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2022/04/17

「今昔物語集」卷第十「聖人犯后蒙國王咎成天狗語第三十四」

 

[やぶちゃん注:採録理由と底本は『「今昔物語集」卷第四「羅漢比丘敎國王太子死語第十二」』の私の冒頭注を参照されたい。]

 

    聖人(しやうにん)、后(きさき)を犯して、國王の咎(とが)を蒙りて、天狗と成る語(こと)第三十四

 

 今は昔、震旦の□□代に、□□と云ふ所に、遙かに人(ひと)の氣を遠く去りて、深き山の奧なる谷に、柴の奄(いほり)を造りて、戶を閉ぢて、人にも知られずして、年來(としごろ)、行(おこな)ふ、聖人、有けり。

 此の聖人、年來の行(ぎやう)の力に依りて、護法を仕(つか)ひて、鉢を飛ばして食(じき)を繼ぎ、水甁(すいびやう)を遣(や)りて、水、汲ます。然れば、仕ふ人無しと云へども、諸事、思ひに叶ひて、乏(とも)しき事、無し。[やぶちゃん注:「仕ふ人無し」の「仕」は底本では『□』で、注に『底本破損。他本「仕」。』とあるのに従い、かくした。]

 而るに、此の聖人、國王の后の有樣を文(ふみ)の中に說けるを見て、

「何(いか)なれば、かくは讚(ほ)めたるにか。」

と、忽ちに見まほしき心、付きぬ。

「天女は境界(きやうがい)に非ず。只、間(ま)近き所の后を見ばや。」

と思ふ心有りて、久く成りぬ。然れば、爲(す)べき方(はう)、無し。[やぶちゃん注:「然れば」「されば」で順接なのはママ。「然れども」とあるべきところ。訳はそれで訳した。]

 而る間、祕文(ひもん)の中を見るに、不動尊の誓を說く事、有り、其の中に、

『仕者(つかひびと)有て、國王の后也と云ふとも、自(みづか)ら負ひて行者(ぎやうじや)の心に隨へむ。』

と有る誓を見て、愛欲の心に堪へずして、

「試みに、仕者に申さばや。」

と思ふ心、付きぬ。

 其の間に、宮迦羅(くから)と申す仕者、顯はれて、聖人と語らひ給ふ時に、聖人の申さく、

「我れ、年來、思ふ事、有り。叶へ給はむや。」

と。仕者の宣(のたま)はく、

「我れ、本より、『憑(たの)みを係(か)けたる人の願ふ事を、一(ひとつ)として叶へずと云ふ事無く聞かむ。』と云ふ、誓ひ、有り。行者に仕(つか)へむ事、佛に仕(つかまつ)るが如し。佛の境界は、虛言(そらごと)、無し。何(いか)なる事也と云ふとも、何ぞ誓を違へむや。」

と。行者、此れを聞て、喜びを成して申さく、

「我れ、本より不動尊を憑(たの)み奉て、獨り、深き山に居(ゐ)て、勤め、行ふ。亦、二(ふ)た心(ごころ)無し。而るに、國王の后と申すなる女人は、何(いか)なる有樣(ありやう)にか、有る、極めて見まほしきを、近來(このごろ)、候(さふら)ふなる三千人の后の中に、形貌(ぎやうめう)端正(たんじやう)ならむを、負ひて御坐(おはしま)しなむや。」

と申せば、空迦羅の宣はく、[やぶちゃん注:「空」はママ。音を適当に当てているだけなので、特に誤字ではないようである。後注「護法」参照。]

「糸(いと)安き事也。然らば、必ず、明日の夜、負ひて將(ゐ)て參らむ。」

と契りて、返り給ひぬ。

 其の後(のち)、聖人、喜び乍(ながら)、夜も曙(あけ)難(がた)く、日も晚れ難し。此の事を聞きてより後、更に他の事、思はず。心に思ひ亂れて居たり。既に、其の夜に成て、

