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2022/04/23

「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 一~(5) / 卷第十 國王造百丈石卒堵婆擬殺工語第三十五 / 一~了

 

[やぶちゃん注:本電子化の方針は「一~(1)」を参照されたい。熊楠が採り上げた当該話はこちらで電子化訳注してあるので、まず、それを読まれたい。底本ではここ。]

 

〇物語同卷、國王造百丈石卒堵婆擬ㇾ殺ㇾ工語第卅五」《國王、百丈の石の卒堵婆を造りて、工(たくみ)を殺さんと擬(せ)る語(こと)第三十五》も、芳賀博士は出所を擧げ居らぬが、是は羅什譯、馬鳴菩薩の大莊嚴經論卷十五に見ゆ、云く、我昔曾聞、有一國、中施設石柱、極爲高大、除去梯蹬、樚櫨繩索、置彼工匠、在於柱頭、何以故、彼若存活、或更餘處造立石柱、使ㇾ勝於此、時彼石匠親族宗眷、於其夜中、集聚柱邊、而語之言、汝今云何、可ㇾ得レ下耶、爾時石匠多諸方便、卽擿衣縷、垂二縷線、至於柱下、其諸宗眷、尋以麁線、繫彼衣縷、匠卽挽取、既至於上、手捉麁線諸親族、汝等今者、更可ㇾ繫著小麁繩索、彼諸親族、卽隨其語、如ㇾ是展轉、最後得ㇾ繫麁大繩索、爾時石匠、尋ㇾ繩來下《我れ、昔、曾て聞く、一國有り、中(うち)に石柱を施設(しせつ)し、極めて高大と爲す。梯磴(ていとう)[やぶちゃん注:足場。]・樚櫨(ろくろ)[やぶちゃん注:滑車。]・繩索(じやうさく)を除き去り、彼(か)の工匠を置きて、柱頭に在らす。何を以つての故か。「彼、若(も)し存-活(いきてあ)らせば、或いは更に餘處に石柱を造立し、此れに勝(まさ)らしめんに。」となり。時に、彼(か)の石匠の親族・宗眷(しゆうけん)[やぶちゃん注:一族の者。]、其の夜中に於いて柱の邊りに集ひ聚(あつ)まる。而して、之れを語りて言はく、「汝(なん)ぞ、今、何をか云はんや。下(くだ)るを得べきものか。」と。爾(こ)の時、石匠、諸(もろもろ)の方便を多くせり[やぶちゃん注:「いろいろな降りる工夫を、沢山、考えた。」の意か。]。卽ち、衣縷(いる)[やぶちゃん注:着ている破れた着物。]を擿(さ)きて、二縷(ふたすぢ)の線(いと)を垂らし、柱の下に至らす。其の諸宗眷、尋(つ)いで[やぶちゃん注:次に。]、麁(あら)き線を以つて彼(か)の衣縷に繫ぐ。匠(たくみ)、卽ち、挽(ひ)きて取り、既に上に至れば、手に麁き線を捉へ、諸親族に語(かた)らふに、「汝ら、今は、更に小(すこ)しく麁き繩索を繋ぎ著(と)むべし。」と。彼の諸親族、卽ち、其の語(ことば)に隨ひ、是(か)くのごとく、展-轉(くりかへ)して、最後に、麁き大きなる繩索を繫ぎ得たり。爾の時、石匠、繩を尋(つた)ひて來たり下れり。》、石柱は生死、梯磴樚櫨は過去佛已滅言抔と、くだくだしく佛敎に宛てゝ喩[やぶちゃん注:「たとへ」。]を說き居る所を見ると、佛敎前から行れ居た物語らしい。

      (大正二年八鄕硏第一卷第六號)

[やぶちゃん注:「芳賀博士は出所を擧げ居らぬ」ここ。本文のみ。

「石柱は生死、梯磴樚櫨は過去佛已滅言抔と、くだくだしく佛敎に宛てゝ喩を說き居る」「大蔵経データベース」で見ると、この話を記した後に、以下のように評釈されてあることを指す。

   *

言石柱者喩於生死。梯蹬樚櫨喩過去佛已滅之法。言親族者喩聲聞衆。言衣縷者喩過去佛定之與慧。言擿衣者喩觀欲過去味等法。縷從上下者喩於信心。繫麁縷者喩近善友得於多聞。細繩者多聞縷復懸持戒縷。持戒縷懸禪定縷。禪定縷懸智慧繩。以是麁繩堅牢繫者喩縛生死。從上下者喩下生死柱。

  以信爲縷線 多聞及持戒

  猶如彼麁縷 戒定爲小繩

  智慧爲麁繩 生死柱來下

   *

これまた、壮大な仏教原理で、この事件の内容を解説した上、偈まであって、あたかも宋代の僧無門慧開の「無門關」の一篇を見るような、公案的ブットビの様相を呈しているのは、私などは、思わず、ニンマリしてしまった。因みにリンク先は私の古い電子化物で野狐禅全訳附きである。にしても、熊楠の、原型は仏教以前とするその指摘は頗る鋭い。]

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