只野真葛 むかしばなし (46)
ふるき地主兵橘(ひやうきつ)樣は、しごくのかた人なりし。子達もおほかりしが、段々にかけて、ワ、おぼへては、四人なりし。北のかたに明地(あきち)有しを、公儀御らんぶのふれがしら、松井喜左衞門といふ人に百坪かされたりし時、其角(そのかど)に無ぜう門有(あり)しをつぶして、父樣かたへ申入らるゝには、
「扨、この無ぜう門の所かし地と成候間、是より葬禮だす時は、そのかたの門より出し申度(まうしたく)。」
といはれしとぞ。父樣御聞、おもしろからずおぽしめし、
「隨分、承知仕りたり。殿樣、奧樣、若殿樣、御勝手次第、明日からでも御通被ㇾ成べし。」
と御こたへ被ㇾ成しかば、氣にかけて、
「さよふなら、そのかたよりは、とほらじ。」
と、いはれしとぞ。たゞ「ならぬ」と斷るよりは、尤の筋にて、扨、御才覺のことなりし。かやうのおもしろき御挨拶などはいくらもわきて出(いだせ)し御人なり。
[やぶちゃん注:「らんぶ」能楽か。
「無ぜう門」「無常門」であるから「むぜうもん」が歴史的仮名遣としては正しい。平常は使わず、葬礼の時だけに用いる門。江戸時代、大名屋敷には必ず設けてあった。不浄門とも言う。]
毛利、娘は、よき所へかた付(づき)、お孫も、年頃の人、おほかりし。【かたづかれぬ前は、ワあそび友だちにて有し。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]其次は松平相模樣の奧御奉公人なりし、早咲(さき)といひし。其次も女にて、是は山の手旗本衆へ片付たり。
男の子も先達有しが、皆、なくなりて、一番末子、家督にて、なべ次郞樣といひし。此人、幼年より、父樣をちからにせられし人なりしが、ワ、十七ばかりの時分、父樣、山城樣の御用にて、かりやへ御登り被ㇾ遊候事有し。御ひぞうの御妾(おめかけ)、大病故のことゝぞ。其次手(ちで)に、
「京・大坂、みて參れ。」
と、内々、上より御意有しこと故、都合五十日ばかりの御留守にて有し。
御妾は御着前に、こときれとなり、いたづらに上方見物被ㇾ成しなり。
其頃は、兵橘樣は、とうになくなり、なべ次郞樣世にて有しが、
「夫《そ》レ、平助樣御立被ㇾ成候。」【ひる立なり。】[やぶちゃん注:同前で『原頭註』、]
と、人々いひし時、朝飯にや、物を食(くひ)かけてゐられしが、箸をすてゝかけいで、物見より、陰かくるゝまで見てゐられし。しばらくして内に入(いり)、そばの人にむかひていはれしは、
「さてふしぎなることかな。親にもわかれて見たりしが、今、一寸、平助殿にわかれし程、ちからは、おちざりし。」
とて、それきりにて、あとのものは參らで有しとなり。
翌日より、少々、風氣(けぜけ)にて、二、三日、床に有しが、
「ちと、よろしき。」
とて、近所步行せんと、采女(うねめ)が原までいかれしが、
「寒氣(さむけ)する。」
とて歸り、其夜より、大熱と成(なり)し。うわごとにも、
「平助樣がござる、ござる。」
とばかり、いはれしとぞ。桑原、療治成(なせ)しが、少しもきかず、ひたよわりに成(なり)て、十四、五日の内になくなられし。
納戶と隣の居間と、ちかき故、紙など仕舞(しまひ)て居れば、うわごとも、よく、聞(きき)し。さてさて、いとほしかりし、と申(まうす)ことなりし。
父樣も、大(おほ)ちから、をとしにて有し。かくならんとて、さやうに力をとされしならん。
奈須の家には、とかく不思議のこと有。はじめ大橋におられし借宅も、庭の隅にて、折々、陰火(いんくわ)、見へしとなり。
何の故と云(いふ)事はしらず、白靑く光し、とぞ。障りにもならず。
隣は稻荷の怪が有(あり)。
又、小猫をかわれしが、二階の日さし、家の人などのかつて見ぬ所にて、每日、立ならびしとぞ。