「今や、今や。」

と待つ程に、夜、少し深-更(ふく)る程に、世に似ず、香(かうば)しき香、一山芬(かを)り、滿ちたり。

「此れは、何(いか)なる事にか、有らむ。」

と思ふ。柴の戶を押し開きて入る。天女と云ふなる者の如くなる者を、宮迦羅、負ひて、指(さ)し置きて、出で給ひぬ。聖人、見れば、金(こがね)の玉・銀(しろがね)の□□□、色〻の玉を以て、微妙(みめう)に身を莊(かざ)れり。百千の瓔珞(やうらく)を係(か)けたり。樣〻(さまざま)の錦を着て、種〻(くさぐさ)の花を造りて首(かうべ)に付け、衣に付けたり。諸(もろもろ)の財(たから)を盡くして、身の莊と爲(せ)り。香(かうば)しき香、譬(たと)ふべき方(はう)、無し。

 震旦の后は、必ず、其の匂(にほひ)、三十六町に香(かうば)し。況むや、狹き一(ひとつ)の奄(いほり)の内、思ひ遣(や)るべし。瓔珞の響き、玉の音、打ち合ひて、細く、鳴り合へり。髮を上げて、簪(かむざし)には色〻の瑠璃(るり)を以て、蝶(てふ)を造り、鳥を造りて、其の莊り、言(こと)も及ばず。御燈明(みあかし)の光りに、諸の玉、光り合ひて、其の人、光を放つが如し。打扇(うちは)を差し隱したり。天人の降下(くだ)れるが如し。其の人の顏(かほばせ)、初めて月の山の葉より出づるが如し。我にも非(あら)で、

『恐し。』

と思ひたる氣色(けしき)、實(まこと)に哀れなる、類ひ無く、嚴(いつ)くし。

 聖人、此れを見るに、心(むね)も遽(あわ)て、肝(きも)も迷ひぬ。年來(としごろ)の行ひも、忽ちに壞(やぶ)れて、念じ過(す)ぐべからず。三千人の后の中に、年若く、形、美麗なるを、宮迦羅の、撰(えら)びて、負ひて將(ゐ)て御(おは)しましたれば、世に並び無し。劣りならむにて、聖人の目には何(い)かが。況むや、世に類ひ無く、國の中に此れに等しき、無ければ、聖人、心(むね)・肝(きも)も無き樣にて、手を取り觸るゝに、后、遁(のが)るべき方(はう)、無し。山の中の、人も通はぬ所に、夢の樣にて來りたれば、只、怳(おそ)れて泣き居(ゐ)給へり。未だ、見習はぬ柴の奄(いほり)に、極めて恐し氣なる姿なる聖人の有れば、惣(すべ)て恐しきに、手をさへ取り觸るれば、生きたるにも非で、泣く事、限り無し。然れば、櫻の花の雨に濕(ぬ)れたるが如し。

 而る間、聖人、泣〻(なくな)く、佛の思(おぼ)し食(め)さむ事を恐れ思ふと云へども、年來(としごろ)の本意も堪へずして、遂に后を犯しつ。曉に成て、宮迦羅、來り給て、后を搔き負ひて返り給ひぬ。其の後、聖人、他(ほか)の事、思はずして、只、此の后の事をのみ、心に係けて、戀ひ歎き居たり。日晚(く)るる程に、亦、宮迦羅、御(おは)しまして、聖人に會ひ給ひて宣はく、

「亦や將(ゐ)て參るべき、亦、他の后をもや、見むと思(おぼ)す。」

と。聖人の申さく、

「只、有りしを將て御(おは)せ。」

と。然れば、前の如く、負ひて御しましぬれば、聖人の申さく、

「只、有りしを將難。」[やぶちゃん注:ママ。今野氏は「聖人の申さく」『からの衍文であろう』と注されてある。]

亦、曉に來り給て、搔き負ひて返り給ひぬ。此(かく)の如くして、既に數(す)月を經(へ)たるに、后、既に懷姙し給へり。

 而る程に、國王、三千人の后なれば、必ず、皆、知り給はざりけり。而る間、國王、此の所に渡り給へるに、既に懷姙したる氣色(けしき)也。國王の宣はく、

「汝、后の身として、既に他の男に近付けり。此れ、誰が爲(せ)る事ぞ。」

と。后の宣はく、

「我れ、更に態(わざ)と男に近付く事、無し。但し、極めて奇異なる事なむ、有る。」

と。國王、

「何事ぞ。」

と問ひ給ふに、后の宣はく、

「其れの程より、此の月來(つきごろ)、夜半許りに、十五、六歲許りなる童子、俄かに來りて、我れを搔き負ひて、飛ぶが如く行きて、極めて深き山の中に將て行きたれば、一(ひとつ)の柴の奄(いほり)の狹きに、恐ろし氣(げ)なる聖人の有るなむ、極めて恐ろしく、侘(わび)しけれども、遁(のが)るべき方(はう)無くして、近付く程に、自-然(おのづか)ら、かく罷り成りたる也。」

