「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 四~(1) / 卷第三阿闍世王殺父王語第(二十七)
[やぶちゃん注:本電子化の方針は「一~(1)」を参照されたい。熊楠が採り上げた当該話はこちらで電子化訳注してあるので、まず、それを読まれたい。底本ではここから。なお、現行の諸本では標題最後の話柄ナンバーは欠落している。ここは底本では経典の漢文は白文で返り点が打たれていない。参照した「大蔵経データベース」の画像でも返り点はなく、訓読に難渋した。前回に引き続き、熊楠の本文がかなり読み難いので、( )推定の読みを歴史的仮名遣で附した。]
四
〇阿闍世王殺父王語《阿闍世王(あじやせわう)、父の王を殺せる語(こと)》(卷三第二七)此話は經律論共に屢ば繰り返された所で、其れ其れ文句が多少異つて居る。芳賀博士の纂訂本二五〇――二頁には、出處として法苑から大智度論と未生怨經と菩薩本行經を孫引きし居るが、孰れも確(しか)と精密に物語の本文と合はぬ。
[やぶちゃん注:芳賀矢一のそれは、ここからで、最後に以上が並べて置いてある。]
予が明治二十八、九年書き拔き置た課餘隨筆と云(いふ)物を搜し出し見ると、物語の前半は佛說觀無量壽經(劉宋譯)から出たらしい。如是我聞、一時佛在王舍城耆闍崛山中云々《是くのごとく、我れ、聞く、一時、佛、王舍城、著闍崛山(ぎしやくつせん)の中に在り云々》。時に王舍大城の太子阿闍世其父を幽す、置於七重室内、制諸群臣、一不得往、國大夫人名韋提希、恭敬大王、澡浴淸淨、以酥蜜和麨、用塗其身、諸瓔珞中盛葡萄漿、密以上王、爾時大王、食麨飮漿、求水漱口、漱口云々《七重の室内に置き、諸群臣を制し、一(ひとり)も往(ゆ)くを得ず。國の大夫人、韋提希(いだいけ)と名づく。大王を恭敬し、澡浴(さうやく)[やぶちゃん注:体を洗い清めること。]して淸淨にし、酥(そ)[やぶちゃん注:牛乳から製した食用油。]と蜜を以つて麨(むぎこがし)に和(あ)え、以つて用ひるに、其の身に塗り、諸(もろもろ)の瓔珞(えうらく)の中(なか)に葡萄の漿(しる)を盛り、密かに以つて王に上(たてまつ)れり。爾(こ)の時、大王、麨を食し、漿を飮む。水を求めて口を漱ぎて云々。》、大目犍連(だいもくけんれん)、平生(へいぜい)王と親しかりし故、可鷹隼飛疾至王所、日日如是、授王八戒、世尊亦遣富樓那、爲王說法《鷹・隼の飛ぶべく、疾(はや)く王の所に至り、日々是くのごとくして、王に八戒を授く。世尊、亦、富樓那(ふるな)を遣はし、王の爲めに法を說く。》三七日[やぶちゃん注:二十一日。]斯くのごとし。王(わう)守門者(しゆもんしや)を鞫(ただ)し子細を聞き、怒(いかつ)て、即執利劍、欲害其母、時有一臣、名曰月光、聰明多智、及與耆婆、爲王作禮、白言大王、臣聞燈昆陀論經說、劫初已來、有諸惡王、貪國位故、殺害其父、一萬八千、未曾聞有無道害母、王今爲此殺逆之事、汚刹利種、臣不忍聞是栴陀羅、我等不宜復住、於此時、二大臣說此語竟、以手按劍、却行而退云々。王聞此語、懺悔求救、即便捨劍、止不害母、勅語内官、閉置深宮、不令復出《即ち、利劍を執り、其の母を害せんとす。時に一(ひとり)の臣有り、名づけて「月光」と曰ふ。聰明多智にして、耆婆(ぎば)[やぶちゃん注:大臣の名前。則ち、ここでは諫言する重臣が二人に分離しているのである。]と共に王の爲めに禮を作(な)し、大王に白(まう)して言はく、「臣、『昆陀(こんだ)論』[やぶちゃん注:狭義にはバラモン教の根本聖典で、広義にはウパニシャッド文献も含めたヴェーダ聖典を指す。但し、その経典自体は散佚してない。]の經說を聞くに、劫初已來、諸(もろもろ)の惡王有り、國位を貪る故に、其の父を殺害(せつがい)せるは、一萬八千あるも、未だ曾つて、無道に母を害せるもの有るを聞かず。王、今、この殺逆の事を爲さば、刹利(せつり)[やぶちゃん注:古代インドにおける四姓(カースト)の一つとして知られるクシャトリアの漢音訳。最高の婆羅門族の次位にして王族及び士族階級を言う。]の種(しゆ)を汚(けが)さん。