(ほこら)あり、是も東照宮の甲胃を奉納させ給ひしとて今に有。國初の時東照宮の御由緖あるものは訟(うつた)へ出(いづ)べき御由緖有(あり)しに、其時の神主懶惰の者にて其義に及ばず、はるかに時をへて後の神主訴へ出けれども、御朱印の御沙汰にも及ばず。御かぶとは上へ召れて、今は御鎧ばかりありと云。

[やぶちゃん注:「勘合明神の祠」奈良県奈良市漢国町(かんごくちょう)にある漢國神社(かんごうじんじゃ:グーグル・マップ・データ)。慶長年間(一五九六年~一六一五年)に徳川家康から、法蓮村において知行田五反余りを寄付され、社殿の修理を行っており、鎧蔵があり、宝物として、慶長一九(一六一四)年の「大坂冬の陣」の際、徳川家康が社参し、奉納した鎧一領がある。これを納める土蔵を鎧蔵と呼んでいるが、現在、その鎧は市指定有形文化財に指定され、奈良国立博物館に保管されており、現在の同神社には、神楽殿にレプリカが展示されていると、同神社のウィキにあった。]

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