と。國王、宣はく、

「何方(いづかた)に行くとか、覺ゆる。幾時許りか、行く。」

と。后の宣はく、

「何方と、更に、思えず。只、鳥の飛ぶよりも、猶し、疾(と)く飛び行くに、一時(ひととき)許りに行き着くは、遙かに遠き所にこそ有るめれ。」

と申し給へば、國王の宣はく、

「今夜、將て行かむに、手の裏に、濃く、墨を塗りて、紙を濕(ぬ)らして持(も)て、其の奄(いほり)の障紙(しやうじ)に、押し付けよ。」

と、敎へ給まへば、后、國王の敎の如くにて、持ち給へり。

 而る間、宮迦羅、聖人の所に來て宣はく、

「今より後、此の事、止(とど)め給ふべし。惡しき事、出で來りなむとす。」

と。聖人の申さく、

「只、何(いか)にも有れ、前々の如く、迎へて、給へ。」

と。宮迦羅の宣はく、

「更に、恨み給ふ事、無かれ」

と宣ひて、前(さき)の如くに負ひて、將て御(おは)しぬ。后、さる氣(け)無き樣(やう)にて、濕(ぬ)れたる紙を以て、手の裏の墨を潤(ぬら)して、障子に押し付けつ。曉に、例の宮迦羅來て、負ひて返り給ひぬ。其の朝(あした)に、國王、后の所に渡り給ひて、問ひ給へば、后、

「然々(しかし)か押し付けつ。」

と申し給へば、國王、亦、后の手の裏に墨を塗りて、紙に多く押し付けしめて、諸(もろもろ)の人を召して、此れを給ひて、宣旨を下して宣はく、

「國の内に、深く幽(かす)かならむ山の中に、聖人の居たらむ所を尋ねて、此れに似たらむ手の跡有らむ所を、慥(たしか)に尋ね得て、見て參るべし。」

と下されぬ。

 使等、宣旨を奉(うけたまは)りて、四方・四角の山を尋ぬるに、遂に、彼の山の聖人の奄(いほり)に尋ね至りぬ。見るに、此の手の形、有り。違(たが)ふ事、無し。然れば、使、返りて、此の由を申し上ぐ。國王、此れを聞て宣はく、

「彼の聖人、既に后を犯せり。其の罪、輕(かろ)からず。」

と。然れば、

「速かに、遠き所に、流し遣(や)るべし。」

と定められて、□□と云ふ所に流し遣りつれば、聖人、流所にして、歎き悲しむで、思ひ入りて死(しに)ぬ。卽ち、天狗(てんぐ)に成ぬ。多く、天狗を隨へて、天狗の王と成ぬ。

 而るに、亦、傍(かたへ)の天狗、有りて、云く、

「彼の天狗は、既に、國王の責(せめ)を蒙(かうぶ)りて、流罪にて死(しに)たる者也。」

と云て、交(まじ)はらず。然れば、十萬人の伴(とも)の天狗を引き將(ゐ)て、他(ほか)の國に渡りにけりとなむ、語り傳へたるとや。

 

[やぶちゃん注:「震旦」は古代インドで中国を指した呼称「チーナスターナ」(「シナの土地」の意)と呼んだものの音写漢訳。

「護法」通常は護法善神の使者として仏法を護持する童形の天人を呼び、「護法童子」とも称する。しかし、安倍晴明が使役したように、その存在は仏教を放れて、独自に進化し(或いは仏教以前に存在したアニミズムの神の一つでもあったのかも知れない)、善悪に拘らず、使役神としてもよく出てくる。本篇の後に出る「仕者(つかひびと)」は同義で、さらに「宮迦羅(くから)」と言う名のそれも護法神である。但し、この「宮迦羅」は護法の中でも有名で、知られた名としては、「矜羯羅・金伽羅」で、「こんがら」と読む。八大童子の一りで、制吒迦(せいたか)とともに不動明王の脇士(脇侍)で、その左側に立つ。像は童形に表わされ、合掌して金剛杵を親指と人さし指の間に横に挟んでいる。サンスクリット語「キンカラ」(「奴僕」の意)の漢音写であるから、「宮」「空」でも音が近ければ問題がないのである。