臣、是の旃陀羅(せんだら)[やぶちゃん注:インドで四姓の最下級のスードラ=首陀羅(しゅだら)よりもさらに下の階級であるチャンダーラの漢訳。屠畜・漁猟・獄守などの職業に携わった。所謂、存在自体が穢ていると認識された不可触民のこと。]たらんことを聞くに忍びず。我等、宜しく、復た、住するべからざるなり。」と。時に二大臣、此の語(こと)を說き竟(をは)れば、手を以つて劍を按じ、卻-行(あとしさ)りして退(しりぞ)く云々、王、此の語を聞きて、懺悔して、救ひを求め、即ち、劍を捨て、止(や)め、母を害せず。内官に勅語し、深宮に閉(とざ)し置き、復た、出でしめず。》とある。寶物集には葡萄を蒲桃に作れるが、本草綱目に葡萄一名蒲桃《葡萄、一(いつ)に蒲桃と名づく。》と有る。芳賀博士が引いた三經よりは、此經の文がずつと善く物語の文に合(あふ)て居(を)る。なほ此の經の異譯諸本を見たら一層善く合たのも有るだらうが、座右に只今無い故調査が屆かぬ。涅槃部の諸經にも阿闍世王父を害したことが出居るから、其等の中にも有るだらうが、一寸見る譯に行かぬ。
[やぶちゃん注:「課餘隨筆」これ、実は、漢籍などの書名ではなく、南方熊楠自身が、思いついた時に種々の書物から抜書をするための資料ノートの私的な標題であるらしい。されば、以下、経典が引かれているのだが、正確に「佛說觀無量壽經(劉宋譯)」に再度当たったかどうか、甚だ怪しい気がする(特に末尾の断りはそれを深く窺わせる)。返り点がないことからも、これはその過去に於いて熊楠が書写したものがベースである可能性があり、「大蔵経データベース」で、同一であるはずの同経と比べてみても、かなり表記漢字に異同があるのである。個人的には、底本よりも、より確度が高いと判断される「大蔵経データベース」のものを優先した。
「耆婆」大臣の名前。則ち、ここでは諫言する重臣が二人に分離しているのである。
「昆陀論」狭義にはバラモン教の根本聖典で、広義にはウパニシャッド文献も含めたヴェーダ聖典を全体を指す。但し、その最古層の重要だった経典そのものは散佚して、ない。「刹利」古代インドにおける四姓(カースト)の一つとして知られるクシャトリアの漢音訳。最高の婆羅門族の次位にして王族及び士族階級を言う。
「旃陀羅」カースト最下級のスードラ=首陀羅(しゅだら)よりも、さらに下の階級とされるチャンダーラの漢訳。屠畜・漁猟・獄守などの職業に携わった。所謂、存在自体が穢(けが)ていると認識された不可触民のことを指す。]
扨物語本文の後半の出處として予が書留置(おい)たは、北凉曇無讖(どんむせん)が詔を奉じて譯した大涅槃經で、その卷十九及二十の文頗る長いから悉く爰に引き得ぬが、此後半話の出處は一向芳賀氏の本に見えぬから大要を述(のべ)んに、耆婆(ぎば)、王に說(とき)て、阿鼻地獄極重之業、以是業緣必受不疑云々。唯願大王速往佛所、除佛世尊、餘無能救、我今愍汝故相勸導《『阿鼻地獄の極重(ごくぢゆう)の業(ごふ)、是れを以つて業緣、必ずや受けんことを疑はず』云々、『唯だ、願はくは、大王、速やかに佛所へ往(ゆ)かれんことを。佛世尊を除いて、餘(ほか)に能く救ふ、無し。我れ、今、汝を愍(あは)れむが故、相ひ勸導す』。》といふ。此時、故(こ)父王の靈、像(すがた)無くして、聲のみ、有り、耆婆の勸めに隨ひ佛に詣(まゐ)れと敎へ、王之を聞(きき)て大(おほい)に病み出す。佛之を知つて、入月愛三昧、入三昧已、放大光明、其光淸凉、往照王身、身瘡卽愈、欝蒸除滅、王語耆婆言、曾聞人說、劫將欲盡、三月並現、當是之時、一切衆生患苦悉除、時既未至、此光何來、照觸吾身瘡苦除愈、身得安樂《月愛三昧(がつあいざんまい)に入る。三昧に入り已(をは)つて大光明(だいくわうみやう)を放つ。その光、淸凉にして、往(ゆ)きて王の身を照らす。身の瘡(かさ)、卽ち愈え、鬱蒸(うつじよう)、除滅す。王、耆婆に語りて言はく、「曾つて人の說(と)くを聞くらく、『劫(こう)、將(まさ)に盡きんとすれば、三つの月、並び現(げん)ず。是の時に當(あ)たりて、一切衆生の患苦(げんく)、悉く、除かる。』と。時、既に、未だ至らざるに、此の光り、何(いづ)くより來たつて、吾が身を照-燭(てら)し、瘡苦(さうく)、除き愈え、身の安樂を得たるや。」