けく、手前の御隱居所の障子へは、其影のなゝめにうつる故、おしづ・おつねなど、穴より、ひそかに見たりしが、はじめの程は、ただ背をまるくして、少しづゝ、前あしをはなして見しが、後(のち)は上手に成(なり)て立(たち)よふも、早く成(なり)しとぞ。
[やぶちゃん注:「けく」結句。そのため。]
となりへは、常にあそびに行し故、何かの序に其はなしをしたれば、猫、おらず成しとぞ。
表のかこひ、柾《まさき》垣なりしが、庭作(にはづくり)をよびて、その垣をはさませしに、稻荷の宮なり、垣ぎわに有しを、其上にはしごをぼひかけて、垣をはさみながら、
「もちつと、はなれていれば、いゝ。氣のきかぬ稻荷だ。」
と口わるさにいひしに、いひおわらぬうちに、
「ぐらり」
と、はしごより落ちて有しとぞ。庭作、大きにおそれて、
「お宮の上に居ながら、あく口いたせし故、ま事(こと)にばちがあたりしに、相違なし。私共は、はしごの上は、素人の疊の上も同前なり。手でも足でも、指が三本ついておれば、おちるものではござりません。あらたなること。」
とて、おわびを申(まうし)、垣より、はなして、一間四方程、土をつみ、三段に段をつけて石を置(おき)、柴をうゑて上(あげ)たりし。
[やぶちゃん注:「ぼひかけて」不詳。「日本庶民生活史料集成」を見ると、「ほひかけて」とある。この二つを並べてみると、梯子を「這ひ」登り「かけて」の意であるように推察する。]
玄信樣、引こしがけ、善助樣と、また壱人、誰やら、あるじと三人夜ばなし被ㇾ成しに、八頃(やつごろ)にもやとおもふ頃、ともし油、盡て、きへそうに成しに、手を打(うち)、人をよびて、
「油、つげ。」
と主のいはれしが、行(ゆき)て、ふたゝび、こず。また、手を打て、よび、
「あかりが消るから、はやく、油もてこよ。」
といわれしに、やゝ有(あり)て、髮油にやとおもわるゝやうな入物(いれもの)、もちてきたり、つぎたりしが、それも十分につぐ程はなかりしとぞ。はなしもつきて、うそさびしく、しんとして橫に成(なり)てゐると、天上の内にて、
「カアン」
といふ音のしたりしが、其(その)さへたること、大かなてこなどのやうな物にて、なげつきにしたるやうな音なりし、とぞ。客も主も、おもはずしらず、とびおきたり。たゞ顏を見合たるばかりに、氣味のわるさに、無言にて床に入(いり)、ねたりしと、善助樣御はなしなり。
[やぶちゃん注:「八頃」午前二時頃。]
父樣には御酒、一向、上らざりしが、此頃より、少々づゝ上りし。每日、御髮そろひしと、すぐに、煙草盆を片手に御持(おもち)、隣へいらせらるゝことなりし。それから、
「酒を持(もち)てこい。」
と、つかひがきて、肴、二、三種にて上ると、かご人を、またせ、またせて、七時分(ななつじぶん)に、
「出(で)を、やめる。」
と、いつてくる、といふが、おさだまり。隣御夫婦は、ちりめん八丈などを普段着に被ㇾ成、御子達は、やうやう、木綿太織(もめんふとおり)などの垢つきたるを、あらいもせず、帶もしめずに着せて、よそ行(ゆき)の衣類、なし。いつも留守ばかりさせておくといふやうなふう、見やう見まねに其心にならせられ、一向、子共に着ものきせること、おきらいにならせられ【子供のせわするはやぼな樣にいふ。つり合故、それに御付合被ぃ成しなり。】[やぶちゃん注:同前で『原頭註』とある。]、母樣、是には御こまり被ㇾ成しと、のち、御はなし被ㇾ遊し。火事後、別にならせられてより、子共をも御愛し被ㇾ成、衣類の御世話も、よく被ㇾ遊たりし。
[やぶちゃん注:「七時分」午後四時頃。
「出」外出。往診か。]
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