「文(ふみ)」今野氏注に『具体的な文献は不明』とある。

「天女は境界(きやうがい)に非ず」仏教の六道の三善道の内の「修羅道」・「人間道」の最上にある「天上道」を指す。

「祕文(ひもん)の中を見るに、不動尊の誓を說く事、有り、其の中に、……」今野氏の調査によれば、『真言密教の経典』であるが、『具体的には不明』とする。

「試みに、仕者に申さばや。」今野氏も指摘しておられるが、この破戒聖人(しょうにん)、「宮迦羅」に対して一貫して敬語を用いている。ここに既に聖人の女淫願望による破戒が伏線として張られていることが判る。

「我れ、本より、『憑(たの)みを係(か)けたる人の願ふ事を、一(ひとつ)として叶へずと云ふ事無く聞かむ。』と云ふ、誓ひ、有り。行者に仕(つか)へむ事、佛に仕(つかまつ)るが如し。佛の境界は、虛言(そらごと)、無し。何(いか)なる事也と云ふとも、何ぞ誓を違へむや。」護法神の善悪判断のレベルの低さが露呈するところである。「宮迦羅」は不動の支配下にある善神であるが、聖人が淫欲のために何度も妃を連れて来させていることに迂闊にもなかなか気づかず、初会で既にして女犯(にょぼん)の大罪を犯したことさえ気づかない、「キンカラ」ならぬ「ボンクラ」の為体(ていたらく)である。(最後の忠告辺りの前に不動から示唆があったものか)。

「三十六町」三キロ九百二十七メートル。

「況むや、狹き一(ひとつ)の奄(いほり)の内、思ひ遣(や)るべし」本篇の著者が読者にサーヴィスで語りかけているのが面白い。『これから、もっとエッチにオモシロくなりますぜ!』というクスグリの示唆も感じられる。

「幾時許りか」後の表現から「幾時」は「いくとき」と読んでよかろう。

「天狗(てんぐ)に成ぬ」今野氏注に、『本集』(「今昔物語集」を指す)『では反仏法の魔物として一貫するが』、『ここでは怨霊のの具現のはやい例として注目される。これが崇徳院のごとき例につながる。聖人なので六道とも違う天狗道に堕すという設定』で、「天狗の王と成ぬ」を見ても、意識的に『国王に対する天狗の王』で、『崇徳院など王者との関連がつけやすい』と注されておられる。

「傍(かたへ)の天狗」今野氏注に、『そばにいた天狗の意だが、一方の天狗の王をさすか。でなければ、よそへゆく必要性がない。天狗の前世話(前生譚)の語り手ともなっている。』とある。

「十萬人の伴(とも)の天狗を引き將(ゐ)て、他(ほか)の國に渡りにけり」今野氏は、『他国とはどこか不明。異界としかいいようがない。』と記しておられるが、そもそもこの話、中国が舞台である。とすれば、これは、もう、本邦日本しか考えられないのではなかろうか? だいたいからして、「天狗」という語は中国では、凶事を予兆させる大流星を意味するものであり、大陸では「咆哮を上げて天を駆け降りる犬」の姿に見立てており、図像もそのようなものしか残らない。所謂、我々の馴染み深い鼻の長い「天狗」のイメージはせいぜい中世までしか遡れない日本独自のものである。近世の天狗譚では、智に奢った高僧が天狗に堕す話や、グループが存在したり、互いに仲の悪い天狗集団があって、天狗同士が戦ったりする怪談が、複数、ある(私の「怪奇談集」「続・怪奇談集」を参照されたい。私の乏しい記事の中でも一つを選び出せぬほどにあるのである)。されば、本篇での「天狗」は我々の想像するような形状ではないにしても、そのルーツの淵源の大きな一つであるように思われてならない。]

 

□やぶちゃん現代語訳(原文よりも段落を増やした。参考底本の脚注を一部で参考にはしたが、基本、オリジナル訳である)

 

    聖人(しょうにん)が、后(きさき)を犯して、国王の咎(とが)を蒙って、天狗となった事第三十四

 