と。》。耆婆、是は佛の光明なりと說き佛に詣るべく勸めると、王言我聞如來、不與惡人同止坐起語言談論、猶如大海不宿死屍云々《王言はく、「我れ、聞く、『如來は、惡人と同じくあるも、坐し、起き、語り、言ひ、談論をば同じく與(とも)にはせず。猶ほ、大海の、死屍を宿(とど)めざるがごとし。』[やぶちゃん注:この部分、訓読に自信がない。識者の御教授を乞う。]と。」云々》。其より耆婆長たらしく諸譬喩を引た後言く、大王世尊亦爾、於一闡提(無佛性(むぶつしやう)の奴)輩、善知根性而爲說法、何以故、若不爲說、一切凡夫當言如來無大慈悲云々《大王、世尊も亦、然り、一(ひとり)の闡提(せんだい)(無佛性の奴[やぶちゃん注:この熊楠の謂いはちょっと大きな誤解を与える。ここは「仏法を謗(そし)り、成仏する因を、今現在は持っていない者」を指す。])の輩(やから)に、能く根性(こんじやう)を知りて、爲めに法を說く、何を以つての故ぞ。若し、爲めに說かずんば、一切の凡夫、將に言ふべし、『如來には大慈悲なし。』と云々。》とて、如來が良醫の能くいかなる難症をも治する如くなるを言ふ。於是(ここにおいて)王然らば吉日を撰んで佛に詣でんといふと、耆婆吉日も何も入らぬ、即刻往き玉へと勸む。王便ち夫人と嚴駕車乘《嚴(いかめ)しき駕-車(くるま)に乘り》、大行列を隨へて佛に詣る。車一萬二千、大象五萬、馬騎十八萬、人民五十八萬、王に隨行したと有る。物語に五萬二千車五百象と有るは、經文が餘りに大層だから、加減して何かの本に出たのを採(とつ)たのだろ[やぶちゃん注:ママ。]。爾時佛告諸大衆言、一切衆生、爲阿耨多羅三藐三菩提近因緣者、莫先善友、何以故、阿闍世王、若不隨順耆婆語者、來月七日、必定命終墮阿鼻獄、是故近因莫若善友、阿闍世王復於前路聞、舍婆提毘流離王乘船入海遇火而死、瞿伽離比丘生身入地至阿鼻獄、須那刹多作種種惡、到於佛所衆罪得滅、聞是語已、語耆婆言、吾今雖聞如是二語、猶未審定、汝來耆婆、吾欲與汝同載一象、設我當入阿鼻地獄、冀汝捉持、不令我墮、何以故、吾昔曾聞得道之人不入地獄。《爾(そ)の時、佛、諸(もろもろ)の大衆に告げて言はく、「一切衆生、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやくさんぼだい)の近き因緣と爲(な)る者は、善友より先なるは莫(な)し。何を以つての故に。阿闍世王、復た耆婆の語(ことば)に隨順せずんば、未月(びげつ)七日、必定、命、終はり、阿鼻獄に墮ちん。是の故に、近き因は善友に若(し)くは無し。」と。阿闍世王、復た、前路に於いて、聞くらく、「舍婆提(しやばだい)の毘瑠璃(びるり)王は、乘船して、海に入り、火に遇ひて死す。瞿伽離(くぎやり)比丘は生身(しやうしん)にて、地に入り、阿鼻獄に至る。須那刹多(すなせつた)は、種種の惡を作(な)せしに、佛所に到りて、衆罪、滅するを得たり。」と。この語(ことば)を聞き已(をは)りて、耆婆に語りて曰はく、「吾れ、今、是くのごとき言を聞くと雖も、猶ほ、未だ審かに定(ぢやう)せず。汝、來たれ、耆婆よ、吾れ、汝と同じき一象に載らんと欲す。設(まう)けて、我れ、當(まさ)に阿鼻地獄に入るべきならば、冀(ねがは)くは、汝、捉(と)り持つて、我れをして墮ちしめざれ。何を以つての故に。我れ、昔、曾つて、『得道の人、地獄に入らず。』聞けばなり。」と。》其より佛の說法を拜聽し、證果得道した次第を長々と說き有る。
[やぶちゃん注:「月愛三昧」釈迦が、まさにこの阿闍世王の身心の苦悩を除くために入(はい)られた三昧の名。清らかな月の光が青蓮華(しょうれんげ)を開花させ、また、夜道を行く人を照らして歓喜を与えるように、仏が、この三昧に入れば、衆生の煩悩を除いて、善心を増やさせ、迷いの世界にあって、悟りの道を求める行者に歓喜を与えるとされる。
「鬱蒸」もの凄い蒸し暑さ。無間地獄への阿闍世王の懼れが生んだ心身症的なそれであろう。]
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