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2022/04/29

譚海 卷之四 市村羽左衞門芝居休みに成たる事

 

○天明四年十月十八日、市村羽左衞門(うざゑもん)芝居借金にて休み、相州小田原驛の住桐大藏(きり おほくら)といふもの桐長桐(きり ちやうきり)と改名し、葺屋町芝居興行致し、かり芝居の積りにて仰付られ、同霜月十三日より顏見せ狂言はじまる。羽左衞門木挽町森田勘彌座へ狂言助力に出たり。凡三十八年の間芝居類燒八度に及び、芝居できがたく休(やすみ)に成(なり)たり。古來より羽左衞門借金高十六萬四千四百兩に及(およぶ)といへり。同年極月森田勘彌又類燒に及び、翌五年三月より、羽左衞門事さるわか勘三郞座へ助(すけ)に出(いで)群集に至る。ふきや町芝居休み困窮に及び、家主世話にて金子をこしらへ、桐長桐座をはじめたる故、又ふきや町にぎはへり。天明四年七月中より普請はじまり、廿日の内に出來、やぐらをあげ興行に及ぶ。每日家主立合世話致し、芝居失墜格別に減少し、山師の類(たぐひ)一切懸り合(あひ)に致さゞるゆへ繁昌す。後二年もへて羽左衞門事死去せり。

[やぶちゃん注:この人物は、九代目市村羽左衛門(享保九(一七二四)年~天明五(一七八五)年)。屋号は「菊屋」、俳名は「家橘」(かきつ)。当該ウィキによれば、『八代目市村羽左衛門の長男で』、享保十六年七月、『市村満蔵を名乗り市村座で初舞台』を踏み、延享2(一七四五)年『に市村亀蔵と改名』、宝暦一一(一七六一)年三月、『伊勢参りの名目で上方へ行き、伊勢参宮の』後、『大坂に行き、中山文七座に同座して五変化の所作事などを見せ』、後、『京にも行き』、『やはり五変化の所作を上演して名を』挙げ、『同年』十一月に『江戸に戻った』。宝暦一二(一七六二)年、『父八代目羽左衛門の死去により』、『市村座の座元を相続すると同時に市村羽左衛門を襲名。しかし』、『その後』、『火事や先代からの借金に苦しめられ』、天明四(一七八四)年には、『ついに市村座は倒産』、『閉場し、控櫓の桐座に興行権を譲るに至った。その翌年、中村座の座元中村勘三郎の勧めにより』、『羽左衛門は中村座に出演し、一世一代として変化舞踊を演じたが、その』中で、「猿まわし」の猿に扮し、「娘道成寺」の『所作事を演じ』、『同年』八『月に没』した。彼は、若い頃は、『魚のような顔つきだと評され』、『荒事ばかりを演じていたが、のちに和事や実事、また女の役も演じるようになり、八代目に劣らず』、『幅広い芸風を誇った。特に所作事においては』、『名人との評判を得ている。子に十代目市村羽左衛門が』おり、市村座を一度は復興している。「桐座」については、ウィキの「江戸三座」の「本櫓と控櫓」を参照されたい。]

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