 今となっては……もう……昔のこととなってしまったが、震旦(しったん)の□□代に、□□という所に、遥かに人の気(き)を遠く去って、深い山の奥にある谷に、柴の庵(いおり)を造って、戸を閉じ、人にも知られずに、年来(としごろ)、修行を積んでいる、聖人があった。

 この聖人は、年来の行(ぎょう)の力に依って、護法童子を使役して、鉢を飛ばして斎料(ときりょう)を持って来させたり、水を入れる瓶(かめ)を同じく飛ばしやって、水を、汲(く)ませたりしていた。されば、使役する人がいないと雖も、諸事万端、思い通りに叶ってて、不足なことは、全く、なかった。

 ところが、この聖人、ある時、国王の妃のありさまを、文書の中に解説してあるのを見出し、読むに、

「どうして、こんなにまでして、後宮を褒め讃えおるのだろう?」

と、忽ち、その後宮の女たちを見たいという気持ちが、心を捕えて離さなくなってしまった。

「天女(てんにょ)は我らのおるところの人間道とは境界(きょうがい)を異にする天上道におる者であって、見ることは、到底、出来ぬ。……しかし……ただ、この世のま近にあるところの後宮の妃というのを見たいものだ。」

と、思う心、起こってより、もう相当に久しい年月が過ぎた。しかし、成すすべも、ないのであった。

 そうこうしている間に、とある密教の秘文(ひもん)の中を見ていたところ、不動尊の誓(せい)を説くことが書かれてあったのだが、その中に、

『仕者(つかいびと)があって、国王の妃であると雖も、自(みずか)ら、背負って、行者(ぎようじゃ)の心の思うままに随(したが)う存在がいる。』

とある誓を見て、愛欲の心に堪えられなくなってしまい、

「試みに、その仕者(つかいびと)に言うてみたいものじゃ。」

と思う気持ちが、すっかり心にこびりついてしまった。

 その間に、「宮迦羅(くから)」と申す仕者(つかいびと)が、彼の前に顕われて、聖人(しょうにん)と語らいなさった折りのこと、聖人が申したことには、

「我れは、年来(としごろ)、思うことが、ある。それ、叶えて下さるか?」

と。

 仕者(つかいびと)の語られるに、

「我れは、もとより、『我に、頼みをかけた人の願うことを、一つとして叶えずということはなく、確実に叶える。』という誓いを堅持しております。行者(ぎょうじゃ)に仕(つか)えることは、これ、仏(ほとけ)に仕るのと同じで御座る。仏の境界(きょうがい)は、噓は御座らぬ。いかなることと雖も、どうして誓(せい)を違えることがあろうか、いや、御座らぬ。」

と。

 行者、これを聞きて、喜びをなして、語ることには、

「我れ、もとより、不動尊を頼みと奉って、独り、深き山に居(を)えりてて、修行に勤め、行って参った。また、二心(ふたごころ)は、ない。しかし、国王の妃と申すという女人(にょにん)は、いかなる有様(ありよう)にてあるものか、これ、極めて見てみとうなったによって、近来(このごろ)、そこに伺候しておるという三千人の妃の中の、見目形の端正(たんせい)なるらしい女人を、背負って、ここのお連れ申し上げることは出来るだろうか?」

と、申したところ、宮迦羅の仰せになるには、

「たいそう簡単なことである。さらば、必ず、明日(あす)の夜、負ひて率(い)て参らせようぞ。」

と約束して、お帰りになった。

 その後(のち)、聖人(しょうにん)、喜び乍ら、夜が明けるのも遅く感じ、日が暮れるのも待ち遠しくなるほどになった。

 この事を聞いてより後(のち)、さらに他のことは、一切、これ、心に思わずにいた。

 心は、ただ、その一つのために、思い乱れていたのだった。

 既にして、その夜になって、

「今か、今か。」

と待つほどに、夜(よ)、少し更(ふ)けたる頃に、この世のものとも思われぬ、香(こうば)しき香りがし、その匂いが、一山(いちざん)全てに満ち渡った。

「こ、これは、いかなることの、起こったものか?」

と思う聖人(しょうにん)であった。

 柴の戸を押し開いて入ってくる。

 「天女」とかいうところの者のような者を、宮迦羅が背負って、その女を庵の内にさし置いて、出て行かれた。

 聖人は見た。

……金(こがね)の玉

……銀(しろがね)の□□□

……色々の玉を以って、微妙に身を飾っていた……

……百千の瓔珞(ようらく)を懸けていた……

……様々の錦(にしき)を着て

……種々(くさぐさ)の花を造りて

……首につけ

……衣につけている……

……諸々の宝(たから)を尽くして

……身の飾りとしていた……

……その、香(かうば)しい香りといったら、喩えようもないほどのものであった……

……震旦の妃は、必ず、其の匂いが、三十六町に香るという……

――況や、狭い一つの庵の内ですぞ――思いやって御覧なさいな――

……瓔珞の響きと、玉の音が、互いに打ち合って、それが細く、鳴り合っている……

……髪を上げて、簪(かんざし)には色々の瑠璃(るり)を以って、蝶を造り、鳥を造って、その飾りたるや、言葉で表現することも出来ぬ。御灯明(みあかし)の光りに、諸々の玉が、これまた、光り合って、その人が、光を放つようにさえ見えるのだ。

 団扇(うちわ)を差して顔を隠している。

 が、しかし、天女の天下(あまくだ)ったに等しい。

 その人の顔(かんばせ)は、初めて、月が、山の木の葉の間から出づるようではないか!

 我も忘れて、

『恐ろしい。』

と思うている気色(けしき)は、これまた実(まこと)に哀れにして美しく、類い稀なる、較べようのない、完璧な美しさだ!

 聖人(しょうにん)は、これを見るや、心も慌て、肝(きも)も迷うた。

 年来(としごろ)の行いも、忽ちにして、完全に無化されてしまい、全く以って、仏への信念が遠く去ってしまうことをとどめ得なかった。

 三千人の妃の中に、年若く、形、美麗なる者を、宮迦羅が選んで、背負って連れてこられたのであってみれば、これ、世に並びなきものであるに決まっている。彼女より劣れるであろう女人を連れ来ったとしても、この聖人の目には、これ、どうであったろうか。況んや、世に類いなく、国中に、これに等しい女人なんど、これ、実際に、おらねばこそ、聖人は、心も肝(きも)も失せたごとく、手を取り触れたのであるが、妃は、最早、遁(のが)れるべき方途は、ない。山の中の、人も通わぬ所に、夢の様にして来たったのであってみれば、ただ、恐れて泣いておられるばかり。

 未だ、見慣れぬ柴の庵に、見るからに恐ろしげな姿の聖人が目の前にあるだけで、全く以って恐しいのは当たり前で、その男が、手をさえとって触ったのであるからして、生きたる心地もせず、泣くこと、言うまでもない。されば、桜の花が、雨に濡れたようなものである。

 そうこうするうち、聖人、泣く泣く、仏の思(おぼ)しめされることを恐れ思うと雖も、年来(としごろ)の本意も、我慢出来ずなって、遂には、妃を犯してしまった。

 暁に成なって、宮迦羅がこられて、妃を背に舁(か)き負いて、お返りになった。

 その後(のち)、聖人(しょうにん)は他(ほか)のことを思うこともなく、ただただ、この妃のことをのみ、心に懸けて、恋い、嘆いておった。

 日が暮れる頃合い、また、宮迦羅がこられて、聖人に逢って、おっしゃられたことには。

「またしても、かの妃を連れて参ろうか? それとも、また、他の妃をも、見たいと思(おぼ)しめすか?」

と言う。

 聖人の申すことには、

「ただ、あの方を、お連れ下され。」

と。

 されば、前のごとく、背負うて来られた。

 また、暁に来られて、背に舁いてお帰りになった。

 このようにして、既に数月を経たところが、妃、既に懐妊しておられたのであった。

 こうしているうちに、国王は、三千人もの妃があったので、必ずしも、そのみんなを、ご存知であったわけではなかった。

 さすれば、国王、彼女のところにお渡りになられたところが――これ――既に懐妊しているのは一目瞭然。

 国王の仰せらるるは、

「そなた、妃の身でありながら、既に他の男に近づいたのだな。これ、誰がなしたことであるか!」

と糺した。

 妃がおっしゃるには、

「私、とてものことに、自ら男に近づくことなど、微塵もありませぬ。ただ、ひどく奇異なることが、これ、御座いました。」

と答えた。

 国王は、

「いかなることか?」

と問ひなさったところが、妃、仰せられて、

「かくなるほどの以前より、その月来(つきごろ)、夜半許りのこと、十五、六歳ほどの童子は、突如、来りて、我れを舁き負いて、飛ぶようにして行きて、ひどく深い山の中に連れて行きました。そうして、一つの柴の庵の甚だ狭いところに、恐ろし気(げ)なる聖人(しょうにん)のあって、それ、まさに、ひどく恐ろしゅう見え、いっかな、心細く思いましたけれども、遁(のが)れるべきすべもなくて……その聖人の近づいてきて……自(おのずか)ら……かくのごときありさまに……まかりなって……御座いまする……。」

と告白したのであった。

 国王は仰せられて、

「どの方向に行ったとか、覚えておるか? また、そこに至るにどれほどの時をかけて、行ったか?」

と糺した。

 妃が仰せになるには、

「どの方向とお訪ねになられても……これ……覚えて御座いませぬ。ただ、鳥の飛ぶよりも、なおなお、疾(と)く飛び行きましたによって、一時(ひととき)ばかりに行き着きました……それは……恐ろしく遥かに……遠い所かと存じまする……。」

と申し遊ばされたによって、国王、ここで仰せられて、

「今夜、連れられて行く前に、掌(てのひら)に、濃く、墨を塗って、紙を濡らして、それを持って、その庵の障子に、その紙を押しつけてこい。」

と、お教えなさったので、妃は国王の教えの通りにして、隠してお持ちになって待っておられた。

 さて、その頃、宮迦羅が聖人の所に来て、仰せになるには、

「今より後(のち)、かのこと、おやめになられるのが宜しいでしょう。悪しきことが出来(しゅったい)するように思われます。」

と忠告された。

 聖人(聖人)が答えるには、

「ただ、どのような虞(おそ)れがあろうとも、以前のごとくに迎え来たって、これ、よろしくお願い申す。」

と懇願した。

 宮迦羅が仰せに、

「さらに、お恨みなさること、なきように。」

と宣(のたま)うと、先(さき)のごとく、かの妃を背負って、連れて来られた。

 妃は、自分の内心を悟られぬようにして、濡れた紙を以って、手の裏の墨を濡らして、障子に押しつけた。

 暁(あかつき)に、例(れい)の宮迦羅、来たって、背負いてお帰りになった。

 その翌朝に、国王は、その妃のところにお渡り遊ばされて、お尋ねになったところ、妃は、

「しかじか仰せの通りに押しつけまして御座います。」

と申し上げなさったので、国王は、また、妃の掌に墨を塗って、紙に、多く、押しつけさせて、諸々(もろもろ)の人々を召し出だし、これをお与えになって、宣旨を下して、仰せられることには、

「国の内に、山深く、人気のないような山の中に、『聖人(しょうにん)』の居(お)るような場所を尋ねて、この手形で押した形(かたち)に、似たような手跡(しゅせき)がありそうなところを、虱潰しに尋ね廻り、探して参れ!」

とお下しになったのであった。

 使ひの者らは、宣旨を承って、四方のあらゆる隅(すみ)をも漏らさず、山々を尋ねたところ、遂に、かの山の、聖人の庵に、尋ね至ったのであった。

 その庵の障子を調べてみたところが、まさに、この手の形があった。そうして、それは、細部まで、違った箇所はなかったのであった。

 されば、使いは都城に帰って、この由を申し上げた。

 国王は、これを聴いて、宣はく、

「かの聖人(しょうにん)、既に我が妃を犯した。その罪、これ、軽からざるものなり。」

と告げられた。

 されば、

「速かに、遠い場所に、流刑とせよ。」

と定められて、□□という所に流しやったので、聖人は、配流所にて、嘆き悲しんで、病的に思い入り死(じに)したのであった。

 而して、その死ぬや、即座に「天狗(てんぐ)」となったのであった。

 そうして、多くの天狗を従えて、「天狗の王」となったのであった。

 しかし、また、そやつの、近くに、別の天狗がおって、言うことには、

「あの天狗は、既に、国王の責めを蒙って、流罪となって死(しに)たる者の変化(へんげ)である。」

と言って、交わることをしなかった。

 そのため、そのままでは居るも困難となり、十万人もの伴(とも)の天狗を率いて、他(ほか)の国に渡ったと、かく語り伝えているということである。

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